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01 : 憂鬱の獣

 名門貴族として名を馳せるブルクミュラー家。  その歴代の当主たちが自慢にしているのが、贅を尽くして造り上げられた豪奢な舞踏室だ。『鏡の間』と呼ばれるその部屋は、国内外から最高の技術を精粋してつくられた歪みのないうつくしい鏡がずらりと並び、均等の間隔で奥まで続いている。それはこの家の権力と富の象徴であった。  だが今は、鏡が並ぶ分だけ悪夢が続く。  壁に掛けてある鏡の一つを覗いて、ハイネはそこに映し出された己の姿を見た。かつて自分の姿を確かめることは、ハイネにとって毎日の愉しみであった。鏡に映し出されるこの完璧に整った自分以上に美しい人間は存在するはずもない。そのことに満足するための行為だった。  だが。 「………このような醜い姿……っ…」  振り上げた拳が鏡に当たり、そこに映っていた化け物としか形容できない黒くおぞましい生き物が粉々に砕け散った。ハイネの手の甲からは生ぬるいものが滴り落ちる。長い獣毛に吸われながらも糸のように垂れ落ちる真紅の血。変わらないのはこの血の色のみ。呪わしかった。こんなにも醜い姿が己であるなんて。 「なぜだ、なぜこの私がこんな姿に……!!」  窓に手を付き怨嗟の言葉を吐きながら、世界の全てを呪おうかという目で外の景色を睥睨する。ここから見えるものすべてが絶望で染まればいい。そんな暗い願いを抱くハイネの視野に不意に何かがちらついた。  人、か?  いやまさか。この城にまともな人間などもういない。だいたいこの人里離れた場所にそうそう人が迷い込んだりするはずもない。もう一度目を凝らす。窓の外、眼下に広がるのは内庭に咲く一面の花々。それらが山の夜風に煽られて四方に首を振っていた。  やはり人などいない。嘲けるような笑みを浮かべて硝子窓から顔を引き上げようとしたそのとき。 --------いた。  折り重なった花々の陰に身を隠す、微かな息遣いを感じた。庭に確かに何かがいる。人だ。間違いない。ハイネが人間だった頃ならばこんな灯りもない夜に見えはしなかっただろう。だが今は野生の生き物のように夜目が訊く。  見れば内庭にいる人間はそれが罪になるとわかっているのか、恐る恐る左右を見ながら花を摘み取っている。ハイネの心に、残酷な思いがこみ上げる。  それがそのまま、耳まで開いた大きな口に笑みとなって表れる。獣人の顔で浮かべるその笑みは、まさに悪魔のごとき形相であった。ハイネは外套を纏って己の体躯を覆い隠すと、急ぎ庭へと向かった。

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