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第5話

棗を見上げぴくりとも動けなくなった僕を冷ややかな目で見下ろしながら、棗は告げた。 「ねぇ帛紗、今日も午後休だったよね?もう夕方だよ?今までどこで誰と何してたの?」 棗の言葉に僕の頭は一瞬にして冷えきった。これまで、土曜日は仕事を終えるとすぐに、ナツメグぱんだのスタジオに向かっていた。 掃除や消耗品の継ぎ足しを終えたら、晩御飯の支度をして、みんなが作業を終える18時頃には提供できるようにしていた。 今日は思っていた以上に織部と話し込んでしまって、時刻は既に17時と十数分をまわったところだった。 この部屋はスタジオとは違い、住まいであるため、掃除は普段からできているし、洗濯物も溜まっていないはずだ。消耗品だって、今朝、確認した時には切れていなかった。 となると、問題は食事だ。少し遅くなったものの、ちゃんといつも通り18時頃には棗に食事を出せるようにと帰って来たつもりだったが、それがダメだったのかもしれない。 謝ろうと口を開きかけた刹那、なかなか返事をしない僕を急かすように棗は言い募った。 「帛紗!聞いてるの?どこで何してたの?」 慌てて口を開くが、希に見る棗の怒った様子に混乱した頭では、言うべきことを上手くまとめられなかった。 「棗、ぼく……」 今日は…カフェで織部と会っていた。 「今日、織部と会ってて、それで、」 続けようとしたが、そこまで告げると棗の視線はさらに冷たさを増した。 「は?織部と会ってた?何で?」 織部と、会ってはいけなかったのだろうか。棗が織部を嫌っているだなんて聞いたことがない。むしろ、二人で話し込んでいるところをよく見かけたくらいだ。なら何故、棗は怒っているんだろうか? 機嫌が降下し続ける棗を前に、頭は混乱する一方だ。怒っているその理由が分からず、頭はますます混乱する。 確か棗は今、織部と会っていた理由を聞いていた。織部に会っていたのは、棗に必要とされなくなる日が来るのが怖いと相談をするためで、そしたら織部はきちんと気持ちを伝えろと言っていた。 そうだ、気持ちを伝えなくてはならない。 「あの、僕、好きで、ずっと言えてなかったけど、ちゃんと気持ち、伝えなきゃって」 棗が、好きだ。そばにいたい。もっとずっと側で棗のことを支えていたい。織部と話してそれを伝えようと思った。 「今さら、なんだよ。」 混乱しつつもきちんと伝えなければと言葉を紡いだが、それが棗をさらに冷たくさせた。最高潮に不機嫌な棗を前に、それ以上、何も言えずに固まってしまった。 これまで棗が怒りをあらわにするところを見たことがほとんどなかった。たまに寝不足で不機嫌なことや、何かとメンバーともめることはあったが、これほどまでに冷たい棗は初めてだ。 棗は美しいその顔の眉間に深いシワを刻み、聞いたことのない低い声で何かを呟いた。 しかし聞き取ることができず、聞き返すこともままならず、恐る恐るそろりと棗の瞳を見上げると、棗もこちらを見据えていた。 「帛紗、男もイケるんだね。」 棗はやはり怒りのこもった、しかし先程よりも遥かに落ち着いた声音で、確かめるようにそう呟いた。そして手を伸ばしてその骨ばったカッコいい指先で僕の頬にそっと触れる。 「ねぇ帛紗、織部より俺にしなよ。」 信じられなかった。棗が、何故かは分からないが、僕に触れている。こんな状況だと言うのに、その事実に気分が高揚し、棗の言葉が耳に入らなかった。 「気持ちよくしてあげるよ?」 棗は頬に添えた手をそっと耳へと這わせ、くすぐるように指先をバラバラに動かす。 くすぐったさに耐えきれず目を瞑って、思わず声にならない息をつくと、棗はその手を止め、今度は中指だけで耳から顎のラインをなぞった。 顎先にたどり着くと指先に力をこめ、僕の顔をクイっと上に向けさせた。つられて見上げた先に、怒りの奥にどこか熱を孕んだような、それでいて寂しそうな棗の瞳。 「な、つめっ、」 混乱と高揚で何も考えられなくなった頭で、ただ寂しそうな棗が気になった。名前を呼ぶが、近づいてきた棗の唇に遮られ続きは言葉にならなかった。

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