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第69話 のちのつき
「羽山、何の話だったんだ?」
「さあ?私にも良く分かりませんでした。何だったのでしょうか」
部長の質問に正直に答えた。何しろ自分が一番わかっていないのだ。何だったのだろう、桜井のことには一切触れられずに話は終わった。暗にすべてを知っていると伝えられ、身の振り方を考えろと言われたのだろうが、別れろと詰め寄られた訳では無い。
今日辺り、桜井から何等かの連絡があるはずだ。あいつは何をどう伝え、どんなことを言われたのだろう。
昼休みに携帯にメールがきた。「今日の夜、食事に行きませんか?」それだけ書かれた短いものだった。
「早めに切り上げる、八時にいつもの店でいいか?」 送信ボタンを押すとほぼ同時に桜井から電話がかかってきた。
『今日、七時半に通り向こうの駐車場で待っています』
「バイクで移動するのは御免被る」
『いえ、車で来てますから。それでは七時半に』
桜井の様子は別段が変わったところもなかった、珍しく車で来ているということ以外は。
その午後は余計な事を考えている暇がないほど忙しかった。飛び込みで至急の見積り依頼があり、それに伴い在庫確認、納期確認と細かい仕事に追われた。ようやく目処がついたの頃には、七時半を少しまわってしまっていた。
「羽山、今日はお疲れ。飯でも食って帰るか?」
「申し訳ありません、今日は先約がありまして」
「珍しいな、彼女でもできたか?」
「ええ、まあ」
部長が「正直だな」と笑った。多分部長の考えているような相手ではないが、現在優先すべき人なのだろう。
部長は視線を落とし、手のひらを下に向けてひらひらと、早く帰れと追い返すように動かした。「仕方ない弁当でも買って帰るか」という声が小さく聞こえた。
会社を出るとすぐに桜井に電話を入れる。
「悪い、今終わった。お前今日は、こんなに早く仕事は大丈夫だったか?」
『羽山さん、とりあえず斜め前見てください。私の車は黒のセダンです』
視線を通り向かいの方へ投げる、黒い古いセダンが停まっている。
「ああ、見えたよ。車内灯もう消しても大丈夫だ、分かったから」
車内灯が消えて黒い車は夜と同化した。信号が変わるのをまって桜井の車の方へ向かって歩きだそうとした瞬間にむんずと腕を掴まれた。
「え?」
「羽山、今帰り?」
御園が並んで歩き始めた。最悪のタイミングだ。
「ああ、今待ち合わせをしていて」
「桜井だろ?知ってる。俺も呼ばれたから」
え、御園も?どういう事だ。
「あ、羽山さん、御園さんもありがとうございます。とりあえず乗ってください」
桜井は当然のように後部座席をのドアを開け、御園をそちらへと誘導した。
「反対側のドアは壊れてて開かないので、羽山さんは助手席にお願いします」
これは一体どういうことなのか分からない。御園と桜井?二人して何を企んでいるのだろうか。走り出した車窓から見上げると、一点の曇りもない空に十三夜の月が明々と街を照らしていた。
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