7 / 13
第7話
湖の三分の一まで来た辺りで船を止めた。水面を渡る風が心地よい。
「この辺でいいか?」
生き餌とルアーとを取り混ぜて、船尾と左舷、右舷に計六本の竿をセットする。生き餌は遥に見せないように気を付けて針に付けた。まぁ、小魚とイカの切身だ。あとは団子にしたコマセ....まぁどれかにはかかるだろう。
「遥、ルアー、どれがいい?」
ルアーのケースを開けて、遥を手招きする。
「これがルアー?キレイだねえ....」
小さな魚を模した疑似餌はどれも派手な蛍光色で、ピンクやオレンジの小さなウキが付いていたりする。
「水の中の魚を誘き寄せるんだ。小魚と勘違いして針に食いついてくるから、それを釣り上げる」
ーま、俺みたいなもんだ.....ー
と内心で呟いてみる。ある意味、ミハイルは標的を釣り上げるのが巧い。どれだけ迂闊な輩が見事に料理されたことか...。
「これがいいな」
遥が手にしたのは、可愛らしいレインボーピンクで小さな黄色のウキがついていた。
「虹鱒用だな、しっかり釣れよ」
ニヤリと笑う俺に遥はびっくりしたように訊いた。
「そんなの決まってるの?」
「釣る目的の魚によって一応、違うんだ。これは、日本で言うところのヤマメ、鮎。これはバス用だな.....」
浮き浮きと語る俺に遥がなおさら不思議そうに言った。
「ラウルは詳しいんだね....」
「よくオヤジと行ったからな」
俺は苦笑いしながら、ルアーを針につけ、ウキと重りを塩梅をみながらセットする。
「ラウル、器用だね。...それにすんげぇ楽しそう」
「好きなんだ、こういうの」
ぼいっと水面に仕掛けを投げて、竿を艫に固定する。
「おっさんぽい......けど男っぽくて格好いい」
ーまぁ、実際、中身はおっさんだからなー
俺にとっては、立派に誉め言葉だ。
「ありがとよ」
俺は遥にデッキチェアを勧め、俺も軽く腰を降ろした。
「後は待つだけだ。......魚が食いつくと竿が揺れるから、それまでひと休みだ。警護の兄さんも少しゆっくりするといい」
「しかし......」
なおも口ごもる桜木に、俺は畳み掛けるように言った。
「ここは日本じゃないから、あんたらを狙う奴らはいない。ここはミハイルのプライベート-エリアだし、周囲には俺のチームのヤツらが監視船出してる。水中もソナーでチェックしてる」
「厳重なんですね.....」
当たり前だ。こっちは命のやり取りは日常茶飯事だからな。
しばらく、ロシアの緩い夏の日を浴びながら、キラキラと光を弾く湖面を眺めながら、のんびりと邑妹(ユイメイ)の持たせてくれた紅茶を楽しむ。
「なぁ、ラウル.....」
遥が遠慮がちに、それとなく問う。
「レヴァントとはするの?釣り」
「する」
俺は手前の仕掛けをひとつ、確かめて答えた。
「まぁ、もっぱらあいつはデッキで本を読んでるけどな。あいつの竿にはよく掛かるんだよな、魚......」
ミハイルが、チラリと竿を見て、ー来たぞーと言うと、俺が上げにかかるんだけど。大物時にはさすがに手伝ってくれるけどな。ベーリング海の鮭はデカかったな。
「いいなぁ......」
遥が深い溜め息をついた。
「そういうの連れていってくれないんだ、隆人」
桜木が何か言いたげだったが、俺は目線で止めた。
「焦るなよ。そのうち、渓流釣りにでも連れていってもらえ」
遥と桜木が、ーえ?ーという顔をした。レヴァントの情報網、舐めるな。
「山奥なんだろう、本家?.....まずは弁当持って紅葉狩りとか花見とか、行けよ」
「シブイな、ラウル」
おっさんだからな。俺とミハイルの最初のデートはカフェで昼飯だったぞ。学生の時だけど。
「なぁ、小蓮(シャオレン).....いやラウル、あのさぁ....」
「ん、なんだ?」
俺は軽く竿をさびきながら応えた。
「ラウルは、釣り以外にも、レヴァントと二人で出掛けたりするのか.....その.....プライベートでさ」
「プライベート?」
「いや、あの......レヴァントもデートとかするのかな....と思って」
「デートぉ?!」
俺は思わず竿を取り落としそうになったが、遥の顔は至って真剣だった。イリーシャがわざとらしく横を向いている。これは真面目に答えねばいけないらしい。
「ん.......時々、エルミタージュ美術館に行って、帰りにカフェで一息入れたりするけど.....」
俺達の休日は学生だったあの頃と同じように過ごすのが、慣いだった。
「そうなんだ.....」
遥が俺の真似をして、竿を軽く動かしながら呟いた。
ピチッと、水面を小さな影が跳ねた。
「ラウルは美術館とか好きなのか?」
「美術館が好きなのはミーシャだ。俺はお供さ」
怪訝そうに遥が首を傾げる。
「レヴァントが?.....意外だな。ラウルは着いていって面白いのか?」
「ミーシャは絵画や彫刻が大好きなんだ。夢中になって観賞してる。俺は絵に夢中になって子どもみたいに眼を輝かせているミーシャを見るのが好きなんだ」
そう、大企業のCEOでもなく、マフィアのボスでもない、学生時代から変わらない、学問好き、東洋美術好きのミーシャの顔が、俺は好きなんだ。
「ふぅ.....ん」
「遥はさ......」
くいくいっと竿が小さくしなった。イリーシャの竿に鮒が食いついたらしい。小さいので、リリースした。
「隆人と、これからもずっと一緒にいるんだろ?.....ゆっくり距離を縮めていけばいいさ」
「ラウルはレヴァントとは長いの?」
「長いな...」
前の身体の時、学生のミーシャと出逢って、長いブランクの後、なんだかんだの紆余曲折があって、結果的に今の身体に入れられて、離れられなくなった。ある意味、二十年近い。本当にしぶといな、ミーシャ。
「だから、対等みたいなとこがあるのか.....」
中身はほとんど同じ年だからな。一コ違うけど。
「のんびりいけよ、遥。人生は長い.....」
「ラウル、本当にオジサンみたいだ」
おっさんだからな。......と湖面に目をやると、遥の竿が大きくしなった。ウキがかなり深くまで引き込まれている。イリーシャに目をやると、軽くウィンクした。『安全』は確保されている。
「来たぞ!遥」
遥と俺は、全体重を掛けて竿を支え、必死でリールを巻き上げた。
ともだちにシェアしよう!