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05 : 離別
夕刻。
約束の時間、バロー家の門前に豪奢な馬車が留まっていた。繋がれている馬は2頭とも滑らかで立派な黒の毛並みであったが、その瞳は赤く、ひどく不吉であった。
ひっそりと静まり返った館の前には、今にも倒れんばかりに青褪めた三人のうら若き乙女が並んでいる。
黒く長い髪を固く結い上げた母性を感じさせる知的な乙女、華やかな金の髪を波打たせた女らしい丸みのある体をした乙女、短く切りそろえた髪をリボンで結ったほっそりとして愛らしい乙女。
雰囲気や年齢や容貌はまったく異なるが、いずれも引けをとらぬ美しい少女たちである。使者のモーリッツは乙女たちを憐れに思うが、一方でこのうちの誰を差し出してもあの主の気が紛れるかもしれないという淡い期待もあった。
「それではお嬢様方。おひとり足らぬようだが、この中で我が主の花嫁となられるのはいずれの乙女か」
モーリッツが前に進み出ると、三人とも目を剥き、息を飲む。まるで悪魔でも見るような目だ。このような視線に晒されることなどとうに慣れたものだが、モーリッツは苦々しい思いで舌を打った。
「なぜ名乗りでないのか。もしや父上を見殺しになさるおつもりか」
その言葉に、如何にも気性の激しそうな金の髪の乙女が憎しみの篭った目で睨んでくる。化け物めと罵りたいのだろう、唇をきつく噛んでいる。
「ほう。こちらのお嬢様をお連れすればよろしいか」
モーリッツがそういって金髪の娘に手を伸ばすと、娘は金切り声を上げた。
「いやあぁぁっ触らないでぇッ!あたしは行かないわッ」
「ローゼ、落ち着いてッ」
「ローゼお姉さまっ……!!」
黒髪とリボンの乙女が、金の髪の乙女を宥めようとするが、恐慌は止まらない。
「嫌よ、嫌、嫌っ!化け物の花嫁なんて絶対嫌よっ触らないで!」
罵られることに慣れていたが、あまりに激しい金髪の娘の拒絶に暗い感情がモーリッツの胸に広がろうとしていた。そのとき。
「だから俺が行けばいいんだろう?」
館正面の扉を開けて、一人の少女が出てきた。召し使いだろうか。だとしたらなんとも貧相なものである。
枯れ枝のような細い腕で自身よりも重いのではないかと思われる大きな鞄と、革紐で結び上げられた幾冊もの分厚い本を引き摺るようにして運んでいる。その下女はモーリッツの前まで来ると彼を見上げて言った。
「お待たせして申し訳ない」
いや、少女ではなく、少年だった。痩せぎすの小さな体だ。見た目はかなり貧相であるが彼は乙女たちのようにモーリッツを恐れる様子もなく、礼儀正しく頭を下げながら言った。
「シュトルテ・バローの四人の子のひとり、末子のココです。約束通り俺が父の身代わりになります。この家の者としてご批難はすべて俺がお受けしますので、どうか姉の無礼な態度はお許しください」
モーリッツが驚きで動けずにいる間に、少年は自分で馬車の扉を開くと、両手にしていた荷物を積みだす。
「早く荷を積んでしまうので、日が暮れる前に馬車を出しましょう」
荷を積み終わってもう一度モーリッツを見上げると、少年はそのままモーリッツの獣のような毛むくじゃらの手に視線が釘付けになる。ようやく化け物の従者であることに気が付いたのかとモーリッツは心中で毒づくが。
「……ふぅん……たしかに人とは少々容貌が違うのだな」
そう興味深そうに呟いた後、少年は決まりが悪そうに頭を掻いた。
「ああ、不躾な目で見て申し訳ない。ですが俺は未熟者ゆえ、見慣れぬものは見慣れてくるまでじっくり見ないことには気になってしまうのです」
さらりと言い放つと、少年は馬車に乗り込んで自分で扉を閉じてしまう。そうなってからやっとモーリッツは我に返り御者台に上った。
「ココっ」
リボンをした乙女が窓に歩み寄る。
「こら。ミリア姉さん。あまり馬車に近づいては危ないよ」
「ココ、わたし、わたし…」
「大丈夫、頑張って父上を帰してくださるようにお願いしてみる。それに手紙も出来るだけ書くようにする」
「約束よっ」
年長の黒髪の乙女が目頭を押さえながら駆け寄る。少年は姉たちを安心させるために右手を差し出した。固く握手が結ばれる。
「ああ、約束しますよ、姉上」
その声を合図にモーリッツは馬を走らせた。車輪が回るたび、背後からは悲しみの声が大きくなっていく。少年は窓から身を乗り出し、いつまでも手を振り続ける。
だが不思議なことに、その顔にはどんな悲しみも絶望もなかった。
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