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06 : 変わり者の少年
従者のモーリッツは後々知ることになるのだが。
大商人シュトルテ・バローの四人の子供たちはたしかに有名であるが、稀に見るうつくしさで知られているのは三人の娘たちだけであり、末子の息子だけは変人がゆえにその名が知られていた。
「すごい。魔花や妖花がたくさん咲いてる……!!」
光も差さぬ山深きブルクミュラー家の領に連れて来ると、少年は馬車の窓に顔を貼り付かせんばかりに寄せて歓声を上げた。
「まさかこの世の中にこんなに綺麗な景色があったなんて。魔花や妖花がこんなに咲いてるなんて信じられないっ。この地には妖精がまだたくさん生きているって証拠だ。本当にすごい!!」
少年はうっとりと景色を眺めては感嘆の溜息を吐いている。これから化け物の館に連れて行かれるというのにあまりにも能天気な様子だ。
体が獣の姿である自分を見てもちっとも怯えないし、もしかしたらこの子は少々頭が弱い子なのかもしれない。そう疑っていたモーリッツだが、少年に話し掛けてみると彼が驚くほど魔妖花系の植物に詳しいことが分かった。
夜に妖精の姿になり、朝になると植物に変わる『半妖半花』。
引き抜くと獣のような悲鳴を上げる『鳥鳴草』。
月明かりで花の色を変える『月下明花』。
そんなブルクミュラー家の薬草園の管理をしているモーリッツもまだ知り得ていなかった薬草や花々の学名から特徴まで驚くほどに知識が深く、最近虫が付いて困っていた『夜鳴き木』の手入れの仕方まで少年は講釈してくれた。
「確かに『夜鳴き木』は妖虫が付きやすいですよね。あれは『月下明花』の蔓を火にくべてその煙で焚き染めると、虫が付かなくなりますよ。妖虫は月光が苦手でしょう?でも本当は月光自体が苦手なんじゃなくて、月光を浴びて魔花や妖花が分泌する芳香が嫌いなんですよ。
妖花の中でも『月下明花』はいちばん月光の感受性があって、この花の芳香が一番妖虫避けに有効と考えられています。……ああ、匂いなんてしないって思いました?実はあの花の匂いは人間の嗅覚じゃ知覚できないんです」
少年の整然とした喋りは、その貧相で野暮ったい見かけとは裏腹に聡明であることをモーリッツに悟らせた。
「あ。あれはヒカリノフクロ……っ!?うわ、夢みたいだ!!本当にきれいだね、モーリッツさんっ」
感激しきりの少年のほほえましい姿に、モーリッツは目尻を下げた。それはこの化け物の姿になってから感じたことのないあたたかな感情だった。
「ねぇ、モーリッツさん。後でこの花壇の土の性質を調べてみてもいいですか?」
屋敷の前に馬車を止めると、真っ先に降りた少年は身を屈めて妖しく光る花を眺める。それは丁度、彼の父親が罪と知りながらその花を手折った辺りだった。
「そうですね。我が主の許可が下りればよろしいかと」
「ありがとう!!」
少年は喜びを素直に言葉と笑顔で示す。
人から礼を言われることなどほんとうに久しぶりだ。長い間ささくれ立っていた心になにか温かいものが宿るが、それがモーリッツに警告した。
--------こんな純真な子供を、あの主の生贄にしてもよいのだろうか。あの主はこんな罪のない子供であっても、退屈しのぎに容赦なくいたぶるだろう……。
「……ココ殿。引き返すなら今です」
「モーリッツさん?」
「今ならまだ主はあなたに気付いていない。今のうちです。あなたが辛い目に遭うところを、私も見たくありません」
逃げなさい、とはっきり言うことは出来ない。ただモーリッツはまっすぐにココを見詰めた。逃げてしまいなさい。その思いをどうか汲み取ってくれと願いながら。だが少年は静かに首を振った。
「心遣い、ありがとう。でも俺は姉さんたちに約束したんだ。必ずお父様をお助けすると。それにあなたの主の大切な庭を荒らしてしまったことは申し訳ないけれど、それだってたぶん父が俺のためにしたことなんだ」
そして少年は心よりの尊敬を込めていう。
「父は心優しくて立派な、本当に素晴らしい方なんだ。家族のためにも父の貿易商のためにも、あの人を失うわけにはいかないんだ。俺なんかであの父の代わりになれるのなら、何度だって喜んで引き受けるよ」
ここにきてモーリッツの後悔は深まる。呪いの言葉を掛けられるほうがまだよかった。
--------あのわめき散らしていた金髪の娘でも連れてきていれば……。
あんな見かけばかりがうつくしい娘ならば、モーリッツの心は痛まなかっただろう。それがこんないたいけで心の優しい少年をあの狂気に駆られた主に差し出さなければならないなんて。なんて辛く罪なことなのだろう。
「モーリッツ!!何をぐずぐずしている、早くしないかッ!!」
突然のことだった。
城じゅうに雷のような怒号が轟いた。その野獣の唸り声に、少年も驚いたように目を丸くする。主に少年の存在を気付かれてしまったのだ。こうなれば最早家に連れ帰すことは叶わない。
「俺は構わないから、早く行きましょう」
ココは迷いのない目でいう。モーリッツは暗澹たる思いで、少年を連れて城に入って行った。
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