13 / 20

12 : 微かな希望

「ハイネ様ッ!!」  近づいてくる駆け足の音。自分の名を呼ぶ従者のいつになく弾んだ声が不愉快だった。 「騒々しいぞ、モーリッツ」  従者は申し訳ないと謝辞を口にしながらも、やはり嬉しさを隠せぬ様子で告げた。 「ココ殿が気付かれましたよ」  死の淵を彷徨っていた子供は、どうにかこの世に生を留めたらしい。少しばかりだがその事実に心を動かされたことを従者に悟られたくなくて、ハイネは気のない様子で外の景色に視線を移す。内庭に咲く一面の妖精花。それは今日もゆらゆらと揺れて神秘的な淡い光を発していた。 「お会いになられますか」 「なぜ私が」 「ココ殿の体調をあれほど気にされていたでしょうに」  赤毛の子供は高熱を出してからは地下の牢ではなく、客室の上等な寝台で休ませている。これだけの温情を掛けてやったのに、ただで死なれるなぞ冗談ではなかった。 「ふん。何の恩も返されず無駄に死なれてはたまらんからな。……そこまでお前が言うのなら会ってやらんこともない。今すぐあの子供をここへ連れて来い」  モーリッツは顔色を曇らせる。 「ココ殿は意識が戻られたばかりで、まだ起き上がるのも難しいはず……」 「私はつれて来いと言っているのだ」  ハイネは頑なであった。従者は頭を力なく垂れると部屋を出て行った。  モーリッツが客室を訪ねると、ちょうど老医師がココの火傷の包帯を替えているところだった。ココは寝台にうつ伏せになった状態で、医師のクラストがその患部に薬液を塗布している。  ココは羽枕に顔を埋めぴくりとも動かない。だがシーツを握り締める指は痛みを堪えるためか、固く強張って白くなっている。 「凍みるじゃろうが、火傷にはこれが一番効く。このまま少し堪えておくれ」  滑らかに盛り上がっているその尻の片側、焼き鏝を当てられた場所は赤黒く爛れて盛り上がっている。改めて朝の光の下で見ると痛々しい痕だ。しばらくは仰向けに眠ることも椅子に座ることも激痛を伴うことだろう。 「ほれ、包帯を巻くから腰を高く上げておくれ」  少年はわずかな動作を取ることも辛そうであった。モーリッツは寝台にあったもう一つの枕を手にすると、そっとココの腰を持ち上げて腹の下にその枕を敷いてやった。 「おや。モーリッツ、ありがとう」  医師は手際よく包帯を巻きながら、ふと思いついたように口を開いた。 「坊や。実はね、私は魔女を見ていないのだよ。あの日の夜会の帰り、若君と一緒にいたのはこのモーリッツだけだ。だからね、」  医師はモーリッツを見ていう。 「もしモーリッツが話してくれるのなら、魔女のことはこの男に訊くがいい。ただしこの男が話さないというのならば、もう誰にも訊いてはいけないよ」 「呪いを解く方法を探す……?ココ殿がですか?」  少年の口から出てきた突拍子もない言葉に、モーリッツは言葉を詰まらせた。頼りない足取りで隣をひょこひょこ歩くココは、子供らしからぬ落ち着いた表情で頷いた。 「呪いを掛けた相手を見たなんて、モーリッツさんたちは運がいいよ。もしかしたら呪いを解く手立てが見つかるかもしれないんだから……おっと」  ゆったりとした服の裾が足に絡まったのか、少年が転びそうになった。 「……お気をつけください」 「あ、ありがとうございます」  モーリッツが手を貸すと、少年はまたひょこひょこ生まれたての子犬のような足取りで歩き出す。なんとも危なっかしい。もともと病み上がりで体力が落ちているところ、明らかに身の丈に合わないブカブカな服を着ているのだ。不安定なことこの上ない。再び少年が自分の服の裾を踏みそうになると、モーッリッツは慌てて手を出した。  少年が着ているのは、少年が持参した長套衣。一般的にローブと呼ばれているものだ。  本来主と面会するときには客であっても礼装をさせるのだが、この少年は尻にひどい火傷を負っているために下穿きを身につけさせることなど出来ないし、下衣(ズボン)だけ穿かせようにも布が傷に障ってしまう。それで少年が鞄から取り出したのが、このスカートのように裾が広がっている漆黒のローブであった。  胸のところに色の違う三つの炎が重なった印象的な意匠(エンブレム)が刺繍されているこのローブは、王立魔法学研究院に所属する学者に与えられる制服だ。  この少年の荷には、年齢から見れば不相応なほど難解な本が何冊もあった。そしてこの少年は妖花や魔花に深い興味を示し、深い造詣もある。どうやらこのローブは借り物ではなく少年のもので、この少年は学院の研究学者であるらしい。  そういえば以前モーリッツは王立学院に『賢者ガルガウニの再来』とも評される若年の天才がいると聞いた覚えもある。