5 / 20

04 : おぞましい求婚

 商業都市の一角に館を構えるバロー家。  いつもは水夫や下働きの者たちで賑わうその館も、今日は水を打ったように静まり返っていた。が、その最奥の部屋からはときおり若い娘の金切り声が響いていた。 「嫌よ嫌よ嫌よッ!化け物の元へ行くなんてッ。あたしは絶対に嫌っ!」  叫んでいるのはシュトルテ譲りの美しい金髪に豊満な体を有した美少女だ。バロー家の次女で父に似た目鼻のはっきりとした華やかな顔立ちをしているが、美しさとともに激しい気性の持ち主としても知られている。大輪の薔薇と称えられる彼女の顔は、今はひどい恐怖に歪んでいた。 「落ち着きなさい、ローゼ」  ローゼと呼ばれた金髪の娘を宥めているのは、バロー家の長女。今は亡きシュトルテの妻に瓜二つだという、母性を感じさせる慈愛に満ちた顔立ちをした美女だ。 「まずはどうすればいいか、みんなで話し合いをしましょう」 「嫌よ、お姉さまっ。話し合っても無駄よ、あたしは絶対行かないわッ」 「……ローゼ…」  わめき散らしている次女を必死で宥めているものの、聡明で物静かな長女もさすがに今日は顔色を失っていた。それはこの世のものとも思えぬ姿をした使者がもたらした、一通の文のためだった。 『 愛すべきシュトルテ・バローの四人の子らへ  貴女らの愛する父君は、我が城の内庭にて許されざる狼藉を働いた。  その罪を父に代わって贖う者があらば、  明日の夕刻、我が城の使者が我が妻として迎えにいこう。  ただし名乗り出る者なくば、父君とは永久の別れになることを覚悟されよ。 』  この文を携えてきたのは、人の顔を持ちながらも手も足も獣のような毛で覆われた、化け物としかいいようのない男だった。その姿を見た瞬間、幼くか弱い三女はその場に卒倒した。そして次女は錯乱し、長女は震えが止まらなくなった。  使者があのような姿をしているということは、主はもっとおそろしい姿をした化け物に違いない。三人の娘たちはその想像に震え上がった。 「ですがお姉さま……誰かが行かなければ、きっとお父様がおそろしい目に遭われてしまう……」  鈴のような可憐な声でそう呟いたのは三女のミリア。まだ幼さを十分に残した白雪のような肌に、つぼみがそっと綻ぶような楚々とした笑顔が人を惹きつけてやまない。だが今は卒倒から正気に戻ったばかりでひどく顔色が悪い。そんなこともおかまいなしに、ローゼは三女に怒鳴り散らした。 「だったらッ!あんたが化け物の花嫁になればいいのよっ!そうしなさいよッ」  怒り狂う次女に、三女が泣き出す。 「なによ、泣いたりしてッ。お父様を心配してるようなフリをして、結局自分が行くのは嫌なんじゃないのっ」 「ローゼ。そのようにミリアを詰ったりしてはいけないわ。みんな悲しくておそろしいのは同じなのよ」 「ともかくあたしは嫌っ。お父様とお別れするのは嫌だけど、本当に罪を犯してしまったのなら、お父様だって自分で償う方を選ぶに決まっているわっ」 「お父様……本当にもうお会いできないの……?」 「もう……だからそうやってひとりでめそめそしてんじゃないわよっ」  三女はそう呟いてすすり泣き、ローゼはヒステリックに喚き立てる。  普段なら仕事を切り上げてきた父とのお茶の時間で賑わう部屋も、今日は陰鬱な沈黙と啜り泣きに満ちていた。が、一人、そんな暗澹とした空気を打ち破る者がいた。 「ローゼ。そんなひどい言い方したらミリアが可哀想だろ?」  バロー家を襲った不幸を知らぬかのような、そんな泰然とした様子で部屋に入ってきたのは一人の少年だった。彼を見て泣いていた三女が声をあげた。 「ココッ」 「ごめんなさい、俺だけ遅れて。切りのいい所まで論文を纏めてたらすっかりこんな時間で」  走り寄って来た三女を抱きとめながら少年は謝意を口にする。 「ココ、ココ!……お父様が、お父様が…!!」 「ああ。俺もさっき遣いの者から聞いているよ。可哀想に、ミリア姉さん。怖かったんだね」  そういってやさしげな手つきで姉の頭を撫でる。 「ミリア姉さんだって、どうしたらいいのか分からないけど、お父様のためにどうしたらいいか、一生懸命考えていたのでしょう?」  ココと呼ばれた少年はそう言って、そのまま震えていた一つ年上のミリアを抱き上げた。ミリアは気が緩んだのか、今度は弟の肩に顔をうずめて泣き出す。三女を抱き上げたまま、少年は机に置かれた封書に目をやった。  その途端。  滅多なことで驚かない鷹揚な少年もさすがにその内容に驚愕しているのか、大きく目を瞠る。 「姉さん、これが例の手紙………?」 「ええ。お父様を捕らえた方から送られてきた手紙よ」 「……この家紋は…………。ねえ、これがほんとに化け物さんからのお手紙なの!?」 「“化け物さん”、ですって?」  次女は顔を歪めてわめき出した。 「そんな可愛いもんじゃなかったわッ。