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第7話

 湖の三分の一まで来た辺りで船を止めた。水面を渡る風が心地よい。 「この辺でいいか?」  生き餌とルアーとを取り混ぜて、船尾と左舷、右舷に計六本の竿をセットする。生き餌は遥に見せないように気を付けて針に付けた。まぁ、小魚とイカの切身だ。あとは団子にしたコマセ....まぁどれかにはかかるだろう。 「遥、ルアー、どれがいい?」  ルアーのケースを開けて、遥を手招きする。 「これがルアー?キレイだねえ....」 小さな魚を模した疑似餌はどれも派手な蛍光色で、ピンクやオレンジの小さなウキが付いていたりする。 「水の中の魚を誘き寄せるんだ。小魚と勘違いして針に食いついてくるから、それを釣り上げる」 ーま、俺みたいなもんだ.....ー と内心で呟いてみる。ある意味、ミハイルは標的を釣り上げるのが巧い。どれだけ迂闊な輩が見事に料理されたことか...。 「これがいいな」  遥が手にしたのは、可愛らしいレインボーピンクで小さな黄色のウキがついていた。 「虹鱒用だな、しっかり釣れよ」  ニヤリと笑う俺に遥はびっくりしたように訊いた。 「そんなの決まってるの?」 「釣る目的の魚によって一応、違うんだ。これは、日本で言うところのヤマメ、鮎。これはバス用だな.....」  浮き浮きと語る俺に遥がなおさら不思議そうに言った。 「ラウルは詳しいんだね....」 「よくオヤジと行ったからな」  俺は苦笑いしながら、ルアーを針につけ、ウキと重りを塩梅をみながらセットする。 「ラウル、器用だね。...それにすんげぇ楽しそう」 「好きなんだ、こういうの」  ぼいっと水面に仕掛けを投げて、竿を艫に固定する。 「おっさんぽい......けど男っぽくて格好いい」 ーまぁ、実際、中身はおっさんだからなー  俺にとっては、立派に誉め言葉だ。 「ありがとよ」  俺は遥にデッキチェアを勧め、俺も軽く腰を降ろした。 「後は待つだけだ。......魚が食いつくと竿が揺れるから、それまでひと休みだ。警護の兄さんも少しゆっくりするといい」 「しかし......」  なおも口ごもる桜木に、俺は畳み掛けるように言った。 「ここは日本じゃないから、あんたらを狙う奴らはいない。ここはミハイルのプライベート-エリアだし、周囲には俺のチームのヤツらが監視船出してる。水中もソナーでチェックしてる」 「厳重なんですね.....」  当たり前だ。こっちは命のやり取りは日常茶飯事だからな。  しばらく、ロシアの緩い夏の日を浴びながら、キラキラと光を弾く湖面を眺めながら、のんびりと邑妹(ユイメイ)の持たせてくれた紅茶を楽しむ。 「なぁ、ラウル.....」  遥が遠慮がちに、それとなく問う。 「レヴァントとはするの?釣り」 「する」  俺は手前の仕掛けをひとつ、確かめて答えた。 「まぁ、もっぱらあいつはデッキで本を読んでるけどな。あいつの竿にはよく掛かるんだよな、魚......」  ミハイルが、チラリと竿を見て、ー来たぞーと言うと、俺が上げにかかるんだけど。大物時にはさすがに手伝ってくれるけどな。ベーリング海の鮭はデカかったな。 「いいなぁ......」  遥が深い溜め息をついた。 「そういうの連れていってくれないんだ、隆人」  桜木が何か言いたげだったが、俺は目線で止めた。 「焦るなよ。そのうち、渓流釣りにでも連れていってもらえ」  遥と桜木が、ーえ?ーという顔をした。レヴァントの情報網、舐めるな。 「山奥なんだろう、本家?.....まずは弁当持って紅葉狩りとか花見とか、行けよ」 「シブイな、ラウル」  おっさんだからな。俺とミハイルの最初のデートはカフェで昼飯だったぞ。学生の時だけど。 「なぁ、小蓮(シャオレン).....いやラウル、あのさぁ....」 「ん、なんだ?」  俺は軽く竿をさびきながら応えた。 「ラウルは、釣り以外にも、レヴァントと二人で出掛けたりするのか.....その.....プライベートでさ」 「プライベート?」 「いや、あの......レヴァントもデートとかするのかな....と思って」 「デートぉ?!」  俺は思わず竿を取り落としそうになったが、遥の顔は至って真剣だった。イリーシャがわざとらしく横を向いている。これは真面目に答えねばいけないらしい。 「ん.......時々、エルミタージュ美術館に行って、帰りにカフェで一息入れたりするけど.....」  俺達の休日は学生だったあの頃と同じように過ごすのが、慣いだった。 「そうなんだ.....」  遥が俺の真似をして、竿を軽く動かしながら呟いた。  ピチッと、水面を小さな影が跳ねた。 「ラウルは美術館とか好きなのか?」 「美術館が好きなのはミーシャだ。俺はお供さ」  怪訝そうに遥が首を傾げる。 「レヴァントが?.....意外だな。ラウルは着いていって面白いのか?」 「ミーシャは絵画や彫刻が大好きなんだ。夢中になって観賞してる。俺は絵に夢中になって子どもみたいに眼を輝かせているミーシャを見るのが好きなんだ」  そう、大企業のCEOでもなく、マフィアのボスでもない、学生時代から変わらない、学問好き、東洋美術好きのミーシャの顔が、俺は好きなんだ。 「ふぅ.....ん」 「遥はさ......」  くいくいっと竿が小さくしなった。イリーシャの竿に鮒が食いついたらしい。小さいので、リリースした。   「隆人と、これからもずっと一緒にいるんだろ?.....ゆっくり距離を縮めていけばいいさ」 「ラウルはレヴァントとは長いの?」 「長いな...」  前の身体の時、学生のミーシャと出逢って、長いブランクの後、なんだかんだの紆余曲折があって、結果的に今の身体に入れられて、離れられなくなった。ある意味、二十年近い。本当にしぶといな、ミーシャ。  「だから、対等みたいなとこがあるのか.....」   中身はほとんど同じ年だからな。一コ違うけど。 「のんびりいけよ、遥。人生は長い.....」 「ラウル、本当にオジサンみたいだ」  おっさんだからな。......と湖面に目をやると、遥の竿が大きくしなった。ウキがかなり深くまで引き込まれている。イリーシャに目をやると、軽くウィンクした。『安全』は確保されている。 「来たぞ!遥」  遥と俺は、全体重を掛けて竿を支え、必死でリールを巻き上げた。

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