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13 : 踏みにじりたい目
病み上がりな上に尻に負った火傷の痛みもあるため、足取りの覚束ないココはハイネが待ち受ける城主の主室になかなかたどり着くことが出来なかった。
待ちくたびれてか、部屋の長椅子にふんぞり返っていたハイネは不機嫌も露に入室してきた従者と少年を睨む。
「お待たせして申し訳ございません」
モーリッツの言葉とともに、少年も頭を下げる。起き抜けで顔を洗うぐらいしかしていないのだろう、ごわついた赤毛には寝癖が付き、唇も相変わらずカサついて皮が捲れている。顔の血色も悪いが、高熱に魘されて眠っていたときに比べるとそれでもまだいくらかましになったようだ。
「ふん、どうにか生き延びたようだな、子供」
「ココ・バローです。どうぞココとお呼びください」
少年はきっぱりとした口調で言った。この明るい朝日の中、醜い獣の姿が見えないはずがないのに、やはりこの子供には恐れる様子がまったくない。
「若君様の御慈悲で、こうして歩けるまでに回復いたしましたこと、感謝いたします」
少年は殊勝なことに謝辞を述べ頭を垂れる。裕福な商家でただ甘やかされていただけでなく、行き届いた躾もされていたのだろう。見劣りする容姿の割に礼をとる仕草はなかなか品性を感じさせる優雅なもので、見ていて悪い気はしない。
不意にハイネは、この子供のすばらしく澄んだ空色の目を見たくなった。
「おまえはなかなか感心な子供だな。どうだ近くに寄ってよく私に顔を見せてみろ」
モーリッツとの目配せの後、ココはゆっくりと歩み寄る。高熱が体力を蝕んだのか、足元がふらついている。それでもまっすぐ、一歩一歩どうにかハイネに歩み寄ろうとする。母親の後を必死で追う生まれたての子犬のような、健気で憐れな姿だ。
何故か唐突にハイネはその小柄でひ弱なココの体をそっと腕に抱いて愛おしんでみたくなった。不思議な感情だ。自分よりも圧倒的にか弱く劣る者を見たとき、人はどんな感情より先にまず庇護欲という慈愛の心を覚えるのかもしれない。
「ほら、早く来い」
少年がふらつくと、支えてやろうと思わず手を差し出していた。が、ハイネの視界に伸びた、その己の手。
人の手ではない、恐ろしい獣毛に覆われ鋭い爪の生えた大きな獣の手。触れようとしたものすべてを傷つけずにはいられない、残虐な形をした醜い手だ。
-------そうだ。私は人ではない。ただの汚らわしい獣だ。こんな醜い私が誰かに憐れみの心を持つことに、いったい何の意味がある……?
ハイネの胸にやわらかに芽生えつつあった淡く優しい感情を、その手は一瞬で砕け散らせる。
「……もう少し寄るといい」
主の呟いた言葉に不穏を感じ取ったモーリッツははっと目を見張る。その暗い表情になにかを読みとったはずなのに、従者は止めることが出来ない。子供はただ一心にハイネに歩み寄る。
自分のごく傍まで歩み寄らせると、ハイネは少年の体をいきなり突き飛ばした。とはいっても十分加減はされており、肩を押した程度だ。
だがこの醜い獣の姿になったときに備わった怪力の為か、はたまたココの体調が思わしくなかった為か、小さな体は容易に床に転げた。
火傷を負った臀部を強かに床に打ったココは悲鳴を上げる。そのまま起き上がることも出来ずに、床に転がったまま痛みでもがきだす。
「………っぁああッ!!」
苦しみ呻きながら床を這う少年のその様は、まるで地中から掘り出されて身を捩る芋虫のようだ。
「ハハッ、やはりおまえは本当に醜い子供だな!虫けらのようじゃないか!」
ハイネの闇の目にあるのは憐憫ではなく嘲笑だった。
「こんな獣の身である私でさえ、おまえの醜さは憐れに思うぞ、バローの子供!」
少年はハイネの足元で脂汗を掻いて痛みに耐えている。ハイネは愉快げに肩を震わせ続けるが、従者のモーリッツは顔を青褪めさせて進み出た。
「恐れながら若君。これ以上苦しめれば、この子供は命を落としましょう」
「わかっている。さっさと連れ帰れ。そしてしばらくは滋養のあるものでも食わせて寝かせておけ」
主人の気が変わらないうちにとでも思っているのか、モーリッツは素早く少年に駆け寄る。助け起こされた少年は苦痛にまみれながらもやはり恐がる様子はなく、そのまなざしはまっすぐにハイネに注がれる。
軟弱ななりに似合わない、とても芯の強そうなこの少年の目。心が折れるまで踏みにじっていたぶってやりたくなる、生意気な目だ。
それがどうあっても自分に真っ直ぐに向けられるのだと思うとハイネは熱く高揚してくる。
--------苛め抜いてやりたい。この子供が泣き叫んで許しを乞うまで徹底的に嬲ってやりたい。
獣の姿になってからというもの、退屈を重ね恨みを重ねていた。束の間の遊戯だと分かっているが、ハイネは自分がココという子供の出現を思った以上に愉しんでいることに改めて気付かされる。
「子供。おまえはよく食べて体を丈夫にしろ。そして私の言いつけがなんでも聞けるような体になってくれんことには退屈だよ。……おまえを早く私にたっぷり可愛がらせてくれ」
モーリッツに抱えられて出て行くココの姿を眺めながら、獣のハイネは凄惨な笑みを浮かべていた。
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