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コンビニのレジの前、ホットスナックが並ぶケースをヒデが真剣な目付きで眺めている。新製品の変わり種の唐揚げと、定番の醤油味の唐揚げとでたっぷり2分は悩んだその後でヒデはようやくレジへと足を向けた。
「おう。それも寄越せ、」
ヒデの次に会計をすべく、缶コーヒーを手にして後ろへと回る将未にひらりと手が差し出される。遠慮が先に立つ将未の指からひょいと缶コーヒーが取り上げられ、会計を待つヒデのペットボトルと共にカウンターに並べられてしまった。
昨日パチンコで大負けしたと豪快に笑うヒデの昼食は今日はコンビニでとのことだったが、ヒデは普段と同じ動作で将未の買い物の会計も済ませてしまった。ありがとうございます、と頭を下げる将未を促し、パンツのポケットに落とした釣り銭の音を立てながらヒデは店から出ていく。そのまま事務所へと足を向けようとした将未に、ヒデがひよいと片眉を上げた。
「待てって。食ってこうぜ」
「え…、」
真昼間、初夏の陽光がさんさんと降り注ぐコンビニの前の縁石に腰を下ろした。往来に目を投じると、昼間の人の少ないススキノの街並みが広がっている。買い食いなどはしたことがない。どうするべきかと立ち尽くす弟分のベルトを引いたヒデが、背の高い将未を、半ば無理矢理自分の隣に座らせた。
「こういうのはここで食うのが美味いんだよ。お前知らねえだろ、」
お前なんにも知らねえからな。それはヒデが将未に向ける口癖のようであったが、そこに揶揄の色は無い。雄誠会に所属し、ヒデの後ろに着き従う将未にとっては、何もかもが目新しく、新鮮なことばかりである。ヒデの方は、何も知らず、経験する何もかもに逐一驚く将未の面白がっているようで、産まれたてのヒヨコのような弟分を連れ回しては自分の日常を教え込んでいる。
醤油味の唐揚げを一つ口に放り込み、プラスチックのカップを寄越す。小さな逡巡の後に揚げ物に指を伸ばし、一口齧る将未の横顔をヒデは何が嬉しいのかニマニマと相貌を崩して眺めている。
「美味いだろ。コンビニ飯も」
「はい、」
真剣な眼差しで頷く姿にヒデが目元を緩めた。
正午を少し過ぎた明るい陽の光の下、少し温くなった唐揚げを頬張り、冷たい缶コーヒーを傾ける。将未に学生時代と呼べるようなものは無かった。こうして買い食いなどし、コンビニの前で笑い合う友達と呼べる人間もおらず、それどころかそんな機会も無いまま大人になり、店を出るまでは自由になる金もほとんど持ち合わせていなかった。例え金が手元にあっても、将未は自分が何を好きなのか、何が欲しいのかを考えたこともない。
ヒデに着いて歩き、生きる日々は、太陽の下を歩く事とはこういうことなのだと教えられているような気がしている。
汗ばむ程の陽気の中、喉を冷やす缶コーヒーの甘さが心地良い。ふと空を仰いでは眩しさに目を細める将未は、1つ自分の好きなものを知った。
〇●〇
ヒデと二人で分け合いながら唐揚げを平らげ、のんびりと事務所へと戻ると門の前に立っていた見張りの人間に呼び止められた。矢立が探していたと告げられたヒデが早足に玄関へと向う。後ろを追う将未にじゃあな、と告げ、ヒデは廊下にある2階へと続く階段へと消えていった。
「どこ行ってたんだ広瀬!茶ぁ出せ!」
一人事務所へと足を向け、広間に入る前に会釈した将未の頭に怒声が飛んだ。顔を上げると、雀卓の側にどっかりと座る太眉の男がこちらを睨んでいる。ぱらぱらと人が散見する室内で、1番年季が入った潮見という男だった。
「すみません、」
ヤクザの世界で部屋住みとお茶汲みはほぼ同じことを意味する。
ヤクザと言えば日がな抗争やケンカや取り立て等に明け暮れるいかにも荒っぽい男の集団を想像していたが雄誠会はどこか違うらしい。少なくとも、将未が所属しているこの支部の空気は至って穏やかだ。穏やか、といえば聞こえは良いが、悪く言えば緩い。喧嘩や荒事とはあまり縁が無いらしく、さしたる用もなく事務所にたむろする男達はだらだらとした世間話や麻雀、夜になればプロ野球観戦などに勤しみ、時折上納金の取り立ての為に割り当てられたシマに出掛け、そして飲み屋や風俗を経て帰宅の途に着いているらしい。
