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第42話

「芝居にお詳しいんですか」 「好きだねぇ。本当は東京に住んで『今日は銀杏座、明日は躍進座』なんて言いながら、毎日通いたいくらいだけれども、難しいやね。たまの休みに汽車に乗って芝居小屋を見て歩くのが楽しみなんだ。『夢灯籠』は中日(なかび)に観たよ。やあ、あれは脚本もよかったし、演じてるあなたも新しい感じがしてよかったし、名作だったねえ」 「嬉しいです。ありがとうございます。先生にもお伝えします」  白帆は丁寧に頭を下げた。羽二重餅はにこにこ笑いながら、カルタのように数枚の写真を机に並べる。 「これ、ウチの管内で扱ってる身元不明の女の写真なんだけどね。さて、この中にお夏さんはいるかな?」  見せられた写真は五枚あった。  どこか宙を見ている若い女性と、全身泥まみれになって目を閉じている中年女性、頸に包帯が巻かれている少女、ぶよぶよ肥った顔をした年齢がよくわからない女性、そして静かに眠っているお夏。 「これです、この寝ているのがお夏さんです」 「ふむ。着物も見覚えある?」  今度はお夏の全身写真を見せられた。帯は黒留袖を着て写真を撮ったときと同じ、真珠色の地に銀糸で宝相華(ほうそうげ)文様を刺繍した袋帯と思う。膝は腰ひもで結ばれ、足袋を履いたつま先は揃ってまっすぐに伸びている。 「おそらく、この綸子でできた着物を着ていると思います」  白帆はお守り袋を差し出した。 「お夏さんが上野駅で別れるときに、先生と私に一つずつくだすったものです」 「ちょっと借りてもいい?」  羽二重餅が部屋を出て行き、記録係の男性はこちらに背中を向けたままで、白帆は机の上の写真を改めて見る。 「どうしてお夏さんが寝てる写真なんて……」  首をかしげて、すぐに合点がいった。そう思ってほかの四枚の写真も見ると、やっぱりそう(・・)で、白帆は思わずきつく目を閉じて手を合わせた。 「お待たせ。神様にお祈りする時間か?」 「いいえ、特に信仰はありませんけど。この方たち、皆さんそう(・・)ですよね?」 「ああ、そう(・・)だよ。怖かったかい、悪かったね。そんなに怖がらなくても、死ぬ前は生きてた人なんだけどね。どうしてこんなことになっちまうのか、やりきれないやね」  羽二重餅は慣れた手つきで写真を集めてまとめ、また廊下へ出て行く。  廊下で誰かと話す気配があって、部屋に戻って来た。 「では、お夏さんについて話を聞かせてもらおうか。素直に話してくれりゃ、怖いことは何にもないからな」  羽二重餅は糸のように目と口を細めた。  白帆は舟而に言い聞かせられたとおり、 「お夏さんは芸者になるとおっしゃったので、私と先生はお餞にこの綸子の反物を差し上げて、上野駅でお見送りしました。教えて頂いた住所へハガキを書いても戻ってきちまって、不審に思って日日新報の方にこの住所を調べてもらったら、実在しない住所だって。そんで、『人違いなことを祈ります』って、あの記事も一緒にくれたんで、驚いてここまで来ました」  と話した。さらに聞かれるまま、 「ええ、十歳の時にお家のご商売が傾いて、新橋で芸者をされて、そのあと結婚して、でも旦那さんが川に流されて、お腹の赤ちゃんも流れて、それで先生のところの女中になったって聞いてます」  と話したら、もう白帆の口から出るものは何もなかった。  羽二重餅は詰まらなそうに頬杖を突き、親指と中指の爪を突き合わせて、爪の垢をほじるとふっと吹き飛ばし、白帆は身をかわしてよけた。 「ところで、なんで先生は、お夏さんのことをわざわざ女中なんて言い方するんだろうね。実のお姉さんを、さ」 「は?」  白帆が薄く口を開くと、羽二重餅も白帆を真似て、は? と口を開いて見せてからかう。 「あれぇ? 聞いてないの? 沢井夏は渡辺舟而の実姉だよ。生まれてすぐ夏は養女に出されてるけどね。子供のうちならともかく、いい年をして一度も戸籍謄本を見たことがないとは思えないし、本人たちが知らないはずはないんだけどなぁ!」  白帆は深呼吸をした。気取られずに深呼吸する術は舞台の上で身につけている。 「ああ、だから『舟ちゃんのおしめを換えたこともあるのよ』って、お夏さんは笑ってたんですね。てっきりご近所だからとか、そんな風に思い込んでましたけど」  心掛けてゆったり笑った。

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