まさかココのことではないだろうが、こんなに幼くして学生としてではなく学者として学院に所属しているということは、彼が優秀であることに他ならない。  その彼が呪いが解けるかもしれないと言っているのだ。 「魔法や呪いと呼ばれる力の現象や発生の構造はまだ解き明かされていない面がすごく多いのだけど、この世界には世界共通の魔法なんてものは存在していない、それだけは分かっているんです。  どんな地域にも似たような伝承の中から生まれた似たような魔法や呪いはあったりしますけど、起源が同じでもその地域の宗教、気候、文化、思想、そこに住まう精霊や神、民族の指向性など、いわゆる風土によって同じような性質に見えても、魔法はその効果を細かく変えます。  だからどこの地域のどの民族の使う、どういった種類の魔法か限定することが重要なんです。病と同じでその魔法がどんな種類のどんな性質の魔法なのかを徹底的に調査して初めて、その魔法を解く方法が明らかになるんです」  幼い外見からすれば驚くほど確りとした口調である。 「だからモーリッツさん。あなたとハイネ様に呪いをかけた人の外見的特長、言葉遣い、身振り、なんでもいいから思い出せませんか」  物乞いか孤児にも見えかねないみすぼらしい外見の少年であったのに、真剣に語りかけてくる様は実に聡そうである。いや、実際に聡いのだろう。  王立の魔法学研究院といえば何年も学生院で勉学に勤しんだ者ですら入院が至難といわれる研究機関だ。それをこのようなまだ年端のいかない少年が所属できるなぞ、よっぽど才知に長けているのだ。 「……なぜココ殿のような優秀な方が、こんなところへ来てしまったのです」  主の慰めのためにココを連れて来てしまった罪は承知の上で、モーリッツは訊ねていた。 「四人の中で本当に身代わりになるべきはあなただったのでしょうか」 「あはは、やっぱりハイネ様にお気に召して頂くには、俺じゃ容姿が酷過ぎますか?」  冗談めかしてココが笑う。 「……ココ殿。私はそのようなことが言いたいのではなく、」 「俺は俺でよかったと思っていますよ。まだ見たこともなかった魔花も妖花もここではたくさん見られるし。それに……これは俺自身が望んだことなんです」  窓から庭先の花を見下ろすココの目は、驚くほど澄んだ色をしていた。そう思えばこの少年は確かに容姿は劣るが、すこしも陰気で卑屈なところがなかった。 「………あのね、モーリッツさん。人間なんだから誰でも過ちを犯すことはあるよね。虫の居所が悪いと、ついカッとなってしまうことも。俺だってそういう失敗したことはあるもの。でも」  理知的な目に強い意思を燃やして、ココは言う。 「その人がいくら悪いことをしたからって、その報いに呪いを掛けてその人を苦しめてもいいのかな?相手が手も足も出せない魔法や呪いなんて手段を使って、まるで報復みたいに思い知らせるなんて、そんな考え方は正しいのかな」 「それは……」 「その人が悪いことをしたら、公正に罰を与えて罪を償わせて、ときには周囲の人がその人を叱ったり教えたりして正す。それが人の世の在るべき姿なんじゃないかな。それでこそ過ちを犯した人の懺悔や自省の気持ちも生まれるものでしょう」  まっすぐすぎる少年の言葉がモーリッツの胸を引き裂いた。笑えるくらいの正論だが、モーリッツら家臣たちはそれが出来なかったから、主であるハイネはあのような醜い姿になってしまったのだ。 「俺は魔法や呪いの存在意義を頭から否定するつもりはないよ。それがまだ人の文明では追いつけないほどすばらしい力を持っているのも事実なんだから。でもね、それが人の世のあるべき姿を歪める手段に使われてしまうなら、魔法や呪いという一方的すぎる不条理な力を正すために、魔法の構造とそれを解く方法を解明するつもりなんだ」  一点の曇りもない真摯な目に見つめられ、モーリッツは頷いていた。 「………わかりました。今度あのときの老婆の特徴をまとめて、したためておきましょう」  この少年はどこまでも一生懸命で、まっさらな穢れのない心の持ち主だ。だが自分の主は、このまっすぐな目の光さえ届かぬほど心を冷たく凍らせている。 「ですがココ殿。あなたが我々にかけられた呪いを解こうとしていることを、ハイネ様には決して言ってはなりません」 「なぜです?」 「……もしそんなことを口にすれば………」  もし不用意に『呪いを解く』などと約束し、ココが呪いを解けなかったら。  --------そのときはきっとあの方は代償だと言って、あなたの命を奪おうとするでしょう。それもきっと、とても残酷な方法で。  それはこのなんの罪もない少年に突付けるにはあまりに無慈悲な言葉。だからモーリッツは胸の奥に言葉を飲み込んだ。

ともだちにシェアしよう!