今月の頭には市内で大きな祭りがあるとかで露天の店番の仕事もあったと聞いているが、その時は確かに日頃よりも騒々しく、だがどこか楽しげな空気が組の中に流れていたことを覚えている。確かに男臭い集団ではあるが、今のところの雰囲気は将未が想像していたような殺伐さは感じない。
将未はといえば、事務所に入って半年が経つが、やることと言えば相変わらず事務所の掃除と茶汲みである。掃除はこれまでの経験の積み重ねが役に立った。どうにも将未の人生の上ではどの場所にいても部屋の掃除というものが着いてまわるらしいが、この全体的に粗雑な男ばかりの事務所の中は一日と待たずあらゆる物が応接テーブルを占拠し、乗り切らなかった物が床に落ちる。各々この部屋住みという1番下の身分は経験してきている筈だが、喉元過ぎればということなのだろう。自分以外の誰かが片付けるとなると特に遠慮はないらしい。将未にとって、掃除の様な下働きが苦にならない、というよりも下働きに慣れ切っていることは部屋住みの身分としては幸いだった。
だが、茶汲みだけはいつまでも上手くならない。
事務所に入った次の日に、序列の順に茶を出すことを教えられた。怒鳴られ、急ぎ給湯室に入った将未が戻ってきて、言われた通りに雀卓を囲む男たちに順に茶を出す。おう、と短い相槌のようなものを打った潮見が茶を啜り、眉を潜めた。
「広瀬ぇ。お前いつになったら美味い茶淹れられるようになんだよ」
「…すみません」
太い眉を釣り上げ、顔を上げて将未を睨む。無闇に人を威圧する声には慣れてきたはずだがこう真っ向から睨み上げられると将未は細い体をいよいよ縮こませるしかない。茶を配り終え、空になったアルミの盆を手にしたまま頭を下げた。
「コーラ持ってこい!こんな茶ぁ飲めるか!」
「はい」
また駆け足で給湯室へと向かう。2畳も無い給湯室には小さなシンクと1口コンロ、それと単身者用と思われる小さな冷蔵庫がある。急いでコーラのペットボトルを取り出して顔を上げると、申し訳程度に置かれた小型の作業用ラックの上に先程自分が茶を淹れた痕跡が残っていた。
部屋住みとなった次の日、ヒデに茶は汲めるかと聞かれたから、以前居た店での経験を振り返って将未はこくりと頷いた。その姿を見たヒデはじゃあ大丈夫だなと明るく言ったが、将未は美味い茶を淹れられるわけではない。あの風俗店で茶を淹れ始めた時も、畑山から詳しい入れ方を教わったわけではない。この道具を使えと命じられただけだ。今にして思えば、畑山もまた正しい茶の淹れ方を知っていたかも怪しい。いつもどれくらいの量を入れるべきなのだろうかと悩みながら急須に茶葉を入れ、ポットから直接熱湯を注ぎ、しばしーー時間を測るでもなく置いた急須から湯呑みになみなみ淹れている。その茶が濃いだとか薄いだとか熱すぎるだとかで大抵の場合、大抵の人間に大不評である。それでも事務所にいる者に命じられれば茶を淹れない訳にはいかない。
どうしたものかと鼻から息を抜き、ペットボトルを手に戻る。どうぞ、と差し出す頃にはもう潮見は再び麻雀に没頭していた。
「広瀬ー?」
茶の道具を片付けるべく広間を出る。ラックの上に散らばった茶葉を集めていると、矢立に呼ばれていたヒデが2階から降りてきた。今日は随分暖かい為か、派手な柄のシャツの袖を捲りあげている。覗く和柄の刺青が、普段明るいヒデの隠れた凄みを表しているようで粋に見えた。
「はい、」
「服買いに行こうぜ。服、」
対して将未の方は冬に買って貰ったスーツを着込んでいる。部屋住みとなった数日後に連れられて行ったススキノのデパートで、セーター等よりもスーツの方が見栄えがする、とヒデが選んでくれたものだった。その時のことを思い出して将未は静かに首を横に振る。将未が今着ているものの金は、あの矢立が出したと聞いていた。
「…要りません」
「いるんだよ。お前いつまで冬服着てる気だよ。ヤクザはカッコつけてなんぼだぜ。軍資金出たからな。それ終わったら行こうぜ」
ヒデは大抵機嫌が良い。将未の拒否などなかったかのように一方的に告げ、ラックを指差してから鼻歌混じりに事務所の中へと入っていく。広瀬借りてくからな。その場の全員に聞こえるように張った声は当然将未の耳にも入り、自分には拒否権など無いことを知った。
「ーーなあ、」
「ああ?」
