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第39話
「ちょ、ちょっとお待ちくださいまし、先生!」
白帆が慌ててあとを追うと、玄関で下駄を履いた舟而は二重回しを手に、白帆へ厳しい目を向けた。
「白帆は躍進座の親方のところへ帰りなさい。日比君もここまでだ」
「どうしてですか?」
「二人には見せたくないものがあるかも知れない」
「先生と私の間柄で、なんで今さらそんなことをおっしゃるんですか。おお兄様、先生のこと引き留めてくださいっ」
白帆は客間にとって返し、信玄袋を掴んで飛び出そうとするところへ、弟子たちに風呂敷包みいっぱいのお菓子を持たされてから、長兄に押しとどめられていた舟而と、身支度を整えた日比と三人で実家を出た。
「とにかく最終回までの原稿を今夜中に書き上げて、明日の朝、日比君のところへ原稿を置いたら、その足で五面へ行くことにする」
「わたくしは支局に問い合わせて、話を聞いてみます。お夏さんが嫁ぐと言っていた旅館の名前と住所を教えてください」
日比は旅館の名前と住所を手帳に書き留めると新聞社へ帰り、舟而は白帆が作った焼きおにぎりを食べながら、夜を徹して原稿用紙に向かった。
払暁 、舟而と白帆は旅支度をして、俥で新聞社へ行き、夜が明けきらぬうちから文化部の日比のデスクを訊ねた。
「『芍薬幻談』最終回までの原稿、確かに頂戴致しました。長期間にわたる連載、お疲れ様でございました」
「こちらこそ世話になった。ありがとう」
言い合う二人の顔はどちらも晴れやかでなかった。
日比は昨夜と同じ三つ揃いを着ていて、どうやら新聞社に泊まり込んだらしい。
「支局に問い合わせました。お伝えしたいことは二つあります」
声は硬く、充血した目を何度も瞬きしてから言葉を続けた。
「まず一に、この旅館と住所は存在しません」
「えっ」
「そうだろうね」
驚いたのは白帆だけで、舟而は顔色一つ変えることなく小さく顎を引いて頷いた。
「それから」
日比は新聞の最下段にある小さな記事を青鉛筆で囲んだものを、舟而に向けて差し出した。
「これは地方版の記事です。全国版には掲載されていません」
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【五面 】五日午前七時〇五分頃、五面海岸の松林に於て、真つ白な着物を着た女の変死 体があるのを散歩中の旅行客が発見した。警察が調べたところ、多量の睡眠薬を服用していた。足は死してなほ乱れぬやふに心がけたものであらうか腰紐で束ねられてゐて、抵抗した様子は見当たらなかつた。袂に薬の空き瓶が入つていたが、その他所持品はなく、女は身元不詳のまま五面警察署に収容された。
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「発見が五日の朝、つまりは四日。お夏が出立した日じゃないか」
舟而は嘆息した。地蔵菩薩の前で白帆の下駄の鼻緒が切れたことを思い出す。
「記事には書いていませんが、身長は三尺八寸、体重は十三貫、綸子の雲紋様の白い着物を着ていたそうです」
白帆はもう両手で顔を覆って泣き出していた。舟而はゆっくり深呼吸して背筋を伸ばすと、白帆の背中に手をあてた。
「白帆はやっぱり留守番していなさい」
「嫌です。先生と共に参ります! こういうときほど離れず一緒にいるものでしょう!」
「でも、僕は気が進まないよ」
「じゃあ、先生一人でその傷を負われるおつもりですか! そんなのもっと辛いじゃありませんか。先生と私は一蓮托生です。私も一緒に参ります!」
泣きながら舟而を睨む白帆の姿に、舟而は腕組みし、天井を見上げ、次に足元を見下ろし、しばらくじっとしていたが、ゆっくり顔を上げた。
「わかった、一緒に行こう。一蓮托生だ」
日比が名刺を二枚くれた。日日新報本社 編集局文化部 記者、日比燿一と印刷された余白にそれぞれ、小説家 渡辺舟而先生 御紹介申し上げ候、躍進座役者 銀杏白帆丈 御紹介申し上げ候、と書かれていた。
「何かのお役に立つかも知れません。支局でも、警察でも、どこでもお使いください」
「ありがとう。大変助かる」
舟而は深くお辞儀をし、白帆も一緒に頭を下げた。
日比は黙って頭を左右に振った。
「わたくしにできることをしたまでです。道中お気をつけて。人違いであることを祈っています」
二人は静かに会釈をして日比のもとを辞し、東京駅から汽車に乗り込んだ。
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