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第41話 清清
「すみません、意地の悪い言い方をしました……」
「……藤倉が来ていたよ」
「はい……別に何も思っていないと言えればいいのですが……」
桜井は気が付いていないのだろうか、自分に向けられたその独占欲が身体にも心にも火をつけるということを。自分のものになってくれと請われて嬉しくないはずはないのだ。
「桜井が……意外だな」
「年上の余裕ですか?なんだか悔しいです。でも負けませんから」
「……そうか?」
どうしてこうも勝ち負けを意識するやつらばかりが、そばに居るのだろう。何をもって勝ったと、負けたと言うのだろうか。
桜井は「よし」と小さく声に出して、立ち上がった。手際よく昨日脱いだ衣類を身に着けると冷蔵庫を開けた。
「約束ですから、朝食は私が手配します」
「期待しているよ」
そう答えると、桜井は冷蔵庫の中から水の入ったボトルを取り出して口にした、そしてもう一本を差し出してきた。
「水必要ですか?」
「いや」
「小一時間位かかりますが大丈夫ですか?」
「そんなにかかるのか?まあ、楽しみにしているよ」
「じゃあ、身支度してくださいね」
「身支度?」
「昨日の夜、単に往復するだけでは悔しいのでバイク取ってきました」
「バイクって……こんな朝早くからどこへ行くんだ?」
「約束の朝食です、私が作るより安全だと思いませんか?」
桜井に促されて、立ち上がる。一番近くにあった薄いシャツと綿パンを身に着ける。桜井が後ろからクローゼットを覗き込みジッパーのついた上っ張りを手にした。
「多分、この時間だとまだ風が寒いです」
そう言いながら、まるで子どもに着せるように上着を着せようとする。
「自分でできるから」
「やらせてください……」
ままごとの様な桜井の振る舞いに、一気に頭に血が集まったような感じがして、顔が赤くなるのが自分でもわかった。
顔を洗い支度をすませる、桜井はもう準備が済んだのか玄関に立って待っているようだった。
「悪い待たせたな……」
玄関に向かうと、入り口に立つ桜井と面と向かう形になった。
「羽山さん、髭薄いのですね。私は駄目です、一日剃らないと、こうです」
桜井にするりと頬を撫でられた。そして当たり前のように顔を近づけてくると口づけてきた、その流れはあまりにも自然で、こうやって二人で朝まで過ごしたことが初めてだったとは思えないほどだった。
「バイク、後ろに乗ったことあります?」
「バイクそのものが初めてなんだが……」
「じゃあ、肩につかまって乗ってください。大丈夫ですか?……私の腰に手をまわしてください。そして体を離さないでいただければ大丈夫です」
桜井に後ろから抱き着くような形になった。
「高速乗りますから、しっかり捕まえていてくださいね。声聞こえないので何かあったら肩叩いてください」
すぐにバイクは風を切って走り出した。
背中から伝わる桜井の体温、呼吸をするたびに上下する横隔膜の動きまで伝わってくる。バイクのエンジン音、バタバタと煩いほどの風の音。全てが五感を刺激して、隠れていた、隠していた感情を剝き出しにしていく。
「桜井、……好きだよ」
声が届かないと分かっているからこそ、正直に言えた。言葉にして吐き出すことで、自分自身の感情にようやく素直に名前を付けてやることができたのだ。
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