ヒデの声に返答した後、広間には無言の時間が流れた。昼休みを終え、他の組位は各々の仕事場に散ったようで、事務所には雀卓を囲む数合わせの四名しかいない。コーラのペットボトルを開け、喉を鳴らした潮見が人気のなくなった廊下をちらりと見遣り、口を開く。
「広瀬の野郎、なんであんなボスやらヒデやらに優遇されてんだ」
声音は些か不穏ではあったが、この男は日頃から気性が荒い為、他の人間は気に留めない。並べた牌を真剣に眺めていた坊主頭が首を捻った。
「知らねえよ。ボスが自分で拾ってきたからじゃねえの?育てて補佐とか側近にでもする気なのかもな」
矢立の補佐の座は前任の男が欠けて以来、数年前から空席が続いているが、元々部下に身辺の世話を焼かれることはあまり好まない若頭は特に後任を指名していない。
そんな矢立自身のことは慕っているが、その矢立が目をかけているらしい広瀬には興味も関心もないといった風に坊主頭が返す。だが、転がる牌を見下ろす潮見の目は納得していない。顎先の無精髭を撫で、意味もなく声を潜めた。
「…そういやアイツ、広瀬。ススキノで働いてたって話だけどよ」
「ホストか」
「いや、」
あくまで噂だ、と前置きをして潮見は更に声を低くした。人の口に上る噂の出処や真偽が怪しいことも、尾ひれが付くことも世の常である。それでも、潮見が口にした店の名前は正しいものだった。店名を聞いた坊主頭が目を瞬かせた後に下世話な笑みを覗かせる。
「だったら側近じゃなくて色小姓だろ。広瀬の奴、案外店にいる時にケツ使ってボスに取り入ったのかもな」
「カレシと色小姓は別ってか。広瀬も大人しい顔してやり手じゃねえか、」
ボスこと矢立には男の恋人が存在する。それは雄誠会支部の中では公然の、だが暗黙の事実である。この支部に出入りする男達は矢立を慕っている人間ばかりであるから、基本的に矢立を悪くいう人間はいない。だが、矢立に向かない矛先は簡単に別の方へ向かう。
ゲラゲラと笑い出す潮見と坊主頭の会話を側で聞いていた短髪が首を捻る。負けが込んでいる麻雀に飽きた目をしていた。
「なあイロコショウってなんだ?」
「お前バカだろ。検索しろよ。…そんなに男のケツってのはいいもんかね」
潮見の脳裏には将未の細面の顔がある。夜の店に務めていたと聞いて納得するような妙な色気が醸し出されていることはともかく、自分達のような人間の集団の中に入ってくるにはどうにも骨が無い。時折、どこか人の顔色を伺うような様がちらちらと覗いて、その事が妙に気に障る。なによりーー序列も年季も無視して矢立やヒデに可愛がられていることは到底納得出来るものではない。
「…お前ら。今晩残れよ」
「なんだよ」
目の前の勝負事とは別の考え事をしているうちにツキは回ってきたらしい。選んだ牌を振ると、短髪がいよいよ絞め殺されたような声を上げた。
男の嫉妬は醜い。倫理に反するという文言は、この空間には存在しない。
〇●〇
部屋の隅に置かれた簡易ポールに掛けた真新しいスーツを眺め、ほう、と淡い息を吐き出した。いわゆる吊るしのスーツという物だが、冬に行ったデパートと同じ店でヒデは夏に向けたやや薄手の物を二着も選んでくれた。ヤクザは派手な物を好みがちだが、お前は派手な柄がどうにも似合わないと見立ててくれたスーツは紺と、薄い灰色で、将未はベッドに腰を下ろしてそれらを羨望のような眼差しで見上げる。自分だけに与えられる真新しい衣服は、これはお前の物だと言われた所で現実感は薄く、夢の中にいるような心地になる。
雄誠会に来てから、将未は人として作り直されているような気がしている。施設や、所属していた店の外のことをほとんど知らなかった将未を、組の人間達は物知らずだと嘲笑ったが、ヒデを始めとした組員は面倒くさそうな顔をしながらでも時に丁寧に、時に雑に物事を教えてくれる。ヒデ曰く、組に入った人間は家族同然で、例え擬似的なものであっても家族のような関係性を持つことが極道というものらしいが、家族というものがわからない将未の中では、いつの頃からかこの雄誠会が家族の形だという認識が出来ていた。
ヒデは将未が気に入ったのか、元から面倒見が良いのかはわからないが、空いた時間にはあちこち連れて歩き、食べたことの無いような物を食べさせてくれる。お前は何を食べさせても驚くから面白いと笑うヒデには、やはり将未に対しての邪気はないようだった。
