15 / 20

14 : 悪夢の影

 --------ああ。自分はまた寝込んでしまっているのか。  深い微睡みの中ココは思った。  --------早くあの方のお役に立たなければいけないのに………。  深い山間にあるブルクミュラー家の別邸『薬種の館』には、ココの生まれ育った街や勤め先の王立学院にはなかった深い暗闇がある。  火傷の痛みと疲労のまま気を失い、朦朧と寝台に横になっていると、ココは微かに窓辺から漂ってくる光を感じた。きっと庭の妖精花のものだろう。そして更にもうひとつ。淡い妖精花の光と同じくらい微かな、だが魔法の感性が人よりも優れたココが確かに感じ取れる何か異様な気配を感じた。  --------誰かが、いる。  ココが眠る暗い部屋の中で、人ではない何者かがココを見ていた。だがココはひどく怠くて目を開けてその『誰か』を見ることができない。  その『誰か』はとても強い力を持っている。それもとても禍々しい力を。  --------そこにいるのは……まさか……ハイネ様を獣の姿に変えた……魔女……?なぜこんなところに………?  そうしているうちに意識が途切れていき、ココはまた深い眠りに落ちていく。  突然、ココの目の前に世にも美しい青年としわがれた老婆が現れた。  薔薇一本で一宿の交渉をしようとする老婆を見て、何故か悪い予感がした。だが膜一枚隔てているように、目の前にいる青年にココは触れることが出来ない。  --------ああ、駄目だ。ハイネ様、その人はあなたに呪いを掛ける魔女だ!!  これはきっと夢だ。声が届かないことも止めることが出来ないこともわかっている。それでもココは叫んでいた。  --------その人を邪険にしてはダメですッ!!いけません、ハイネ様ッ!! だがココの制止も虚しく、老婆を蹴り上げたハイネは呪いで姿を獣に変えられていく。  --------やめて……やめてくださいッ!!どうかその方を苦しめないでっ。  醜い獣にされてしまった青年は、絶望のあまりに膝を崩して座り込み、ココの目の前で胸を引き裂かんばかりに嘆きだす。ぎょろりとした目からは後から後から涙がこぼれていく。 -------いやだ、見たくない。……何も出来ないのに、ハイネ様が苦しむところなんて見たくない……もうやめてっ、俺にこんな場面を見せたりしないで!! 「………やだ…………もうやめて………」 「しっかりしてください、ココ殿」 「嫌だ、見せないで……ッ」 「ココ殿、お気を確かに!!」  聞きなれた声に意識を揺り動かされ目を開く。すると美しいレース編みのカーテンが下げられた寝台の天蓋が目に入る。  ここはココに宛がわれた『薬種の館』の客間だ。そう分かっているはずなのに、まだ夢との境界があやふやで、全身に悪い予感のようなものがべっとりとまとわりついていた。 「よかった。意識が戻られましたね。今度こそもうココ殿の体では耐えられないかと案じていました」  ほっとしたように告げる半獣人を、ココは胡乱な目で見上げる。  --------ああ、そうだ。この人は。従者のモーリッツさんだ……。 「ココ殿?」 「……すみません、ちょっと夢見が悪かったみたいで、頭がぼんやりしてました。……何か飲むものをいただけませんか?」  モーリッツはすぐに枕元の水差しを手に取る。グラスに注がれるのはよく冷えた水。果汁が加えられているようで、かすかに甘く、喉にさわやかな清涼感がひろがる。 「ありがとう、モーリッツさん。すごくおいしいです」 「それはよかった。……落ち着きましたか?随分と魘されてていましたよ」 「そう、みたいですね」 「お辛い夢をみていらしたのですね」 「はい。……でも。……あれは俺じゃなくて……」  今見たものは自分の悪夢ではなく、おそらくハイネが見ているものだ。そう気付いたココはきょろきょろと寝台の周りを見渡す。 