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Prologー2ー
中年の男の無骨な指が将未の黒い髪を撫でている。広い建物の最も奥にある自室で荒い吐息を押し殺す男は恍惚に口元を歪めた。
「上手だよ将未。いい子だね」
将未は、ここに来てからはよく褒められるようになった。
男の股ぐらに顔を埋める十五の少年の薄い唇が怒張を深く咥えこんでは音を立ててしゃぶる。喉元を突かれ、苦しくなる呼吸を継ぐ為に一度唇から熱を抜き、短い吐息を繋ぐ間にも反る陰茎に舌を這わせることを怠らない。垂れ目がちの、大きな瞳の目を薄く開けて男の反応を伺いつつ、音を立てて先走りを啜ると、頭上にまた乱れた呼気が降ってきた。
これは〈お務め〉なんだ。この行為は誰にも言わないこと。その文言と共に、この施設に来て間もなくしてから仕込まれた口淫の手管を将未は忠実に守っている。
物心が着いたのは二つ目の施設に送られた頃だった。古いアパートの部屋から保護され、入院先の病院から送られた一つ目の施設のことはあまり記憶に無い。二つ目の施設は劣悪な環境で、将未はかつて過ごした記憶のある狭い部屋の一室をぼんやりと思い出す程だった。ろくに食事も与えられなかったその施設はやがて摘発の末に閉鎖に追い込まれ、移った次の施設では施設長による暴行が横行していた。文字通りに義務である小学校には通うことが出来ていたから、その小学校の教員が将未や、同じ施設から通う児童の様子を不審に思ったらしく、通報を受けた施設長の逮捕に伴い三つ目の施設も無くなった。
四つ目のこの施設は寺が慈善事業の一環として開設したと聞いていた。他の施設とは違い、小学生から中学生までの少年ばかりが集められている。高台の上にある寺の住職は広い境内の隅に建てた施設の中や庭で駆け回る小学生から中学生の少年達を微笑ましく見守り、お布施を始めとした宗教法人としての稼ぎを注いで施設の環境を整え、少年達を進学させる。十五の春、中学校を卒業すると共にこの施設は出ていかなければならないが、ここを出た後の支援もきちんと行う素晴らしい施設だと地域では認識されていた。
住職の法衣の両足の間に顔を埋め込んだ将未は醜悪な怒張に手を添え、ぱくりと亀頭を咥える。教え込まれた通りに鈴口を舌で突き、滲む苦味を飲み下す。あくまで優しい手付きの男の指が将未の外耳を擽った。それを合図に将未は顔を上げ、のろのろと僧侶の膝の上に乗り上げる。背だけはひょろりと伸びた、一糸まとわぬ将未の姿を住職が満足気な笑みで見上げて小ぶりな双丘に手をかける。既に柔らかく割り開かれた将未の奥の窄まりに猛りを宛てがわれると、将未は呼気を詰めてゆっくりと腰を落とし始める。
「ああ…、いい子だ。将未はいい子だなあ」
「…っ、ん、んッ、」
〈お務め〉の間は声を出してはいけないよ。
唇を噛み、着崩れた和服を纏った首に両腕を巻き付ける。大人の雄が身体に入り込んでくる圧迫感に耐え、眉根を寄せつつ腰を揺らす。人払いされている部屋の中に、湿った音が小さく響く。
初めてこの部屋に招かれた時のことを将未はよく覚えている。廊下の片隅で見送る少年の一人が、安堵したような、気の毒そうな眼差しをして将未を遠くから眺めていた。彼は先にこの施設に来ていて、今はもういない。中学を卒業した春にこの施設からも〈卒業〉していった。
住職に命じられた行為に抵抗し、殴られたのは初めの一度だけだ。殴られたのは、衣服を着ていれば目立たない場所だった。いい子にしていれば乱暴はしないよ。そう囁いた住職が命じる行為に従えば褒めて貰えることに気が付いた。苦痛は伴う。だが、〈お務め〉の引き換えとして将未はいくらでも頭を撫でて貰える。
将未にとって、行為の後の菓子は重要ではない。誰かに褒められたい。いい子だねと触れられたい。抱きしめて貰いたい。
その欲求は、ここいる少年達のほとんどが同じように持っているものだろう。そしてその欲求をこの男は叶えてくれる。舌や顎が疲れ、内側から不快感が立ち上るような口淫も、体内に違和感や苦しさを与えるにしか過ぎない性交も、従い、応じることによって住職は将未を褒めてくれる。いい子だと囁いてくれる。
ただそれだけの事が、将未は堪らなく嬉しかった。
「将未、可愛い将未。ああ、もう果てそうだ…っ、全部出すからな、」
「ぁ、っあ、あ、」
声変わりしたばかりの将未の声はきゅっと噛み殺される。身体の奥深くを擦り、突いた男の屹立が脈打ち、将未の未発達の身体の中にどぷどぷと白濁が注がれる。同時に男の手が将未の震える熱を乱暴に扱き、射精を促した。
