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第3話
白蜜を掛けたみつ豆を、最初のうちこそ勢いよく食べていた白帆だったが、求肥を食べ、あんずの甘煮を食べ、蜜が絡む豆と角寒天を食べ進むうちに、少しずつ匙の動きが鈍くなってきた。
舟而は、そろそろ吐露するなと思う。
「来月はお役を頂けませんでした」
思った通り、白帆は胸のつかえを口にした。中学校で英語を教えていた舟而先生の経験上、生徒たちはものを食べるときと、風呂に入るときに本音を吐露する。
「それはよかったじゃないか」
舟而は口元に笑みを浮かべ、明るい声を出した。
「よくないです。役者がお役を頂けなくなったらお終いです」
白帆の目には早くも涙が盛り上がっている。
舟而は白帆の涙を包み込むような、穏やかな声で話した。
「白帆は毎日舞台に立ちながら、親方の身の回りの世話や、稽古や習い事もして、忙しく過ごしているんだろう? 役がつかない今こそ、存分に学ぶチャンスだと考えることはできないかい?」
「存分に学ぶチャンス、ですか……?」
白帆はおかっぱの髪を揺らして首を傾げた。
「シェイクスピアに、Prepare. If it isn’t now, they come to a chance sometime. 『備えよ。たとえ今ではなくとも、好機はいつか到来す』という言葉があるんだ。白帆も一人前の女形として花開くため、しっかり備えるには好い機会じゃないかと思うよ」
「備える……好機はいつか到来す……」
咀嚼するように言葉を口の中で繰り返し、白帆は不安げに舟而を見た。
「私に、ちゃんと好機は到来するでしょうか」
「もちろんだよ。声はじきに落ち着くんだから。そのときに白帆がしっかり備えていれば大丈夫だ」
舟而が微笑みかけると、白帆も硬いつぼみが解けるように、ふわりと微笑んだ。
「でも先生、備えるって何をしたらいいんでしょう」
「それが女形として役に立つことなら、何だっていいと僕は思うけど。浅草にいるんだから、観るものも聴くものもいくらだってあるし、本を読んでもいいし、ずっと川や空や花を眺めて過ごしたっていい。好い人がいるなら、恋の出入りを知るのもいいだろうし、芝居とは全く違う家や何かに手伝いに行ってもいいんじゃないだろうかね」
白帆は揃えた指先を自分の頬にあてる。思案するときの癖らしかった。
「私は芝居小屋の生まれで、今までお芝居以外のことなんて考えたこともありませんでした」
舟而はその言葉に寄り添うように頷き、かつて生徒を励ますときに引用していた言葉をもう一つ伝えた。
「Heaven doesn’t extend a hand of help to the person who doesn’t behave personally. 『天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない』という言葉もあるからね。親方に相談して、自ら行動してご覧」
「はい。親方に相談して、自ら行動して備えてみます」
白帆の答えに舟而は笑顔で頷いた。
「本を読みたかったら、いつでも僕のところへおいで。約束の仕事があるから、そんなに構ってやれないけれど、本だけはたくさんある」
「はい。寄せさせて頂きます」
白帆は花開くように笑った。
白帆を芝居小屋の前まで送ると、舟而は帰宅するなり書斎に籠もり、猛然と片づけを始めた。
机の周りに筍のように積みあがっている本を書棚に戻し、書き損じの原稿用紙はかき集めて千枚通しで穴をあけて紙縒 で綴り、書きかけの原稿用紙は作品ごとにまとめて縦と横を机に打ちつけて揃え、見回してみたらやけに書斎が広々と美しくなった。
「これで僕以外の人間も入って来ることができる」
満足げに笑みを浮かべてから、本棚の一角に選んだ本を詰めていく。
「もう読んでいるかもしれないが、『風姿花伝 』は何度読んでも役に立つだろう。シェイクスピアはもちろんいい。……ああ、でもあまり本を読む癖がついていないなら、初めは詩歌のほうが取り組みやすいだろうか」
窓際の明るい場所に、お夏が仕立て直したばかりのふっくらした座布団を一つ置いて、舟而はほっと息をついた。
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