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07 : 大商人の愛息

「ああココよ、ココ。私の可愛い子!おまえはなんて父思いの馬鹿な子なんだッ」  涙を流すシュトルテを見て、悲劇の美女を待ち受けていたハイネの胸の昂ぶりは水を浴びせられたように冷めていた。 「馬鹿なんて酷いな。俺、この間の古代種植物の論文、学院で最高位のツェリチーニ学長賞を貰ったのに」 「ああ、ああ、そうともそうとも!その賞はおまえだけじゃなくこの父の誇りでもある。おまえが学問に秀でた類い稀な卓才であることなぞこの父はよく分かっているよ。  ……ただね、私はあまりにもおまえが優し過ぎることが悲しいのだッ。少しは自分の身を可愛く思う狡さを身に付けてくれたらいいものをッ!なぜ身代わりなぞ引き受けたのだ!!」  熱弁を振るうシュトルテに、少年はあたたかな苦笑と共に慣れた様子で受け流す。 「子供が家族思いにまっすぐに育ったんだ、親なら喜ぶべきでしょう、お父様?」 「喜べるものか!!これから老いていくだけのこんな父親如きのために、おまえのような若く可愛いらしく聡明で慎み深く優しく清い純真な心を持ち慈愛と献身の精神に溢れた素晴らしい天から授かった大事な大事なこの世の宝が犠牲になろうとするなんてッ………!!」 「もう、いつもいつも褒めすぎだってば」  とうとうシュトルテは言葉を詰まらせて、おいおい泣きながら小さな少年を固く抱き締める。  今ハイネの目の前で繰り広げられているのは、今時子供向けの人形劇でも見られない、滑稽なほどベタな親子愛だ。モーリッツが連れてきたこのみすぼらしい子供を見たときには「まさか」と思ったが、どうやらこの美丈夫のシュトルテ・バローと華やかさの欠片もないこのココという名の少年は、間違いなく血の通った親子であるらしい。 「……どういうことだ?なぜここにこんな汚い子供を連れて来た?」  後方に控えている従者に鋭く問うが、従者は返答に窮している。代わりに答えたのが、父の抱擁から逃れた少年だった。 「あなたがモーリッツさんの主ですね。約束どおり、シュトルテ・バローが四子、ココ・バローが父の代わりになるためにやって来ました」 「父の代わり、だと?」 「あの手紙は四人宛で着ていましたから、俺が来てもいいはずです」  少年は臆する様子もなく、小さな背をすっと伸ばしてハイネに相対する。子供と思えぬほど理知的な目だ。だがすばらしいと褒められるのもその澄んだ空のような目の色だけで、ココの容姿はとにかく酷かった。    グシャグシャにクセがついてふくらんだ赤毛、それでちゃんと息が吸えるのかと案じてしまうほど小さくて低い鼻、かさついて皮の捲れあがった小ぶりの唇、そして枯れ枝を寄せ集めて組み立てたかのような信じられないくらい細く貧弱な体。  何より最悪なのが到底触れたいとも思えぬ、粉が吹きガサガサと乾燥した肌だ。使い古しのカーテンのほうがまだ柔らかそうにみえるだろう。  悲しみの涙にくれるシュトルテを見なければ、この洗練さの欠片もない野暮ったい子供がシュトルテの子だとは到底信じられなかったに違いない。  シュトルテに似た美姫をさんざんにいたぶって恐怖と恥辱の底の底へ突き落とすことを夢想していたハイネは、連れてこられたココのあまりに酷い容姿にしばらく言葉もなかった。いっそのことシュトルテの目の前で引き裂いてしまおうかとすら考えた。  だが。今、化け物の姿のハイネを前にして少年は強い意思を感じさせる声ではっきりと言い放った。 「確かに父は罪を犯したのでしょう。ですがバローの家の者がこうして約束を守ったからには、あなたにも守っていただきたい」  恐れを知らぬ幼子の目だ。