「どうかなさいましたか?」 「いえ………」  眠っているときにも感じた、異様な魔法の気配。もしかしたら繰り返し鮮明な悪夢を見るように、この城には悪いまじないが掛けられているのかもしれない。起きられるようになったら調べてみよう。その決心は心の中に留めて、ココはもう一口水を飲んだ。 「……ううん、何でもないです。……ところで少し頼まれごとを聞いてもらってもいいですか?」  従者はなんなりとお申し付けくださいと受け合う。 「学院の友人に取り急ぎ手紙を出したいんです」 「わかりました。マルタが街中へ下りますのでそのときに持たせましょう」 「ああ、えっと。『紙鳩』を使うから、俺の代わりに中庭から飛ばしてほしいんだ」 「かみばと?」  聞き慣れない言葉に、従者はいぶかしげに聞き返してきた。  『紙鳩』は学院の友人が発明した通信技術だ。魔術を施した特殊な用紙に文を書き、それを鳥に似せた形に折って風に乗せて飛ばす。するとその紙の鳥が、本物の伝書鳩のように宛先に飛んでいく。 「そんな便利なものがあるとは。さすが王立魔法研究院の方々の技術ですね」 「いや、実はこの『紙鳩』はまだまだ試作レベルなんだ。雨に濡れたらインクが滲んでしまうから天気のいい日にしか飛ばせないし、本物の鳥と間違われて運悪く猫や人に捕まっちゃうこともあるし………あ、そうだ。こちらの薬草園にシュノンありますか?」 「ございますよ。猫除けに使う、あの臭いの強い薬草ですね。ご入用でしたらあとで庭師のクグーにその草を持たせましょう」 「ありがとう、モーリッツさん。あの臭いをこすりつければ、もう『紙鳩』も猫に捕まらないかもしれません」 「なるほど。いい案かもしれませんね」  そう段取りを付けたところでノックがあった。メイドのマルタたちだった。見ればみな手に手にお茶や焼き菓子、それにパンや果物などたくさんのご馳走の乗った盆を持っている。 「バローの坊ちゃま、お食事をお持ちしましたよ」  今日はココに姿を見られても目をそらしたりせず、獣姿のメイドたちは部屋の卓に次々と食事の支度をはじめる。そしてココに歩み寄ると労しげにその顔を覗き込んだ。 「お可哀想に。こんな幼い身でお父様の身代わりになるだなんて」 「体も辛かったでしょう、もう起きて大丈夫かい?」 「さあスープの一口でもいいから飲んで」  急かされるようにして身を起こすと、また火傷が触れてココの尻に激痛が走る。 「まあ。起き上がらなくてもいいのよ。寝そべって食べたって誰も文句なんていわないよ」  そういってメイドたちは獣の手でそっとココに手を貸す。そんな様子をしばし目を細めて眺めていたモーリッツは、ややして顔を引き締めると沈鬱な面持ちで部屋を出ていこうとする。 「お待ちよ、モーリッツ様」 「まさか若様にこの子が目を覚ましたと知らせに行くのかい」  従者は無言で肯定すると、メイドたちは自分たちの背にココを庇うようにしてモーリッツに詰めかかった。 「おやめなさいよ。今度こそ本当にハイネ様はこの坊ちゃんを殺めてしまうかもしれないんだよ」 「まだ意識が戻ってないってしばらくごまかしておきよ」 「それは私とて庇ってやりたいが。ハイネ様が嘘に気づかれたとき、一番辛い思いをするのはココ殿です」  従者はココを見て悲痛に顔を歪める。 「だからといってこんなちいさな子にまた責め苦を負わせるのかい」 「ハイネ様からお召しがあるまで休ませておあげよ」  従者とメイドたちは押し問答をはじめる。「こんな幼い」「かよわい」などというマルタたちの口ぶりからすると、どうやら痩せぎすなココはまだ10歳ほどの子供だと思われているようだった。もうすぐ15で成人間近だというのに。  従者とメイドたちの言い争いが決着をつける前に、またココの意識は眠りに溶けていく。

ともだちにシェアしよう!