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第55話 孤高

 独りが正解だと思って生きてきた。他人(ひと)に依存することが怖い。きっとこのまま生涯を終えると信じていた。だから今までの恋人との距離も意識してとってきた。  そして今まで誰も、その距離を詰めることを要求してこなかった。暗に近寄るなと信号を発信していたのかもしれないが、自分の引いた境界線を越えて入ってくることを未だ誰にも許したことはない。  なのに桜井はその境界線の内側にいつの間にか立っていた。この位置に居られるとまずいのだ。警告音は出会ったその瞬間からなり続けているのに、その存在を拒めなかった。  桜井がぐっと体の中に侵食してきたその瞬間に、ぞぞっと肌が粟立ち、小さい呻き声のような声が出た。熱い、頭が白くなる。思考に霞がかかる、まるで中毒のようだ。  規則正しく打つはずの心音が速度を速め耳を撃つ、言葉にならない声が漏れる。  「ああ、羽山さん。好きです、羽山さんは?」  「言葉にしない限り伝わらない」分かってはいるが、どうしても言葉として紡ぎだせない弱い自分がいる。  「好きです」  「わかって、る」 そう答えるのが精一杯だ。繰り返される愛の言葉にそんなに安売りをするなと思う。  「不義の快楽(けらく)(ふけ)って、堕獄の業因(ごういん)を成就せん」いつかどこかで見かけた一文が頭の中をよぎる。桜井の持つ毒に侵され、おかしくなることが出来れば、それは甘美な時間となるのだろう。  体に不自然に押し付けられるような格好の脚が桜井の動きに合わせて揺れる。脱力した脚の感覚がなくなってきたような気がする。まるで身体が半分消えてしまったように感覚がなくなっていく。  「さ、くら、い」  「はい」  「さくら、い」  「はい、羽山さん」  「……ん」  名前を呼ぶだけで安心する、そして桜井の返答に自分の身体が反応するのが分かる、もう独りで生きてはいけないのだろうか、そして失くしたときに何が残るというのだろうか。  視界いっぱいに広がる光景が全て桜井の色に染まってぼやけていく。ぐっと奥へと入ってくるその質量感に頭が後ろへと反り返る。理由(わけ)もわからず、泣きたくなると思ったとき、ぽつりと桜井の瞳から落ちた涙が頬を伝った。  「すみません、こんなに好きになってしまって。もうどうしようもないんです」  青い告白だと分かっていても、その言葉の熱に浮かされて。自分の瞳にぎりぎりまで張っていた薄い膜のような液体が頬をつたう。桜井の落としたそれと混ざり合った瞬間に意識が暗い淵に引き摺られて、消えてしまった。  

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