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16 : 空色

 鳥のようなものが窓の外を横切った。  窓辺に歩み寄ったハイネが眼下に目をやれば、老医師のクラストや庭師のクグー、メイドのマルタらが内庭に集まっていた。  その人の中心にあの赤毛の子供がいる。子供は何かを説明しているようで、聞き入る使用人たちは感心したようにしきりに頷いている。どうやら学者の知識でも披露しているようだ。  モーリッツからの報告によるとあの子供は学者らしい。それも国内最高の研究機関である王立魔法研究院の。  どのような者にでもひとつくらいは取り柄があるものなのだなとハイネは知性をたたえたココの瞳を思い出す。  あれは丁度今日の空のような色だ。心まで清々しくなる、よく晴れた空の色。  不意に内庭から笑い声が湧き上がる。ココがなにか紙細工のようなものを宙に放り、それがゆったりと空中で弧を描き再びココの手元に戻った。それを何度も繰り返すとココは不可解そうに首を捻る。  何をしたいのかは分からないが、どうやら失敗らしく、途方にくれたように頭を掻くココの様子にまた笑い声が上がる。遠目なのであの醜い顔がどんな表情になっているのかは見えないが、中心で肩を揺らして笑っているその小さな背中はいかにも楽しげであった。  今日は高熱で寝込んでいたあの子供が目覚めてから十日ほどたっていた。その数日のうちにココはすっかり邸の使用人たちと打ち解けた様子だ。  マルタたちに世話を申し付けてハイネはこの十日間ココに会うことはしなかった。すぐに死なれてはつまらないが、顔を見ればまたココを苛む衝動を抑えられなくなると分かっていたからだ。  従者づてに邸の内外を歩き回る許可を出してやると、ココは毎日この薬種の館の中や庭を歩き回った。  窓辺から見るココは日に日に足取りもしっかりとして、火傷の痛みも落ち着いたように見えた。もう随分と回復したのだろう。  --------そろそろ頃合か。  退屈を感じ、今ここから呼びつけようかとして、聞こえてくる笑い声に思いとどまる。部屋に視線を転じて鏡の中の獣と目が合うとハイネはまぶたを閉じた。  久々に聞いた、自分に仕える下働きの者たちの笑いのさざめき。かつてはその中心にあったのは自分だった。  自分の気まぐれで遠乗りやカード、はたまた盤上遊戯(ボードゲーム)に付き合わされた使用人たちは、みないつも嬉しそうに笑っていた。  『なんと容赦のない若君。手加減くらいしてくださいな』 『今度はどんな手で虐めてくださるおつもりですか。一度くらいハイネ様に勝ってみたいのに』  責めるようなことを言いながらもみな楽しげであった。  すこしだけ、この館にも昔のような空気が戻ったようである。だが今その中心にいるのは自分ではなく、あの赤毛の子供だ。 「------モーリッツ」 主人の声音を聞いて、何の求めかを感じ取ったのだろう。控えていた従者は深く頭を垂れると無感情な声で答えた。 「呼んでまいります」 「先程のあれはなんだ」  間もなく部屋を訪ねてきたココが挨拶の口上を述べようとするのを遮って訊く。  十日ぶりに間近で見るココは相変わらず容姿の見劣りする子供であったが、血色が良くなったためか以前よりその肌の色艶は醜いなりにもまだましになったように見えた。有能なメイドたちの働きのためだろう。  マルタらが朝晩二回の食事だけでなく午後のお茶の時間にも、痩せぎすのココにいろいろと滋養のあるものを食べさせていると聞いていた。 「内庭で紙細工のようなもので遊んでいただろう」 「ああ。紙鳩のことでしょうか?あれは文を鳥の形に模して折って、宛先まで手紙を飛ばす魔法技術です」 「シュトルテにでも送ったのか」 「父に?いえ父にはまだ、」  では誰にと問えば「学院の友人に」と返される。 「歳は少々離れていて、同じ学者として尊敬するひとでもあるのですが。入院当時から付き合わせてもらっている友人です」  とりわけ親しい間柄なのだろう。そう察せられるほど友を語るココの口調はやわらかなものであった。  誰にも見向きもされないココでも、街に思慕を寄せる親しい相手のひとりやふたりいることなどなんら不思議なことではないのだが。ハイネは思いがけなく突きつけられたその事実に何故か愕然とし、そんな自分をたまらなく不快に思った。 「ふん、それでおまえはその友に助けでも求めたのか。醜い化物に痛い目に遭わされ苦しんでいると」  詰るようなハイネの言葉にココは怪訝な顔になる。 「だが残念だったな。そんなものを送ろうが、私はお前をここから帰したりはしない」 「それは。……それを承知で俺は来たのですから」  脅すような口ぶりで言うハイネに、子供は泰然と受けた。何故嘆かない。どうしてこうも平静でいられるのだ。  -------あのシュトルテのためか。  愛する父の身代わりというだけで、自分の身に起きる理不尽や不幸をすべて受け入れる理由になりえるのか。父のためならどんなことでも耐えられると。  脆弱な子供のくせに心身を苛まれてこそ自分の身は父のためにあると思えば心を強くしていられるのか。ハイネの内側で黒い感情が渦巻いていく。揺るがないココが憎らしい。  ココの赤毛を鉤爪のついた大きな手で引っ掴む。この手で、この子供が支えに思うものはすべて取り上げてやろう。いまだに己の身がシュトルテのものだと思っているのなら、その考えを改めさせねばなるまい。 「家人のことなど忘れろ。我が身可愛さゆえにおまえを犠牲にした者たちのことなど」  掴む手に自然力が篭ると、鋭い爪に擦れた赤毛が断ち切られはらはらと宙を舞った。この子供から奪うのも与えるのも自分だけなのだと思い知らせねばならない。 「おまえは永遠に私だけのもの。私の虜囚だ」  呪われた立場に搦め取る言葉。ほかの誰でもない、この醜い化物におまえを所有する権利があるのだと突きつけてやるが、熱を帯びたハイネの言葉にココは眦が裂けんばかりに目を見開く。その瞳には純粋な驚きだけが示されている。  そんな様子にハイネも驚き、しばし獣人の目と空色の目が見つめ合う。ややして戸惑うように先に顔を背けたのはハイネの方だった。 「俺のことなどあなたの好きに扱ってもらって構いません。………俺はあなたの所有物(もの)ですから」  空色の瞳で見つめられなぜか狼狽えそうになる。  何がこの子供にこうも毅然と言わせるのか。身代わりになった家人のためだけとは思えないような。  -------だったら何の、誰のためだというのだ。  自分はこの赤毛の子供にいったい何を期待しようというのだ。凛としたココの態度も自分の中で沸きあがろうとする得体の知れない感情も不可解でハイネは心を乱される。 「私のもの、だと」  心を攪乱させる不快な感情を吐き捨てるように言った。 「では今すぐ自分で服を脱いで私のものだという所有の証を見せてみろ」  自分ばかり狼狽するのは癪だった。だから自分以上にココの心を乱してやりたくなった。 「……証というと…………」  尻にある焼印のことかと、ココは当惑した様子で尋ねてくる。思ったとおり、落ち着き払った態度は一変、長套衣の尻のあたりをぎゅっと握りしめたココは目にも明らかに動揺しだす。  その様子に満足してほくそ笑むと、冷淡に催促した。 「早く脱げ。それ以外に何があるという」

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