36 / 94
第36話
「ゆうびーん!」
玄関の引き戸が開いて、紙の束を投げる音がした。
「ご苦労様でーす!」
最近担当の配達員は玄関の式台の真ん中に郵便物を置いて行く癖がある。
白帆は障子の桟にはたきを掛けていた手を止めて、式台に重なった郵便物を取り上げ、一つ一つ確認した。
「あらあ、間違えて住所を書いちゃったかしらん」
白帆は返送されてきたハガキに向かって唇を尖らせた。
白帆は招き猫柄のがま口を開けて、二つ折にした舟而の名刺を取り出し、名刺の裏にお夏に書いてもらった住所を、自分が書いたハガキと見比べる。
「合ってると思うんだけどな。先生、私の目が飛んじゃってるのかしら? 見て頂けます?」
舟而は原稿を書く手を止めて、名刺の裏のお夏の文字と、ハガキの表の白帆の文字を一字一句見比べる。
「合っているよ。お夏はそそっかしいから、番地でも書き間違えたんじゃないだろうかね」
「あちらは旅館なんだから、番地くらい違ってても、おまけして届けてくれればいいのに」
隣に座った白帆の尖った口に、舟而は軽く唇を重ねる。
「まぁまぁ。お夏の方からも手紙を書いて寄越すだろうから、そのときに本当の住所も分かるだろうさ」
白帆は唇に指先で蓋をしながら、小さく頷いた。
「ツン、ツン、テーン。ツン、ツン、テーン。ツン、テン、ツン、テン、ツン、テツツーン」
数日後、白帆が鼻緒をすげ直した下駄も軽やかに、口三味線を弾きながら上機嫌で踊りの稽古から帰ってくると、式台に大きな封筒が置いてあった。
「わーい! 先生っ、お夏さんからですっ! 厄落としをした甲斐がありましたっ!」
ばかっ調子に声を張り上げてから、玄関によく見る革靴があるのに気づいた。
「お邪魔しております」
客間から日比が顔を覗かせた。
「今日は栗鹿乃子をお持ちしましたよ」
「まあ、嬉しい! 今日は嬉しいことがたくさんです!」
白帆は封筒を胸に抱き、切れ長の目を細めて、おかっぱの黒髪を揺らした。
客間へ煎茶と一緒にお夏からの封筒を持って行くと、舟而はすぐに開封し、ボール紙の表紙を開け、薄葉紙をのけて、写真を見る。
白帆も舟而の肩に頬をおっつけて、写真を覗き込んだ。
「お夏さん、黒い着物をこんなに粋に着こなせるなんて、さすがですね。旦那さんも堂々としてて、写真映えがする。本当に役者みたい」
再婚同士だから祝言は挙げないと言っていたが、しゃっきりと立つ若旦那は黒の紋付袴、椅子に座ったお夏は束ね熨斗 文様の黒留袖の礼装で写っていた。お夏の表情には決意したという感じの心の強さが表れている。
「日比君も見てやってくれるかい」
舟而が写真を差し出すと、日比は銀縁眼鏡の奥の目を細めた。
「喜んで拝見します。……あれ?」
両手で受け取った写真に銀縁眼鏡を少し近づけた。
「どうした?」
「こちらのお相手の方は、役者みたい、ではなくて、銀杏座の役者さんではないでしょうか。竹之介 さんにそっくりです」
「竹之介? 私、小さい頃によく遊んでもらいましたけど、竹之介はもっと布袋様のよな、恰幅のいい男ですよ。やぁだ、人違いじゃないですかぁ?」
白帆が顔の横でぱったんと手を倒す横で、舟而が写真を改めてのぞき込む。
「この男、羽織に銀杏紋が入ってないか」
「中輪に一つ銀杏紋、銀杏座の紋ですね」
舟而と日比は顔を見合わせた。
「確かに中輪に一つ銀杏紋ですけど、銀杏座以外でも使われる紋ですし、偶然じゃないですか。だってお手紙も、ほら!」
白帆は同封されていた手紙を読み上げる。
「お舅様、お姑様も我が子のように可愛がってくださり、女将の仕事も初めてのことばかりで面白く、毎日があっという間に過ぎていきます。主人は舟而先生との約束に違わず、日々思いやりと真心をもって接してくれており、穏やかな家庭を築きつつあります。……って書いてありますよ?」
手紙の内容を聞いても、舟而は表情を厳しくしたままだった。
「そんなもの書こうと思えばいかようにでも書ける。僕だって里の兄に宛てて、実は五年前に白帆という名の妻を娶り、三歳の男の子と一歳の女の子に恵まれて、毎日賑やかながらも楽しく暮らしております。と書いて、近所の子供と一緒に写真を一枚撮ればいいだけだ」
「そりゃ、そうですけど。なぜお夏さんは、そんなことをしなけりゃならないんです?」
舟而は答えず、黙って親指を前歯にあて、写真を見つめていた。
ともだちにシェアしよう!