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第84話 さくら舞う
「よお、調子はどうよ?」
「ああ、御園か」
「お前、なんだその御園か?っての。こんなところで突っ立って、誰か待っているのか」
「いや、もう桜の時期だなと考えていただけだ」
「空見上げて何をぼんやりしているのかと思っていたら、恋人を思っていたのか?」
「何を言っているんだ、俺は桜の時期だと……」
「はいはい。で、今週末の予定は空けてあるだろうな」
「ああ、空けてあるよ」
御園に誘われて週末でかけることになっていた。週末は何もせずに自宅で過ごすことが多いのだが、今週は特別だ。
桜井のマンションを出るときに別れの言葉はなかった。「いってらっしゃい」と桜井が言ったのだからそれでいいのだろう。
慣れない土地で、一からやり直しのような生活。それを支えてくれたのは桜井でなく御園だった。「お前が俺に絆されればいいのに」と冗談交じりで言う御園のおかげで卑屈にならなくて済んだ。
なんの約束もしなかった。自分の選んだ道に後悔はしていない。もしも桜井が日本で幸せにしているのだとしたら、それは喜ぶべきことなのだろう。そのくらいの余裕は大人として欲しかった。
ひと月が過ぎ、ふた月が経ち、あの時のことをまたふと考える。本当に自分の取った道は正しかったのだろうか。最善の道をとってきたと自負していたが、春になるころには少し疲弊してしまっていた。
食事の味がしないと気が付いた時に自分の精神状態がおかしいと気が付いた。何かがおかしいと御園が気づくくらい情緒不安定だったようだ。
「なあ今週末遊びに行かないか?日本も恋しかろうし、桜見せてやるよ」
そう言われて、友達に心配をかけている自分が情けなくなってしまう。大丈夫というのはもうやめよう、そろそろ限界かもしれない。もしかして御園に甘えてしまってもいいのだろうか。この土地が自分を強くしてくれるはずと思っていたが、そんなことは無いと知った。ただ情けない自分自身がいることを思い知らされただけだった。
気持ちの揺れ動く中、御園が最終ラインを超えて来なかった事だけが二人の微妙な友達と言う関係を維持する要だった。
「弱っているところに付け込んで、押しきっちゃう無謀さがね、もうないんだよ。そんなことをしたら男が廃るとか言う美学は持ち合わせてないけどな。十年前の俺なら囲い込んで羽山をものにしてたな」
そう笑いながら言われてかえって安心した。こいつが居て本当に良かった。
「桜祭り?」
「そうワシントン」
「え、わざわざ行くのか?」
「わざわざ行くんだよ、お前にとっては最高の週末になると俺は思うんだが」
「まあ、特に他に予定もないから行こうかな」
「なんだその言い草は、言っておくがこれはお前に貸しだからな。いつか利息つけて返してもらうぞ」
ニューヨークからワシントンDCまでは鉄道を利用して三時間と少しかかる、往復にかかる時間を考慮して一泊ホテルをとっておくよと、御園は手際よく物事を進めていく。
ホテルに到着したのは、午後二時を少し回ったころだった。取り敢えずチェックインを済ませ荷物をフロントに預けた。
「あー、中途半端な時間に朝飯食ったから腹減ったよな。これじゃ桜見ても団子の方がいいとしか思えねえ。ホワイトハウス周辺に日本の屋台も出ているから、腹ごしらえに行くぞ」
やたらとはしゃぐ御園の顔を見ながら少し気持ちが柔らかくなった。
賑やかな通りで久々に屋台の日本のジャンクフードを楽しんだ。桜の花弁がはらりと舞った時に「この次の桜は一緒に見たいですね」そう言った桜井の言葉が脳裏を過った。
ポトマック川に沿った桜並木の下を歩く、御園は歩くテンポを合わせてくれる。こういう心遣いが出来るのは桜井も同じだったなと思う。太陽が傾き、桜並木をあかく染め始めた。
「綺麗だな」
ぽそりと声に出してふと横を見ると居るはずの御園がいない。
「え……」
つい今しがたまで隣に並んでいたはずなのに。どこではぐれたのかと辺りを見渡した視線の先に太陽を背に受けて影絵になった男が立っていた。
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