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第38話

 舟而は落ち着いていて、風呂敷包みの中から件の写真を取り出した。 「この写真をご覧頂きたいのです」 「おや、竹之介じゃないか」  次兄の言葉に日比は頷き、白帆は眉間にしわを寄せる。 「ええ? 竹之介ってもっと恰幅がよくて布袋様みたよな身体つきをしてなかったっけ」 「三年前に胃潰瘍の手術を受けたんだよ。それから食が細くなって、ずいぶん痩せちまった。別人みたいだろ? 暮れに郷へ帰っても、親が竹之介だってわからなかったってさ」  舟而は話を聞いて頷き、さらに問う。 「この写真、五面温泉の写真屋で撮ったようなんですが、事情はお分かりになりますか」 「今、竹之介は御頭領(おかしら)のお供で、暁天町の叔父さんのところへ行ってるので、少しお待ちください。御頭領が帰るまで、絶対に白帆を引き留めておくようにと厳命されていますので」  白帆は再び深いため息をついた。 「帰ったよ」 「おかえりなさいまし」  白帆は身体に染み付いた動きで玄関へ飛び出して行き、恭しく膝をつき、手をついた。 「おお、おお、白帆。よく帰って来た。ますますおっかさんに似て別嬪(べっぴん)になったな。おっかさんにも見せてやりたかったよ」  御頭領として礼儀正しく敬う白帆のおかっぱ頭を、父親の顔で相好を崩し、厚みのある手でくしゃくしゃと矢鱈滅多らに撫でまわす。  手水を済ませると、銀杏座の御頭領こと白帆の父親は客間へやって来て、ずらりと並ぶ甘い菓子を見た。 「おや、白帆は手を付けていないのか。腹でも痛いのか。可哀想に、どうしたんだ」 「あとで頂きますっ」  引っかき回されたおかっぱ頭を熊手のように広げた手櫛で整え続ける白帆の不機嫌な声に、御頭領はいたずらっ子のように肩を竦めて座布団へ座る。  それなりの年齢なのに、どっこいしょ、などと言わないのは、さすが日々鍛錬している役者だ。  その役者の威厳の前にも怯むことなく、舟而は堂々とした仕草で畳に手をついた。 「お初にお目にかかります、渡辺舟而と申します。今日はお忙しいところ、お時間を頂きまして、ありがとうございます。実は私の家におりました女中の夏が、五面の温泉旅館へ嫁ぐと言って出て行ったのでございますが、そのお相手がこちらの竹之介さんではないかと思いまして、事の真相をお教え頂きたく、お願いに参りました」  舟而の口上に慌てることなく、父親はゆったりと頷いた。 「舟而先生、白帆がお世話になっているそうですね。どうぞよろしく頼みます。『芍薬幻談』を毎日楽しみに読ませて頂いてます。躍進座の脚本も大好評でしたな」 「恐れ入ります」 「さて、竹之介とお夏さんのことでしたな。竹之介を呼びましょう。竹之介、竹之介」  呼ばれてすぐに客間の前へやって来たのは、地味な着物姿だったが、紛うことなきお夏の再婚相手だった。 「竹之介っ! どういうことっ?」  白帆が竹之介を睨むように見る。 「申し訳ございません」  竹之介は静かに畳に手をついた。  煎茶で口を湿らせた父親が淡々と話した。 「お夏さんが新橋で芸者をしていた頃の置屋の女将と、私は面識があってね。女将を通して頼まれたんだ。地味で堅気な暮らしに飽きてきた、今さら新橋とは言わないが、せめて温泉で芸者をしたい、見番(けんばん)との話はもう決まっている。ただ、それを正直に舟而先生と白帆に話すわけにはいかない。もしそんなことをしたら、先生と白帆は、うるさく引き留めてくれちまうだろうし、たんと心配も掛けるだろう。そんなことはしたくない、二人を安心させたまま、円満に家を出たいから、嫁に出るという筋書きで一芝居打ちたいと相談があった。そこで竹之介を相手に見立てて再婚という筋書きになった」 「じゃあ、お夏さんは、五面温泉で芸者をしてるってことっ?」  白帆が再び竹之介を睨む。その瞳はうっすらと濡れていた。  竹之介は頭を下げた。 「私は写真を撮ったなり、見番へ行くというお夏さんと別れて、その日のうちに東京へとんぼ返りしましたので、その後のことまではわかりません」 「ちょっと、言うことはそれだけっ? だいたい……っ」  さらに食って掛かろうとする白帆の胸の前に、舟而がすっと手をかざして押し留め、頭を左右に振って見せた。白帆は大きく息を吸い、吐きながらどすんと座布団に座りなおす。 「明日の朝、五面温泉へ行きます。夏が大変なご迷惑をお掛け致し、申し訳ございませんでした。このお詫びは必ず、また改めて伺います」  舟而は座布団から下りて畳に額が触れるほど深く頭を下げると、一人で立ち上がって写真を掴み、客間を出て行った。

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