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第34話

 若旦那は汽車の時間に合わせて早々に帰って行き、余った茶菓子は大切に茶箪笥にしまわれたが、日持ちしないすあまや団子の類は白帆の口に収められた。 「素敵な方でよかったですねえ」  白帆は満面の笑みで、言問団子の白餡を口の端にくっつけている。 「お前さんは、甘い物を取り合わなくて済む、辛党の人間なら誰でも〝素敵な方〟なんじゃないだろうな」  白帆の口の端から白餡をつまみ取って自分の口へ入れつつ、舟而は眉間にしわを寄せる。 「先生は甘党でらっしゃるけど、素敵な方です」 「え。僕が甘党?」 「みつ豆をよく召し上がるし、いつもキャラメルを持ち歩いていらっしゃるし、先生は立派な甘党ですよ」 「ああ、うん。……そ、そうかも知れないな」  舟而は白帆から目を逸らし、お夏は袖で口元を隠し肩を震わせた。 「散歩に行ってくる。白帆、早くしなさい」 「はあい、只今! ……すみません、お夏さん。行って参ります」 「はいはい、どうぞごゆっくり!」  お夏は荷造りの手を止めて女中部屋からひょいと顔を出し、目を三日月形に細める。  白帆は繁柾の下駄につま先をつっかけ、玄関で待ちかねていた舟而と家を出た。  煙草屋の角を曲がり、吾妻橋へ差し掛かってから、ようやく舟而は口を開いた。 「どうしようかね。女の物は何一つ見当がつかなくて参るよ」 「考えたんですけど、白無地の反物なんていかがでしょう。お嫁ぎ先の様子がわかりませんから、あちらへ行って落ち着いてから、染めや仕立てに出して頂くってことで。例えば好きな色に染めて一つ紋を入れて仕立てれば、合わせる帯の格によって、どこへ着ていくにも便利なように思うんです」 「なるほど。では白帆丈ご贔屓の呉服屋へ行こう」  白帆は浅草駒形(こまがた)にある呉服店へ行った。割り合いに広い店で、棚一杯に反物があり、(えら)みが効く。  二人は下駄を脱いで、畳敷きの売り場へ上がった。 「白帆丈、少しお久しぶりですね。お歳暮ですか」 「こんちは。お歳暮もおっつけお願いしますけど、その前に白無地の反物が欲しいんです。相談に乗って頂けますか」  白帆が明るく事情を話すのを静かに聞き、店員は棚から反物を出す。 「お話を伺いますと、やはり垂れ物、一越(ひとこし)縮緬(ちりめん)が、じかにお役立て頂けそうですね。温泉旅館の若女将になられるのでしたら、綸子(りんず)もよろしいかと思います」 「綸子! お夏さんなら粋にも上品にも着こなしてくれそう」  光沢の多い綸子は、染め方や描き方、仕立て方によって上品にも下品にも、ときには爬虫類のようにもなる。  しかし、お夏の箪笥の中を一通り見せてもらった白帆には、お夏なら上手く生かしてくれると信じられた。 「丁度、四丈物(しじょうもの)のいい綸子がいくつかあります。桐生にいい機屋(はたや)がありまして、店主が直に言って織らせました。いかがでしょう」  店員は、反物を掴んでは腕の幅いっぱい引き出す仕草を二回も繰り返して、景気よく畳の上に綸子を広げた。  艶やかな紗綾(さや)紋のほか、波、雲、流水の文様があった。 「どの文様も慶弔どちらにも通じますね」 「全く僕だけの思いなんだけど、波と流水は避けてやりたい」  舟而が小さな声で言った。夫を川で亡くし、子供も流れた夏を思いやる気持ちに白帆も同意して、紗綾紋と雲紋を見比べる。 「お夏さんは夏の雲みたいに元気で、頼もしくて、ふんわり優しいから、私は雲がいいかな」  店員は頷いて、広げた反物を巻き戻した。 「あまりにも引き止めるものがない白さですから、手前共からのお祝い心に紅絹(もみ)を挟んでお包み致しましょう」  反物の巻き終わりに紅絹が添えられて鮮やかな紅白になり、さらに御祝ののしも掛けてもらって、二人は満足して店を出た。

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