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第6話

「女にしてくれ、なんて言うから、焦ったよ」  白帆を荷造りのために親方の家へ帰してから、舟而は土間と廊下の段差に座り、昼食の準備をするお夏に事の次第を話した。 「舟ちゃんこそ、女にしてあげたかったんじゃないの? 一瞬でも期待しちまったから、焦るんでしょ」  お夏は味噌汁を温めながら、横目で舟而を見る。 「そんなんじゃない。ただ、あの年頃でそんな思い詰め方をするのかって……」 「八百屋お七は『十六になります』って枕を交わしたんでしょ。白帆ちゃんだって十五だって言ってたじゃないの。そういうことを考えても自然よ」  お夏はいたずらっぽく笑った。 「舟ちゃん、惚れてるでしょ?」 「は? 誰が? 誰に?」  舟而はむきになって強い声を出した。お夏はとりあわず軽い口調を続ける。 「舟ちゃんと白帆ちゃん。相思相愛よね」 「何を馬鹿なことを。どっちも、どっちにも、惚れてなんかない。教え子と教師みたいな年齢だぞ」 「だから何なの? 白帆ちゃんは教え子じゃないし、この世には、もっとやっちゃいけない恋なんていくらでもあるでしょ。白帆ちゃん、いい子だと思うけど」  お夏は厳しい声を出した。 「あんた、いつまで過去を引きずってんの? いい加減に前を向きなさいよ。後ろには何も落っこちてないの。幸せは前にしかないのよ」  舟而は勢いよく立ち上がった。 「出掛けてくる。昼はいらない」  下駄を突っかけ、力任せに玄関の引き戸を開け閉めして、隅田川の土手へ向かった。 「お夏ちゃんのわからず屋。僕だって前は向いてる」  紙巻煙草を一本吸うあいだ、隅田川の水面を見た。ぬめぬめと光る滑らかな水面を見ながら煙草を挟む指に熱を感じるまで吸って、最後の一口を静かに吐き出し、目の前の川面へ投げ捨てる。煙草の火がじゅっと消えて、舟而は吾妻橋を渡った。  浅草暁天町の躍進座へ行き、親方に事の次第を話す。 「ということで、白帆の気が済むまで、僕のところでお預かりしたいんです」  親方は煙管(きせる)から吸い込んだ煙を吐き出しながら、何度も頷いた。 「先生はお忙しいし、ご迷惑だからやめろと何度も言ったんですがねえ。白帆は良くも悪くも一本気で、相済みません」 「いいえ。一本気だからこそ、一人前の女形になるという高い目標に目が向いて、目の前のことを見失ってしまうんですね。なるべく肩の力を抜いて、足元のできることをやらせるようにします。では、これで」 「お願い致します。白帆を女にしてやってください」  舟而はその言葉に引っ掛かって、浮かせかけた腰を落ち着けた。 「親方、『女にしてくれ』って白帆も言ってたんですけど、何か役者さんたち特有の言い回しですか」 「いいや。そのままの意味ですよ。白帆は『女にしてもらうなら、舟而先生がいい』と言い張ってます。面倒をみてやってください」  舟而はどちらとも返事をせず、本所区竹之郷町の借家へ帰った。 「先生、おかえりなさいまし!」  嬉しそうな笑顔で、白帆が玄関に出てきて膝をつく。 「ああ、ただいま。親方には話をしてきた。白帆の気が済むまで、僕のところにいなさい」 「はい! 至りませんが、どうぞお願い致します!」 「お前は、もう荷物を持ってきたのかい」 「はい。(くるま=人力車)を呼んで、自分と荷物を一度に運んでもらって済ませました」 「なるほど。ああそうだ。張り切るのもいいけど、ほどほどにしなさい。そうじゃないと、わざわざ親方のところを出て、僕のところへ来た意味がないからね」  白帆の頭をぽんぽんと撫でて通り過ぎた。昼に短い言葉をぶつけ合ったお夏は姿を見せず、舟而もわざわざ探して声を掛けることはせず、手水を使って書斎へ入った。  自分の個人的な感情や迷いとは別に、約束の仕事は果たさなくてはならない。

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