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11 : 目覚め
--------このまま自分は死んでしまうのではないか。
ココがそう覚悟したことはこれまでに何度かあった。
一度目は何歳であったかも覚えていない幼い頃、流行り病に罹って療養所に隔離されたとき。二度目三度目もやはり悪疫に罹患して高熱を出したときで、四度目がつい最近、勤め先である王立学院の地下で偶然隠し書庫を見つけたときだった。
幾重にも封印の魔術が施され隠されていたその書庫には、学院創設の伝説的大賢者ガルガウニの秘密の論文が秘匿されていた。それを思いがけず発見したココは、その興奮とこみ上げる探究心のまま寝食も忘れ夢中でその場で読み耽った。
そして数日後、極度の空腹と疲労で意識を失ったらしい。
幸い行方不明になったココを探してくれていた学院の友人に運良く発見されたが、友人が探し当ててくれなければあのまま秘密の論文と一緒に自分の白骨もあの隠し書庫に眠ることになっていたかもしれない。
もっとも学者としては、歴史的偉人の優れた著書に囲まれて死ぬことは本望の限りなのだが……。
「おおっ坊や、目が覚めたんだね」
ココが瞬きをしてゆっくり目を開くと、自分のすぐ傍で歓声が上がる。しわがれているが柔らかく、不思議と耳に心地よい声だ。
「あの…あなたは………?…痛ッ……」
「ああ、こらこら駄目だよ。君のお尻には火傷があるのだから無闇に起き上がろうとしてはいかんよ」
そういって自分を寝かしつけようとしているのは、初老の男だった。少々太り気味の体にやさしげな瞳をした老人だ。そしてその手足は兎のような白く長い毛で覆われていた。異形である。
それを見て、ココは自分が父の身代わりになるためにやってきた城にいるのだということを思い出した。
「……あの、貴方は……?」
「儂は代々この家に仕えている医師だ。クラストという」
「クラスト先生……」
ココが呼びかけると、老人は恥ずかしそうに俯く。
「ただの長く生きているだけの爺さんだよ。そうだ、目が覚めたのなら蜜を落とした紅茶でも持ってこさせよう。ああ、それとなにか栄養価のよい食事を。おい、マルタさんや。坊やが目を覚ましたぞ!」
医師が声を掛けた方に視線をやれば、戸口のほうで数人のメイドたちがなにやら揉めているようだった。みな、部屋の中を覗いてココの様子をしきりに気にしている様子だ。
やがて彼女たちの中からひとり、マルタと呼ばれた夫人がお茶の支度を持って部屋に入ってきた。だが茶器と焼き菓子の載ったトレイごとクラストに託すと、ココと視線を合わせぬまま足早に部屋を出て行ってしまう。
他のメイドたちも姿を隠すようにそそくさと引っ込んでしまった。
「どうか悪く思わないでおくれ、坊や。彼女たちはみなおまえさんをえらく心配していたけれど、呪われてしまった自分の姿を普通の人間に晒すのは耐えられないのだよ」
マルタもまたエプロンドレスから伸びた手足は獣のように長い毛に覆われていた。寝台にうつ伏せの姿勢のままクラストの淹れたお茶を受け取ると、ココはさりげなく聞いた。
「ではここにいる人たちは、元々あのような姿をしていたわけではないということですか」
「ああ、本当は坊やと同じ普通の人間だったのさ。あの若君もね」
「若君というのは、あの狼のような獣人の方のことですか……?」
クラストは悲しげに目を伏せ、口を結ぶ。この老医師は自分が仕える主のことを話すのは言葉にするだけでも辛いようだ。
「…………バロー家に頂いた、あの封筒の印璽とこの城の門扉の家紋……」
「家紋?それがどうかしたのかね?」
「精霊花を象った枠に双剣が交差する意匠は、この国の三大貴族の一つ、名門ブルクミュラー家の家紋だったはず。ここは百年戦争のときに武功を上げたブルクミュラー家のお城ではありませんか?」
医師ははっと息を飲む。何を言うかしばらく逡巡した後、観念したように医師は喋り始めた。
「……いかにも。ここはブルクミュラー家の別邸『薬種の館』だ。おまえさん、まだまだ幼い子供のなりだが、なかなか世情に詳しいようだね」
「いえ、この国でブルクミュラー家を知らない者を探す方が難しいですよ。それに俺は………」
今度はココが言葉を飲み込んでから、医師に尋ねる。
「それにしてもなぜ?あの獣人は……いえ、あの御方はブルクミュラー家のご嫡男であるハイネ・アマデウ様なのでしょう?二年前にアリマス王国にご遊学され、今年も新年祭にもお帰りにならずあちらで過ごされていると聞いていましたが……それは偽りだったのですか?」
「……まったく、子供の洞察力も侮れんものだな」
クラストは驚きを示しながらも切なげにこぼした。