「やぁ、ァ…っ、あ…ッ…!」
男の掌の中に将未の熱が散る。荒い呼吸をそのままに、将未はくたりと脱力し、住職に上体を預けてしまう。射精の余韻を存分に味わった男がどこかおざなりな手付きで少年の汗ばんだ髪を撫でる。
「今日もいい子だったね。将未。きちんとお務めを果たせてえらいぞ」
「…うん、」
頷く少年に、男は傍らのテーブルにある盆に詰んだ菓子を一つ手に取って握らせる。それは口封じであり、褒美だった。
ここにいれば飢えることはない。施設の偉い人も自分を殴ったりはしない。言うことを聞いて〈お務め〉を果たせば自分は褒めて貰える。いい子だねと頭を撫でて貰える。状況に疑問はない。この施設にいる皆が必ず一度はやっている事だと誰かが言っていた。
ぼんやりと霞む意識の中、将未は嬉しげに目を細め、甘えるように住職の肩に額を擦り寄せた。
〇◎●
もう時期中学を卒業しようかという三月の初旬、将未はいつものように住職に呼ばれて奥の間へと及んだ。失礼します、躾られた通りの挨拶と共にドアを開けると、室内には嗅いだことのない香りが漂っていることに気が付く。顔を上げると、小さな応接セットの下座に見知らぬ男が座り、口元に咥えられた煙草が香りの正体だろうかと測る将未に、いつもの席に座った住職が穏やかそうに目を細めた。
「将未。春からこの人がお前の面倒を見てくれる人だよ」
「……」
少年の目から見ても男の人相は良いものとは思えない。坊主頭の下、剃り込んだ眉を勝ち気そうに釣り上げて、ニヤニヤと口元を歪めて値踏みするような目で将未の容姿を上から下まで丹念に眺めている。どういう意味だろう、と戸惑う将未に和尚が続けた。
「お前も知っているだろう。ここは中学を卒業したら出ていかなきゃならない。その後のことはこの人が面倒を見てくれるからな。この人の言うことをよく聞いていい子にするんだぞ」
いい子に。もう一度男を見遣る。目が合い、曖昧な会釈をした。いい子にしていれば今度はこの人が褒めてくれるだろうか。胸に膨らむのは期待ではない。そうあるべきだという擦り込みが将未を促す。住職に向かい、深く頷いた。
「はい、」
「ん。いい子だな。…また夜に呼ぶから。下がっていなさい」
よしよしと頷き、住職は軽く掌で退室を促す。眞未はもう一度ぺこりと頭を下げ、部屋を辞してドアを閉めた。
「ーー上玉じゃねえか、」
閉じた部屋の向こうから、住職のものではない男の声が聞こえる。去ろうとした足を止め、思わず耳をそばだてる将未の耳に続いてよく知った者の声が追ってくる。
「だろう。めんこい子だよ。実物見たらもう少しイロ付ける気になったんじゃねえか?」
「相変わらず業突くな坊主だな。元手はタダじゃねえか、」
くく、と喉を鳴らす気配がした。立ち聞きする将未は理由もなく恐ろしくなってくる。住職の声はいつもの柔らかいものでは無い。ただ、自分のことを話しているに違いないという根拠の薄い確信だけが将未の足を留めている。振り返り、行儀が良くないとは思いながらもそっとドアに耳を近付けた。
「元手がタダの上に要らねえもん回収すんだ。欲張んなよ」
ーー要らない。
不意に、いつかの記憶が蘇る。自分を叩く女が口にしていた言葉と同じ形をするそれに、将未はぼんやりと立ち尽くしてしまった。
「ガキはすぐにでかくなっちまっていけねえや。声変わりもするし毛も生える。あの将未もちょっとぼうっとしてっけどな、俺がきっちり仕込んでおいたから…、よく働くと思うぜ」
「ーー変態が、」
大人達のひそひそ話は留まることが無い。語られる言葉の意味はわからないままであるものの、将未はいよいよ恐くなり、そのまま早足で奥の間のドアの前から走り去った。
三月の末、施設を〈卒業〉する将未を迎えに来た車は高級そうな外車だった。ふわふわとしたシートの下には革張りが覗き、後部座席は将未一人が乗るには広過ぎると思った。そもそもあまり車に乗った経験が無い将未はキョロキョロと中を見回していたが、けたたましいエンジン音が鳴り始めると、急いで施設を振り返る。見送る少年達は屈託なく手を振っていたが、そこにあの住職の姿は無かった。
車は高台を下り、やがて中央区に入る。春先の広い駅前通りを抜ける車内で将未は移り変わる街の景色を真剣に眺めている。幼い頃から自分の生活圏内以外の景色をほとんど知らない将未にとっては、街の中の見るもの全てが珍しく新鮮なものであった。
