40 / 94

第40話

「先生、お弁当食べましょ……」  白帆は途中の停車駅で、黄色地に青で波千鳥の絵を描いた掛け紙の駅弁を買ってきた。経木の箱に入っていて、掛け紙には『上等御辨當(弁当) 定()参拾伍(三十五)銭 空箱は腰掛の下へ御置き下さい』と書いてある。 「お茶もございますよ」  持ち手が針金で、蓋をひっくり返して茶碗として使える汽車土瓶も二つ持っていた。  赤い梅干と黒ごまが乗ったご飯と、焼き魚や煮物が詰め込まれたお菜の二段になった上等な弁当だったが、何を食べても味の良し悪しははっきりせず、二人はただ身体を養うために食べた。  『芍薬幻談』を書き上げるために徹夜した舟而の頭を、白帆は自分の肩に誘う。 「少しお眠りになった方がよござんす。五面に着くときには私が起こしますから」  舟而は素直に白帆の肩に頭を載せて目を閉じたが、一向に眠気は訪れず、あべこべに目尻に行くほど長い睫毛を下ろし、赤く艶やかな唇を緩めて俯く白帆の頭を自分の肩に倚りかからせて、五面駅に到着するまでの時間を過ごした。  五面温泉は海に面し、白い砂浜と松林が広がって、白砂青松の言葉そのままの美しいところだった。 「着物の裾にでも描きたいよな景色ですね。この潮風にあたったら、どんな病も治っちまいそうなのに……」  白帆はおかっぱの黒髪を潮風に吹かせながら、切れ長の目尻に溜まった涙を指先で拭った。 「まずは写真館へ行ってみよう」  写真台紙の裏面に書かれた五面写真館という名称を頼りに、高台の洋館を訪ねた。  大きな天窓のある撮影室に丸眼鏡で口髭を蓄えた主人がいて、舟而が写真を差し出すと目を丸くした。 「やあ、本当に訪ねてきた!」  部屋の隅の抽斗から、封筒を持ってきた。 「できあがった写真を送ったら、もしかしたら写真を持って訪ねてくる男性があるかも知れない、そのときはこの手紙を渡して欲しいと言われたんですよ。三ヶ月経っても来なかったら、この手紙は捨ててくれとも言っていたんたが」  宛名は書かれていなかったが、裏返すと細い字でなつと書かれていた。  舟而は手紙を受け取りながら、落ち着いた声で質問した。 「この手紙を託した女性はどんな様子でしたか。何と言っていましたか」 「記念写真を撮りたいと言って来ましたよ。少し前に奥様がお一人でお見えになって日にちの約束を頂いて、次にご夫婦で旅支度でお見えになって、紋付にお召し換えになってから、写真をお撮りしました。とても晴れやかな明るいご様子でした。このまま旅行へ行ってしまうから、できあがった写真はこの封筒に入れて東京のご実家へ送ってほしいと、手紙入りの住所を書いたものをお持ちで、切手代もお預かりしました」 「そうでしたか。旅行の途中なはずだのに、こんな立派な写真が届いたので、少しく不思議に思ったんです」  舟而は咄嗟に話を合わせ、弓型に目を細めた。 「手間をお掛けしました。確かに受け取りました。ありがとうございました」  舟而はにこやかに挨拶をし、白帆は「これ煙草一ツ」と懐紙に包んだ心付けをそっと置いて写真館を出た。  そのまま近くの見晴台に腰を落ち着けて、舟而は封筒の端を千切り、便箋を引き抜いた。 とほくまで来て下さってありがたう わたくしは一足先にまいります 何卒御ゆるし下さいませ とても仕合せでした 舟ちやんと白帆ちやんの御仕合せと御活やくを 心よりおいのり申し上げます いつまでもなかよくね             夏子  誰もいない見晴台で、白帆は両手で顔を覆って号泣した。白帆の泣き声が海から吹き上がる潮風に巻き取られて、高く空へ上っていく。 「お夏は何度も『次のところへ行く』と言っていた。昨日今日の生半可な気持ちではなく、ずっとこうしようと決めていたんだ。再婚相手の両親に会いに行くと言って出掛けたのも、この準備だったんだろう」  舟而は冷たい海風に黙って頬を打たせながら、遠くにある海の水を見た。 「うわあああああっ、うわあああああああっ、うわあああああああああっ!」  喉が裂けんばかりに白帆は叫び、繁征の下駄で地団駄を踏み、見晴台の囲いを掴んで揺すぶって泣いた。  舟而はマッチを取り出すと、咥えた煙草に火をつけ、同じ火で写真と手紙にも火をつけて、地面へ投げた。

ともだちにシェアしよう!