「あれが若君だと、大旦那さまも奥方さまも誰も信じなかったというのに。なんの面影もないあの姿を見てなぜ君はブルクミュラー家のハイネ様だと気付いた?……いや、こんな質問は無意味だな」
「どうして先生やハイネ様がそのような姿になっているのです?」
クラストは顔色を曇らせ、トレイの中にあった色鮮やかな砂糖菓子をつまみあげる。
「坊やはお菓子は好きかい?」
思慮の深い少年の顔が見る間にぱっと明るくなる。
「お菓子?そりゃ大好きですよ?」
「ほう。どんなものが好きかね」
「どんなものでも。とくにこういう砂糖を練ったものが好きです。焼き菓子もカカオも好きですけど」
「なら好きなだけお食べ」
医師はココの存外子供らしい一面に目を細めた後で、小声で呟いた。
「こんなものがおまえさんへの罪滅ぼしになるとは思わないが……」
「魔女の呪い?」
ココの問いに老医師は頷いた。クラストが話してくれたことはこうだ。
ある夜会の帰り、ブルクミュラーの若君は相手が魔女とは知らず、宿を探していた老婆に心無い言葉を浴びせあしらった。そんな若君の傲慢な態度にひどく腹を立てた魔女は、若君と若君に仕える者たちの姿を獣のように変えてしまった。とくに若君の姿は恐ろしく醜いものに。
「以来大旦那様は幽閉されるように若君をこの別邸に隠され、儂ら姿を変えられた従者もみなここでこの呪われた姿を隠すように暮らしている」
「……そうでしたか」
ココは神妙な顔である。だがそこには浅薄な労わりや同情の念は宿っていなかった。代わりになにか使命感にでも駆られたような、強い感情が宿っていた。
「先生。その魔女はいったいどんな容貌でしたか?」
「何?」
「この辺りの地域にいる魔女っていうと、キャゾッカの山岳にいるあの長命の女系一族のことかな?それとももう少し西寄りの黒翼の樹海にいる有翼人種族のことなのかな?」
クラストの話に聞き入っていたココだが、話が終わると医師に矢継ぎ早に質問しだす。
「いやわからんな。生憎儂は少数民族についてはあまり詳しくないもんでね」
「外見的な特徴だけでもいいんだ。髪は長かった?編んでいた?着ているものの色は?身に着けていたものは?肌の色は?それが分かるだけでもだいぶ判断材料が増えるんだ」
「そんなこと言われてもなぁ……坊やはなぜそんなことを知りたいんだ」
「どの種族のどの系統から派出した呪いか判明すれば、もしかしたら呪いを解く方法が見つかるかもしれないからです」
赤毛の子供は、きっぱりと言い放った。
「呪いを解くだってっ!?」
「正直俺の専門は妖花とか魔木とかの植物学で、魔術呪術関係はまだ学生だった頃に必修で体系をさらっただけだけど、学院の友人に少数民族出身で、しかも少数民族固有の伝承魔法や呪いを専門で研究しているヤツがいるんだ。そいつに力を借りれば、先生たちにかかった呪いを解明できるかもしれない」
「坊や……そんなことはしなくていいんだ」
医師は力なく少年の頭に手を置いた。
「おまえさんはこれからたっぷり食べて、しっかり体力をつけることを考えていればいい。そうすれば生き延びられるのだから」
申し訳なさそうに顔を伏せ、クラストは諦め切った目でいう。
「坊やは知っているだろうが、ブルクミュラー家はこの国、いやこの大陸で一番の薬草園を持ち、王室に献上される最上級の薬草もほとんどがこの家の園庭から摘み取られている。だがその国宝級の薬草を尽くしても、この呪いを解く妙薬はついに出来なかった。……我々は魔女の怒りを買った報いを受けなければならない。逃れることなぞ出来ないのだよ」
長い毛で覆われた両手を見つめ背を丸める老医師の姿は、ますます老いて見えた。
「先生……」
「気持ちだけで十分なんだ。分かってくれればいいんだよ。さあお食べ」
「………たしかに先生にも出来なかったんだから、俺みたいな子供に呪いが解けなくて当然だよね」
慇懃な言葉を装っているが、ココの言葉には隠し切れない挑戦的な響きがあった。
「でも。でもさ、どうせ俺を役立たず扱いにするなら、本当に役に立たないことを確認してからでもいいんじゃない?俺はちゃんと自分の手で本当に呪いを解くのが無理なのか確かめたいんだ」
若さゆえなのだろうか。挫けたことがないからだろうか。ココの目に曇りは無い。クラストは胸が引き絞られる思いだった。それを察したかのように、ココは申し訳なさそうにいう。
「我が儘言ってごめんね、先生。でも俺は俺には無理だと納得するまでは、呪いを解く方法を探すのを諦めたくないんだ」
幼い子供のあまりに真摯な目に、医師の目にじわりと熱いものが滲んだ。かすれそうになる声で、もうひとつ砂糖菓子をたべなさいと勧めた。
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