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第73話 照葉

 普段乗らない地下鉄に乗る。  桜井のマンションに向かう車内で、転職雑誌の広告につい目がいってしまう。そして、そんな自分を客観的に見て揶揄する自分がどこかにいる。お前は今までに築き上げてきた信頼と人間関係をどうするつもりだと、どこからか声がする。  「どうして、お前なんだろう。どうして、俺なんだろう」そんな気持ちがぐるぐると渦巻いている。携帯の画面を見るともなしに眺めていると、飛び込んできたメールのメッセージが画面に映る。  『羽山さん、そろそろ着きますか?部屋にあるものは全てご自由にどうぞ、なるべく急いで帰ります』  桜井の気持ちは分かる、大切にされているのもよく分かる。今の桜井と十年前の自分を比べて考えてみる。あんなに必死に思いを伝えることが出来たら、何かが違っていたのだろうか。  思い返してみたが、あまりにも遠い昔の事、そしてこの十年の自分を否定しても仕方ないことだと、無駄なことを考えるのは止めた。  桜井からの想いは素直に嬉しいと感じる、しかし何をどうするのが最善なのか図りあぐねてもいる。   マンションの入り口について、鍵を取り出し眺めた。そして、その鍵をまたポケットに戻す。  「どうするかな」  部屋で待っていてくれと言われた、しかし主のいない部屋に入るというのは落ち着かない。近くのコンビニへと歩き、缶ビールを買って戻る。  マンションの入り口近くのガードレールに腰をかけ、部屋を見上げる。会社を辞めるという選択はしない。出会ったことに意味があるのなら、別れることにも意味があるのだろう。これからの三カ月をどうするのか?そしてその後のゴールをどうするのか、決めなくてはいけない。  携帯がポケットの中で震た。  「はい」  『あ、羽山?今どこよ?』  「どこって……」  『寒くないのか?そんなとこに座って?』  そんなとこに座って?驚いて振り返ると、携帯をもってにやけた顔の男が近づいてきた。  「お前、何してんだ?」  「んー?後をついてきただけだよ」  「後をって……」  「冗談だよ。昨日桜井の所に捨て置かれて、あいつといろいろと話をした。んで、今日はお前と話をするために来た。桜井にはきちんと断りの電話を入れた。飯でも食わないか?」  「別に俺の心配はいらないから」  「畳みかけて、丸め込んで、良い感じに持ち込もうと思っているのよ、俺も」  「俺もって……お前とどうこうなる予定はない」  「もともと桜井とああなる予定もなかったろ、予定は予定だ。決定にはあらず、お前の未来にもあらずってとこだ」  御園のこういう距離は気が楽だ、それなのにどうして面倒くさい相手ばかりを選ぶのかと目の前の男をまじまじと見る。  「なに?俺に絆されてくれんの?」  「馬鹿か」  ふと可笑しくなって笑うと、「お前のその笑顔がいい」と御園も笑った。歩いて近くの居酒屋に入る。いくら関東とは言え、夜はもう寒い。暖かい店内にほっとする。  「なあ、お前桜井とどうなりたい?別れたい?それとも?」  決めかねていたことを聞かれて、答えに窮する。  「お前本当に別れようと考えているのか?」  冗談めかした話ばかりしていた御園の顔が困ったような表情に変わった。

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