市電を横目にした車が行く道は次第に色を変えていく。オフィスビルやホテルが建ち並ぶ街中を抜け、やがて夕暮れの中にネオンが灯る歓楽街に滑り込んだ。道行く人達もまた将未が目にした事の無い、やや派手な風貌の人種が増えてきた。施設を出てから運転手の男は何も言わない。車は更に人気のない裏路地に入り、何かの店の裏手で停車した。きょろきょろと辺りを見回す時間も与えられず、薄汚れた勝手口に押し込まれた将未を、恰幅の良いスーツ姿の男が出迎えた。
下品な色に染めた髪を後ろに撫で付けているその男は、先日住職と同じ部屋にいた男ーー今将未を乗せた車を運転していた男と同じ種類の笑みを口元に携えていたが、目の色は違う。双眸は弧を描いているが、その奥は決して笑ってはいない。得体のしれない薄暗さに将未はぞくりと寒気を覚えるも、その背を運転手の男に押しやられた。雑然と散らかった室内に入れられた眞未はようやく辺りに視線を配る。古びた事務用デスクが1台置かれている様が目立つ部屋には、やはり古くて綿が飛び出たソファーが1つあるだけで、他には何やら書類や写真、それと派手な表紙の雑誌といった紙の類が方々に散らばってた。
「賀川さん。お疲れ様です」
「おう。…うっすいなあ。ま、こんなもんか、」
運転手が賀川という男に向かって数枚の書類を手渡す。ひらひらと空調に揺れる紙の端を摘み、並ぶ文字列に目を通すもさほど興味はないようで、すぐに視線は将未へと向かう。先日の住職の部屋の時と同じ、値踏みするような目が無遠慮に身体を撫でる。
「ヒロセマサミ。あの色キチ坊主のとこから来たんならどうせ初モンじゃねえんだろ。今日から店に出しちまうか」
初モンは無くても初見世はある。賀川は喉の奥で笑うも将未には言葉の意味はわからない。戸惑い、視線を泳がせる将未を見遣り、賀川という男は無遠慮に少年の腕を引いた。
「将未。今日からお前はここの従業員だ」
「…あの、」
「一応見とくか」
客の前で騒がれてもめんどくせえ。呟き、賀川は将未の腕を引いたまま部屋の奥のドアを開いて続く細い廊下を歩む。廊下にはいくつもの小さなドアがあり、そこには決まり事なのか丸い形の窓が嵌め込まれていた。その窓に向かって賀川が顎をしゃくる。促され、将未は少し爪先を伸ばして窓の中を覗き込んだ。
「ーー…、」
窓の中は小さな部屋だった。中央に大きなベッドが設えてある以外には目立つ物がない。そのベッドの上にちょうど将未と同じ年頃の少年が四つん這いになっている。服は何も着ていない。壁は薄いのか、少年が発するどこか芝居がかった甘い声が絶え間なく漏れ聞こえてくる。苦痛とも、快楽ともつかない表情に歪む顔を思わず注視すると、少年は昨年まで同じ施設にいた人間だということに気が付いた。はっと息を詰める将未の背後で賀川はニヤニヤと口元を持ち上げる。あいつは稼ぎ頭だぜ。呟く言葉はなおも意味が分からない。少年の背後から、成人の男が滑稽な動作で腰を振っている。男の腰の下が、少年の小ぶりな双丘と繋がっている様が、はっきりと見て取れた。
「わかったか?お前は今日からああやって客を取る。どうやったら客が喜ぶかはあの坊主に教わって来てるはずだ。……やってみろ、」
混乱する将未のシャツが乱暴に引かれたかと思うと、硬い床に引き倒された。咄嗟に手を付き、顔を上げた先には賀川の両足がある。後頭部の髪を掴んで引かれ、下肢の中心に顔面が導かれた。
「ーーっ、」
「逃げようなんて思うなよ。逃げなくなって稼ぎが悪けりゃいつでも追い出せるんだ。行く所も親もねえガキなんていつだってどうとでも出来る」
知らない場所に一人放り出される恐怖が襲う。施設から持ってきたのは身の回りの品を詰めたバッグ1つだけだ。月ごとに与えられていた小遣いは使い道も無い為に貯めこんであるが、今の将未にはそれをどこでどう使うべきなのかもわからない。あまりに欠如したーー施設という遮断された場所で欠如した社会性は、何一つ生きる術を与えていなかった。
その事に気が付くよりも先に、自分が置かれた状況に慄然とする。ここを追い出されたのなら、自分はきっと生きては行けない。だが自分ら、何を行えばここに居られるのかを知っている。薄暗く、狭い廊下の真ん中で将未は震える手で賀川の着るスーツのボトムのジッパーを降ろす。
「…いい子だ」
ーーこうしていれば、今度はここでこの人に褒められるのだろうか。
三つの頃にかけられた呪いは解けることがない。将未の細い指が賀川のまだ熱の無い雄を取り出す。宣誓のように先端に唇を寄せる従順な少年の頭を、どっぷりと風俗業に浸かった男の太い指が優しく撫でた。
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