どうやら立派な心意気だけは父によく似たらしい。ならばこんな生意気な目をしたまっさらな子供を、絶望の淵に堕とすまで痛めつけてやるのも悪くないだろう。おまけにこんな子供でもシュトルテが寵愛しているならば、この子供をいたぶるほどにシュトルテに絶望を味あわせてやることも出来る。 「よかろう。モーリッツ。この男を牢から出し、我が家へと帰してやるがよい」  モーリッツがシュトルテを引き立てたると、シュトルテは今まで以上に悲壮な顔で我が子を呼ぶ。 「ああ、ココッ、ココ!!」 「よかったな、これで貴様は自由の身だ。ただし貴様の愛する子は永遠に私の虜囚となるッ!!」  その言葉にシュトルテが生きて地獄を覗いたような顔になる。 「お、お許しをッ…どうか息子に御慈悲をッ」  その絶望の悲鳴が心地よい。はずだったのだが。 「あれ?そういえばお父様、随分窶れちゃってますね」  モーリッツに引き摺られていく父の前にひょっこり進み出ると、少年はこの場に似つかわしくない落ち着いた様子で言い出す。 「囚われの身とはいえ、貴族様のお城にいるっていうからどれほどの扱いを受けていたのかと思いきや、たった二晩でこれほど痩せてしまうなんて。きっとお父様はさぞかし粗末なモノでも食わされていたんですね。虜囚にまともな食事も与えぬとは、貴族といえども吝嗇なのですね」 「……ッ……誰が吝嗇だとッ?!」  ハイネがびっしり生えた牙を剥き出しにせんばかりに、真っ赤な口を左右に開いて激昂する。連れて行かれようとするシュトルテがひっと息を飲む声が聞こえる。目の前の少年も、目を見開いたままハイネを凝視する。この暢気な少年も悪魔の如き形相を見て、さすがに言葉が言えぬほど恐れをなしたか。  ハイネはそんな自虐的ながら暗い満足を覚えてココを見下ろしたのだが。 「……へぇ、異形歯性の特徴があるんですね」  しげしげと医者のようにハイネの口内を見つめた後、ココは感心したように喋り出す。 「上あご側に切歯3本,犬歯1本,前臼歯4本で,たぶん後臼歯が2本。下あごは切歯犬歯前臼歯は上と同じで,後臼歯3。左右合計42本でこの配列ってことは、あなたはひょっとして魔獣じゃなくて狼なのかな?まぁ犬も狼と歯性の特徴は同じだから犬かもしれないけれど。  それにしたって口と鼻とがこの形状でなんで人間のように喋ることが出来るのかって言う方が神秘だよなぁ。だって人が声と呼ばれる音を発するための口内や咽喉には形状的に重要な要因があるのに、狼の口内と咽喉にはそれとはまったく違う特徴があるのだから--------」 「………なんなんだ、おまえはッ。モーリッツ!早くこの子供を牢へ放り込んでシュトルテを帰しに行くがいい!」  恐怖の欠片も見せぬばかりか、化け物の自分に興味まで見せる少年に、ハイネは深く戸惑い苛立った。対する少年は日の当たらない地下の牢に繋がれることを宣告されたというのに平静そのものであった。 「牢には自分で入っておくから大丈夫だよ、モーリッツさん。べつに逃げ出したりしないから、あとでゆっくり鍵を掛けに来るといいよ。それより父のこと、くれぐれもよろしくお願いします。  ああ、俺の荷物は一緒にこの牢の中に入れさせてもらうからね。ペンと本がない場所では俺生きられないもの」  逆にペンと本さえあればどんな牢獄であろうと生きられると言わんばかりの様子である。さすがにハイネもこの子供をいたぶろうとする気勢が殺がれ、さっさと自分の部屋に引き返していく。  そんな主の姿を、モーリッツは驚きを隠せない目で見ていた。

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