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第82話

 車が停まるとすぐに銀杏家の門人たちが取り囲み、車のドアが開けられたときには、足元から立派な総門まで、真っ赤な緋毛氈が一直線に敷かれて、その両脇はずらりと『銀杏家』と書かれた法被を着た門人たちが並んでいた。  舟而は刮目したが、長兄も次兄も当たり前の顔で、なぜか日比までもが堂々と緋毛氈の上へ足を下ろす。 「先生、堂々となさいまし」  次兄に小声で教えられて、舟而もさもいつものことだという体裁で緋毛氈の上に革靴を下ろした。  総門をくぐってからは、牛牛会の法被を着た男たちが玄関までずらりと並んでいる。 「役者でもなければ、これだけの視線の中を歩くのは簡単じゃないな」  小さく首を振り振り、とにかく長兄と次兄の後に続き、背後に日比を従え、玄関の中へ入った。  客間へ入っていくと、これまたどっしりとした床の間があり、『忠勇義烈』と力強く書いた軸が掛かっていた。  その前に紫色の縮緬の大きな座布団が四つ並べられていて、案内されるまま出入口から二番目に近い座布団に座る。  高台に乗せた煎茶碗が蓋をきせて運ばれて来て、さらに色とりどりの金平糖が添えられた。  長兄も次兄も一言も発せず泰然と座っており、舟而も背筋を伸ばしてそれに倣う。 「これはこれは銀杏の旦那。この度はわざわざお運びいただきまして」  出囃子(でばやし)をつけてやりたくなるような足取りで、軽く背を丸め、足早に恰幅のいい毬栗(いがぐり)男が進み出て来た。愛想よくへりくだった態度で長兄に話し掛ける。 「ご隠居様はお元気で」 「ああ。息災にしている」 「さよですか。それはようござんした」  それでは一席お付き合いくださいませ、とでも言い出しそうな毬栗男は、その代わりに 「本日のご用向きは」  と言った。 「これだ」  低い声と同時に長兄はざら紙を突き出す。 「どういう了見だ」 「へえ、渡辺舟而ってぇ危険人物が、何でもウチのシマで本を作って配ろうとしてるって話でございましてね。これからはペンは剣よりも強しという時代で、ピストルなんかよりも、本を書いて配られる方がよっぽど危ないって忠告をいただきまして、そいつぁてぇへんだってんで、このように書いていただきまして、大急ぎで配ったって訳ですよ」 「誰に忠告を受けた?」  長兄の問いに、毬栗頭は無邪気な笑顔で答える。 「七宝興行の森多部長さんでさぁ!」  舟而は天井を仰ぎ見て、大きく息を吐いた。 「何だかなあ……」  そのとき、長兄の向こうに座っていた次兄がすらりと立ち上がり、真っ白な足袋の裏で毬栗頭の額をぐいっと向こうへ押した。  毬栗頭は子供にいたずらされた蛙のように仰向けにひっくり返った。 「馬鹿だ、馬鹿だとは思ってたけど、本当にどうしよもない馬鹿だね、お前は」 「あ、(あね)さん?!」  毬栗頭は身体だけでなく声までひっくり返した。 「ここにおわす方をどなたと心得るんだい、日本一の脚本家、渡辺舟而大先生様だよ! ええい、頭が高い、控えおろう!」 「ははあっ!」  毬栗頭と牛牛会の法被を着た男たちは、訳も分からず居住まいを正して頭を下げる。 「今すぐ、回し状を撤回しなさい。そしてちったあその世間知らずを治すために、新聞くらい読みなさいっ!」  腰に手を当てて嘆息する次兄を見上げる毬栗頭へ、日比は静かに用紙を差し出した。 「日日新報の購読申し込み書です。こちらへ住所とお名前を」  その場で契約書に記入させ、拇印を捺させると、日比は満足げに頷いた。

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