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第71話 良夜
「なあ、もういいだろう?腹減った、飯にしようぜ」
御園の一言が沈黙を破った。
「どこかへ出かけるか?三人でここで顔つき合わせていても仕方ないだろう」
「俺は帰る」
「羽山さん、駄目です。御園さん、そこにチラシがありますから夕飯の手配お願いしてもいいですか。少しだけ羽山さんと話をさせてください」
「お前、先輩を使うのか?」
「すみません、私が払いますから」
「当然だ、羽山お前は何喰う?」
「俺はいらない」
「勝手に注文するぞ、細すぎるんだよ。お前もう少し抱き心地がいいほうがいいぞ」
御園の冗談に桜井が渋い顔をした。
「御園さん、やめて下さい。羽山さん、もし断らないとおっしゃるのでしたら、私も一緒に行きます」
「お前、私情を持ち込むのはおかしいと言ってたろ、どの口がそんなこと言うんだよ」
「……今回の件は全て私の所為です、ですから」
真剣に話す桜井の目の前にチラシが一枚ぴらっと上から垂らされた。目の前の景色が今にも泣きそうな男の顔から、赤と黒の寿司屋のチラシに変わった。
「なあ、お前ら寿司でよかったのか?」
ぷはっ吹き出してしまうと同時に、桜井が右手でその紙をぱしりと払った。御園が挟み込む言葉のおかげでぎすぎすとした気持ちにならなくて済む。
「桜井も羽山も少し考え過ぎなんだよ。やめとけ、無駄だから。後三カ月あるんだろ?その間に何とかしろよ」
「何とかしろって、御園お前は何を言ってるんだ」
「桜井、言っておくがあと少しで終わるなんて考え方はくだらねえ。俺も退かない事にした。一歩、いや数歩は遅れてるが、追いつけない距離じゃないと思っているんだが。なあ、羽山?」
「なんに対する宣言だか、何を誰と競う気だ」
「え、当然そこの若いのと俺だろ。羽山、お前がそれを聞いてどうする?自分がモテることを再確認したいのか?」
「御園さん、少しは遠慮してください」
「遠慮はしないと言ったばかりだろう、そんなにお前は自信が無いのか?」
声を立てて笑う御園はどこまでが冗談でどこから本気なのかわからないが、少なくとも今はその存在がありがたい。
奇妙な三人での食事が終わった頃には、とうに終電が終わっていた。
「桜井、俺も今日はここに泊めてもらうからな。着替えはコンビニで買うか……」
「御園さんもですか?送ります、寝具は余計にはありませんから」
「あー、こっちが寝室か?なんとか三人で眠れるぞ、あれキングサイズじゃねえか」
「御園さん!」
「お前が連れてきたんだろ。羽山、お前が真ん中な」
「俺は帰る、お前は泊まっていけば良い」
桜井と御園の二人を残してさっさと玄関へと向かう。
「もうすぐ終わると思うな、なんとかしろ」と言う御園の言葉が響いた。期限を切られたことによって、自分の明日のために何ができるのか、そして本当は自分が何をしたいのか考えてみようと思った。
「また明日、会社でな。タクシーで帰るから心配は要らん」
「待ってください」桜井の声がした、それに続いて「俺は泊まっていくぞ、散らかったあの部屋で寝るよりマシだ」と御園の声がした。妙にすっきりとした気分だ。踏み出した時に頬に触れた風が、秋も深くなってきたと教えてくれた。
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