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第37話

 上野寛永寺近くに丸太普請の洗練された数寄屋造りの家がある。屋敷と呼んでも差し支えないほど大きな家で、玄関も銅板葺きの下屋を杉丸太の柱と梁がしっかり支えて立派だった。 「はあああああああああああ」  白帆は銅板葺きの下屋の前で深く深くため息をつく。 「頼むよ、白帆」 「助太刀致しますから」  舟而と日比に両側からなだめすかされ、白帆はようやく玄関の引き戸に手を掛けた。 「帰りました……」  季節外れで弱った蚊の鳴くような声だったにも関わらず、広い廊下の幅いっぱいに何人もの男たちが押し合いへし合い、途中で団子になってつっかえたりしながら、まろび出て来た。 「おかえり、白帆。待っていたよ!」 「白帆ちゃん、また一段ときれいになって」 「お嬢様っ、おかえりなさいましっ!」 「お嬢様ぁぁぁぁぁ! お久し振りですぅぅぅ!」  舟而の家の客間くらいはありそうな広さに男たちがぎっしり、白帆! お嬢様! 次々に呼ばう声に、白帆は頑張って口角を上げて見せる。 「ご無沙汰致しておりました。こちら、私が大変お世話になっている、小説家の渡辺舟而先生と日日新報文化部記者の日比さんです」  白帆が二人を紹介すると、男たちは一斉にしゃべりだした。 「まあまあ、白帆がお世話になっております。躍進座の親方から話は伺っております」 「きれいになったなあ、白帆!」 「よくいらっしゃいました」 「相変わらず可愛らしい! 目元は変わらないですね」 「立ち姿も美しくなって、匂い立つようです」 「日比さん、ご無沙汰しております。新聞拝見してます! お嬢がお世話になってるとは知りませんで失礼致しました」 「『芍薬幻談』読んでいます。毎日続きが気になって、こんなに読者を翻弄するなんて先生もお人が悪い」 「白帆はしっかりやっていますでしょうか。この子は昔から良くも悪くも一本気で、ときどきこちっとくるところがありましょう」 「お嬢様、そんなに長い時間玄関なんかに突っ立っていたら、お腹を冷やします!」  男たちは口々に言い掛けて、どの言葉が誰に向けられているものやら、声は混ざり、言葉は重なり、玄関のガラスがびりびり震えるほどの大音響に、舟而と日比も作り笑いを浮かべるのが精一杯だった。  一人の男性が、鶴の一声を上げた。 「玄関では何ですから、どうぞお上がりください」  するとまた男たちは口々に、お上がりください、どうぞどうぞと言って、同時に白帆へ無数の手が伸びる。 「じ、自分でできます」  白帆の抵抗空しく、白帆は抱え上げられ、下駄を脱がされ、そのまま神輿のように担がれて、客間へ運ばれて行く。 「本当に自分の足で歩く暇もないんだな」 「大切にされてらっしゃるんですね」  客間へ通されると、そこには鎮座させられた白帆と、二人の男性がいた。 「白帆の長兄にございます」  玄関で鶴の一声を上げた男性は、白帆の父親と言われても差し支えないような年齢で、風格がある。 「次兄にございます」  水を含んだようにしっとりとした仕草で、年齢は長兄に近そうだが、白帆と同じ真珠のような肌を持ち、どきりとするような美しさで微笑んだ。  その間にも、弟子たちが次から次へと甘い食べ物を運んできて、羊羹にカステラ、金平糖、落雁、芋ようかん、あんこ玉、有平糖、かりんとう、紅梅焼、最中、ボンボン糖など、座卓一杯に並べられていく。 「こんなに食べられないから」  甘い物に目がない白帆がたじろぐ量だが、二人の兄も、弟子たちもにこにこしている。 「持って帰ってあとでゆっくり食べればいいよ」 「小さい頃、白帆を駄菓子屋へ連れて行くと、めんこや弾き玉には目もくれないで、甘いものばかり欲しがっていたんだよ」 「金平糖をあまいとげとげと呼んでいてね。『ちい兄様、あまいとげとげ買って』と可愛らしい声でねだられて、よく買ってやったものだよ」 「お小さい頃のお嬢様は、露店でかるめらが膨らむのを見て大喜びして、手を叩いて『よっ、銀杏屋っ!』と声を掛けて可愛らしかったですよ。人を褒めるときは大向こうから屋号を呼ばうと、いつの間にか覚えていらしたんですね」  口々に思い出を語ってから、 「あの可愛かった白帆が、お嬢様が、こんなに立派になってねえ」  と感想が集約される。  日比は笑いをこらえきれず、白帆に膝を引っぱたかれた。

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