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第9話-2 (sideM )
「さて、坊や達が満足したところで、もう少し飲もうか」
私は隆人をテラスに誘い、取り寄せておいた高級スコッチの封を切らせた。
「レガシィのシングルモルトですか.....」
「嫌いかね?」
「いえ、あまり飲んだことがないので.....」
「シングルが良いかな?」
「いえ、ダブルで......」
ニコライが隆人の前にグラスを置く。芳醇な薫りが鼻腔を満たす。
「さて、本題に入るか.....」
私は琥珀色の液体を一口含み、目の前に緊張の面持ちで座る日本人の実業家の顔を改めて眺めた。いかにも日本人的な端正な面差し。感情が汲み取りにくいのは、東洋人の特徴らしい。ラウルは表情豊かだが、極めて例外なのはよく分かっている。
「御社の業績は極めて良好らしいな。漏れ聞くところによると社風の改革にも率先して取り組んでいるとか.....」
「お誉めにあずかり光栄です」
冷静だが温厚な態度を崩さない。まあ企業の経営者としては及第点だ。
「改革を進めるというのは、困難の付きまとうものだ。なかなかに苦労も多いだろう」
「ミスター-レヴァントも弱冠二十五才でお父上の事業を継がれて、改革に改革を重ねて、レヴァント-ホールディングスという一大複合企業(コングロマリット)を築き上げられた。......その手腕には敬服するばかりです」
型通りの賛辞を述べてくる。だが、そのようなことは、さして興味を引くものではない。
「人材にめぐまれました。それと......時代が味方してくれたのでね。我が国はペレストロイカを経て自由化を標榜し、新しい国になった。新しい国を動かすのは、やはり若い力でないと壁は破れません」
「羨ましい限りです.....」
私の言葉に隆人が深く溜め息をついた。伝え聞くにかなり古い家柄らしい。旧家というのは、どこの国においても古い因習の枷を負っているらしいが、彼の一族もきっとそうなのだろう。
「そう言えば隆人、せんだって東京で会ったおりに気になったのだが、遥はもっぱら習い事に日々を費やしているようだが、それは君のパートナーとしての『仕事』のためかね?」
私は私が疑問に思っていたことを単刀直入に訊いた。
「そうです.....」
やや言いづらそうに、膝の上に組んだ手を蠢かせて、彼は答えた。
「私の対の者として、加賀谷本家を代表する身として、それに相応しい品格と教養を彼には身に付けてもらわねばならない......」
「ふむ.....」
私は今少し、突っ込んだ聞き方をしてみることにした。
「では、彼は君の『家』のための道具なのかね?」
「違います!」
少々だが、隆人が声を荒げて答えた。
「私達は...見えざる力に寄って引き寄せられ、結ばれた番です。......互いに支え合い求め合う宿命のものとして」
「ふむ、これは失礼.....。つまり遥くんは、君の言う『宿命』を受け入れて、君と添うことを選んだパートナー....ということか」
「そうです」
隆人は、くいっ.....とウィスキーを飲み干した。動揺からか、指先がすこし震えている。
「なるほど......」
私は組んだ手の間から、彼をじっと見た。
「もうひとつ聞きたい。その『宿命』は、君の家の『宿命』なのか?それとも君自身の『宿命』なのか?」
「どういう意味ですか?」
隆人の眉が厳しく寄せられる。私は、彼の中の迷いが『そこ』であることを理解した。
「私は私とラ...いや、小蓮(シャオレン)との出会いも宿命だと思っている。君が君たちの関係について、全てを明かすことが出来ないのと同様、私達の関係についても明かすことは出来ないが、私達も神の見えざる手によって結ばれていると思っている」
「それを彼は、小蓮(シャオレン)は受け入れて貴方のパートナーになったのですね」
「それは違う」
私は慎重に言葉を選んで続けた。
「私達は互いに互いを求め、愛し合っている。私達を結びつけたのは、『恋』だ」
「恋?」
「私達の運命は、私達の思っていた以上に複雑に絡み合っていてね。ふたりでなければ乗り越えられなかった。私達は生死を共にする運命共同体なんだ」
そう、あの崔との戦いは、彼とでなければ、勝利することは出来なかった。生命を賭けた彼の『愛』が無ければ......。
「私は彼の全てを、過去も全て含めて愛しているし、彼もまた同じだ」
「何故、そう断言できるんですか?」
隆人が怪訝そうに訊いた。それは無理の無い話ではある。青春の苦悩多き日々を共に過ごした....その『過去』の上に私達の関係は成立している。その事は当事者の私達以外には誰も知らない。
「彼が今、私と共にいる。それが証だ」
隆人はますます怪訝そうに私を見た。
「小蓮(シャオレン)が、私もだが、気にしているのは、君が彼の、遥くんの全てを受け入れていないように思えるからだ」
「何故?何を証拠にそんな......」
むっとして、隆人が口を歪めた。
「では、隆人、君は遥くんの趣味を知っているかね?彼の好きなもの、彼のしたいことを......」
「そ、それは......」
隆人が口ごもる。
「小蓮(シャオレン)が気にしているのは、あまりにも、遥くんが『楽しむ』ことを知らないことだ。......ツーリングに誘った時、かなりショックを受けていてね...」
「小蓮(シャオレン)さんが......?」
「今回、君たちをロシアに招いたのは、君と遥くんを『楽しませる』ためだ。ここには、君たちを狙う者はいない。君たちの素行にとやかく言う者もいない。だから君たちは加賀谷隆人、高遠遥というひとりの人間として、ここでの休日を楽しんで欲しい。......それが小蓮(シャオレン)の希望であり、私の希望だ」
どうも、真面目過ぎて不器用な男のようだ。私は言葉に詰まる隆人に今ひとつ訊いてみた。
「君の趣味はなんだ?」
彼はしばし考え込んで呟くように答えた。
「陶芸.....です」
「ならば、遥くんと一緒に楽しんだらいい」
はっ......と彼の表情が変わった。それでいい。道のりはゆっくり歩むものだ。
私は、ニコライにふたりを呼んでこさせるように言った。
「娯楽室で待とう」
「えっ?」
私は訝る彼の背を軽く叩いた。
「パーティーはこれからだ。彼らも立派な『成人』だからな」
躾ける側も大人にならないと......などと言ったら、たぶんラウルに思い切り笑われそうなので、やめた。
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