あんたはまた学院に籠ってたおかげで会わずに済んだけどねぇ、あんたがのうのうと無駄な研究をしている間に、あたしたちはひどい目に遭ったのよ!それを今更ノコノコやってきて。この手紙を持ってきた使者なんて、悪魔そのものだったわッ」 「悪魔だって?」  金髪を振り乱す次女の罵りに、なぜか少年の目には恐怖ではない何か別の感情が宿った。 「ええ、悪魔よ!あんなもの見たらこの先ずっとひどい悪夢を見続けるに決まっているわ!」 「……ふぅん。そう、悪魔か。そんなに恐ろしい姿の。でもまだ学術的には存在の有無が証明されていないよな……」  ココは小声で興味深い、などと呟く。 「けどまあ、誰かが身代わりになればお父様も帰ってこられるのだったら、そうそう悲観することもないじゃない?」 「なんですって!?」 「うん、だからさ。俺が行っちゃってもいいでしょう?」  あまりにもあっさりと少年が口にしたので、部屋はしんと静まり返った。長女も次女も三女も目を見開いて末っ子である弟を凝視する。 「うん、他に希望者がいないようだから、俺で決まりだね」  じゃあさっさと支度しないと、などと言い残し三女を下ろして部屋を出て行こうとする。 「お、お待ちなさい、ココ!」  いち早く我にかえって呼び止めたのは長女だった。 「あなたは……この手紙の意味が理解出来ているの?」  沈痛な面持ちの姉に、対する弟は悪戯な笑みを浮かべる。 「姉さん。これはごくごく一般的なシャバル文字で書かれたごくごく一般的な常用シャバルド語だよ?いくら俺がこの家の末子でまだ子供だからって、仮にも王立学院の学者である俺にそんなこと訊くなんて、ちょっと傷付くなぁ……」  たしかに言語学は専門じゃないけれど、とココは嘯く。 「ココ、冗談を言ってるわけではないのよ、この送り主は私たちの中の誰かを自分の花嫁にすると言ってるのよっ?」 「四人の中の誰かであればいいと書いてあるんだろう?ならば俺が行っても問題あるまい。男の俺ではいけないというのなら、それを書かなかった送り主の落ち度だよ」  大胆なことを口にするココに、三人の姉たちは呆気にとられる。稀にみる早熟な天才と謳われる弟が風変わりな考えの持ち主であるとは十分承知しているはずなのに、それでもこうして唖然とさせられることが度々ある。だが長女だけは首を振って弟を諭した。 「相手は化け物なのですよ?人の常識が通る相手とは限りません」 「通らないとも限らないよ」 「けれど一番幼いあなたが私たちの代わりに恐ろしい目に遭わされるなんて。まして、もし、その。……妻の務めとして、閨の相手までさせられることがあったら……」  その言葉に、少年は盛大に噴き出す。 「姉さん、それは新手の残酷劇か喜劇?そんな心配するのはいくら相手が正体の知れない化け物でも失礼だって!」  自分にはない美貌を持つ姉たちを見つめながらココは笑う。 「俺みたいな不器量を抱きたがる物好きがいるわけないじゃないか!でももし手紙の送り主が俺の花嫁姿を見たいというなら俺はドレスを着てやるさ。頬に唇に紅をさせというならさしてやる。……あはは、自分で想像してもかなり笑える!男でも姉さんたちみたいな美貌に生まれていたならまだしも、この顔じゃとんだ笑い種だよ」 「……あ、あのねココ。お父様が捕まったのは、恐ろしい化け物なのよ。命の保証なんてないわ。お父様が帰ってこられるなら嬉しいけれど、あなたを失うなんて……私にはそんなこと選択できない」 「でもさ、恐ろしい化け物って言っても、恐いのは見た目だけで、もしかしたら中身は善人かもしれないじゃない」 「……あんたってホント馬鹿ね!そんなわけないでしょ!?」  楽観的なココの言葉に苛立ちを募らせたのか、次女が食って掛かった。 「あんたみたいな痩せっぽっちなんて頭から一口でバリバリ食べられるに決まってるわ!」  次女の言葉に、ココは目を丸くする。 「ローゼ?あなたが俺の心配してくれるなんてずいぶん珍しいね」 「……してないわよっ」 「でももし食べられちゃうのだとしても、化け物が人を食料にするっていう生態が分かって、ただで死ぬより多少知的欲求が満たされるというか……」 「そんなことで満足しないで頂戴っ!!」  長女が涙を貯めて叱咤する。 「あなたはこのバロー家の唯一の男の子で、父さまの寵愛もある身なのよッ」 「唯一の男だからこそ、何が起こるか分からない場所に女である姉さんたちを行かせられないさ。それに長男っていっても俺は学門の徒だからね。今更商人になって家は継げない。姉さんたちの誰かが婿を貰えばいい。なに、心配いらないよ。姉さんたちはみんなとびきり美人なんだから、きっとお父様に似た働き者のいい人がくるよ」 「ココ……」  三女がココの服の袖をぎゅっと握り締める。 「何も死ぬと決まったわけじゃないんだ。そんな顔しないでよ。手紙も書けたら書くから。ほら、早くしないと迎えが来ちゃうよ」

ともだちにシェアしよう!