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第93話

「深呼吸を三回されて、それきり……」  医者はその言葉に頷いた。 「先生、ご苦労様でござんした。楽しい地獄でございました」  白帆は舟而の頬を撫でた。  舟而の書斎はきちんと片付けられていた。  言われていた通帳は机の一番上の抽斗の中に、凧糸を十文字に絡げた古いキャラメルの箱と共にあり、さらにその下に原稿用紙が入った封筒を日比が見つけた。 ---- 『銀杏白帆という役者』  渡辺舟而  二代目銀杏白帆という役者がいる。  歌舞伎役者の家に生まれ(なが)ら、年の離れた兄たちに甘やかされるという理由で、新歌舞伎の一座へ移籍した。順調に数えの十歳で初舞台を踏んだが、十五歳の時、声変わりに焦れて思い詰め、作家の家に書生の名目で転がり込んだ。  役者のくせに女中のようなことをして、肉や魚や野菜を買って煮炊きをし、掃除や洗濯もし、庭の草むしりも、茶汲みも、原稿を届ける遣いもした。  ことに掃除には熱心で、締切に追い立てられている作家を、はたき片手に追い立てて歩くので閉口したが、片襷に前掛け姿で台所に立ち、拵えてくれる焼きおにぎりとコロッケは作家の大いなる原動力になった。  何を気に入ったのか、情に厚い性格が独り暮らしの作家を見捨てられなかったのか、そのまま野暮天な作家の家に暮らすことを決めて居着いた。  だから白帆は舞台の上では派手なライトを浴びていても、日常の暮らしは今をもって地味である。  白帆は書斎で本を読んで過ごすことが多い。  シェイクスピアも枕草子も源氏物語も芭蕉も西鶴も漱石も何でも読む。  それらの素地があって、二代目銀杏白帆は形成されている。  二代目銀杏白帆には、芍薬や牡丹の花のような重ねの厚い華やかさはない。その代わり、白百合や水仙のようなすっきりとした甘さ、美しさがある。  従来の舞台であれば、白帆の美しさは華がないという一言で片付けられていたであろう。  しかし、その地味で足元が(しっか)りした毎日の暮らしと読書三昧な教養の深さ、そしてもちろん日々のたゆまぬ芸事への取り組みが、時代の変遷に相俟って、銀杏白帆という新しい美人像を世間に受け入れさせたと思う。  すっきりとした美しさは、古典歌舞伎の表現には物足りないが、新歌舞伎の文学的な表現には適している。細やかな心理描写、深い文学性を表現するとき、むしろ華美は邪魔である。  彼のために多くの意欲的な脚本が書かれ、白帆はどの作品もよく理解して演じている。よく演じてくれるから、作家はまた脚本を書こうと意欲を掻き立てられる。よい循環が生まれている。  最近の白帆には、若く美しいだけではない落ち着きや滋味、長年一座を率いてきたことで養われてきた慈悲深さが、艶となって現れてきているように感じる。  年増を演じても客席をのぼせさせる色気があり、僕はあえて当代一の役者だと手放しで白帆を絶賛したい。  もしもまだ二代目銀杏白帆の舞台を観たことがない方、最近は観ていない方が居られるならば、ぜひ劇場へ足を運んで頂きたい。僕が彼を敬愛する理由がお分かりいただけると思う。  今後もどうぞ二代目銀杏白帆をご贔屓に。  銀杏屋! -----  抽斗の中の原稿は遺稿として、舟而の渋みのある笑顔の写真や、編集長の日比の追悼文、舟而の遺作となった世話物『終の女房』で女房役を演じたときの白帆の舞台写真と共に、日比が発行する雑誌に掲載された。  葬儀は言い渡されたとおりに、白帆が喪主を務めて執り行われた。  白帆は凧糸を十文字に絡げた古いキャラメルの箱を、切れ長の目を細め、鳥の雛を撫でるように柔らかくした指先で何度も何度も撫でてから、左前に着せられた白い着物の懐深くへしっかり納めた。 「懐かしいですね。よく戦争にも焼かれずに」 「ええ。先生は防空壕へ入るときも、必ずこのキャラメルだけは持っていて下さいました。『白帆が僕のところへ来てくれるように』って……。慰問にまわっているときに、機銃掃射で汽車が停まって夜の線路へ衣装の入った箱と一緒に転がり出たときは、さすがに先生と離れ離れになったと思いましたけど、私は線路とは全く違う道を歩いてしまったのに、駅に立つ先生のところへ辿り着くことができました。あのときもこのキャラメルがあったから、私は先生のところへ帰ることができたんだと思います。これは一蓮托生を叶えてくれるキャラメルなんです、きっと」  白帆は指先で目尻を拭いながら、少しだけ微笑んだ。  通夜でも告別式でも、紋付袴姿で立つ白帆は凛々しく、堂々としていて、挨拶も立派だった。集まった新聞社のキャメラにも動じることなく、しっかりと務め上げた。

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