分不相応だ、と思う。今年の一月までは同じススキノでもこことは全く違う空間にいた。私物と呼べる程の私物も持っていなかった。相変わらず物やーー自分の生死や人生には頓着していない。だが、衣食住に困らないということは漠然と抱く将来への不安を軽減させる。この部屋に住み、矢立やヒデに可愛がられ、他の人間とも関わっていくにつれて将未に常に付き纏っていた薄暗い影は僅かながらに薄くなって行くようだった。
「……、」
しかしその一方で、胸の奥深くに沈みこませた気配がある。物理的に満たされてると自分に言い聞かせると同時に、将未は自らの欲望を一つ抑圧している自覚がある。魔が差すように過ぎる空虚に眉を寄せ、小さく頭を振った。
ふと、階下から誰かが上がってくる音が聞こえてきた。壁の時計を見やる。時刻は日付が変わる頃だ。夜番の見張りが用があるのだろうかと腰を浮かしかける。毎晩二人から三人の体制で割り当てられる事務所の見張りは、退屈な夜を麻雀やカードゲームで過ごすことが多い。将未も時折数合わせの為に呼ばれてはルールもわからないままテーブルに着かされることがあった。
足音は複数のようだった。事務所を空けることは許されていない筈だが、と首を捻る将未の前、パーテーションの向こうでドアが開いた。
「よう。広瀬」
「…お疲れ様です」
部屋に現れたのは潮見と、昼間麻雀をしていたそのうちの二名だった。咄嗟に立ち上がり、深々と頭を下げつつ今日の見張りの顔を思い出す。この三人男達は非番の筈だ。
「まあ座れよ。…ちょっと俺らと遊ぼうぜ」
潮見はおもむろに将未の肩を抱き、共にベッドへと腰を落とさせる。されるがままの将未をニヤニヤと眺める男達は皆軽装だったが、微かに漂う不穏な空気を感じ取った将未は軽く身を捩るも、潮見の太い腕ががっしりと肩を掴んで離さない。
「なあ。お前、ススキノで働いてたんだってな」
「ーー…」
店の名前を口にされ、さっと血の気が引いた。変わる顔色を観察しつつ、男は親しげに身を寄せてくる。逃れようにも、逆の方向には別の坊主頭の男が立っていた。
「野郎相手にウリやってたんだろ?ケツ使って」
「…それ、は、」
肌が粟立つ。鼻腔を突くきつい煙草の香りに、不意にあの畑山の顔が蘇る。そこに連なり、あの店や、そこで行っていた行為を思い出す。特段隠していたわけでもない。だが、自ら口にしたいと思ったことはない。あの店にいて、男相手に客を取っていたことは恥ずべきことなのか。その判断をする時期は逸している。十代後半に染み付いた倫理観が、善か悪かの判断をする思考は、とうに麻痺している。
だが潮見が漂わせる空気が首を横に振らせた。自分を辱めようとしていることは潜めた声音から感じ取ることが出来る。
「もう、何年も前のことで、」
「ーー関係ねえだろ、」
肩に乗せられた掌がふわりと離れたかと思うと、後ろ髪を掴まれ、強い力で引かれた。走る痛みに顔を歪める将未はそのまま男の両足の中心に顔を押し付けられる。一日履いていた布地の汗臭さが直に鼻を突く。潮見の声は冷淡だった。
「俺ら男とヤッたことねえんだよ。プロなんだろ。どうやんのか教えろよ、マサミちゃん」
「…っ、」
ーー恐怖心が湧かない。理由は、自分自身にその行為が染み付いているからだと思った。
目の前の光景も、引かれる髪の痛みも、男の下卑た色をした声も、全て嫌という程経験してきたものだ。あの施設の住職や、店の客や、畑山が将未に強いてきた行為を将未はそういうものだと流され、受け入れてきた。流されれば殴られない。受け入れてしまえば褒められる。
そしてどんな形であれ、触れられることは胸の奥の渇望を一瞬だけ埋めてくれる。
この男に従えば、今確かに胸に沈めていた渇望が埋まる。操られるように、将未の指が男のボトムに触れた。そっとジッパーを下ろすと、ひゅう、と小さな口笛が吹き鳴らされる。カシャ、と小さな音がする。誰かが携帯電話のカメラを起動させているらしい。
「ヒデさんやボスに告げ口しても無駄だからな。広瀬」
温度のない男の声が降ってくる。下着の中に指を差し込み、まだ奥にある性器を外気に晒した。
「いくらでもお前が誘ったってことに出来るんだぜ。部屋住みが男誘って事務所でヤッてたなんて本部に知られりゃ、ボスに迷惑がかかるだろうな」
迷惑が。
悲しげな矢立の目が脳裏に浮かぶ。自分を拾ってくれた矢立。住む場所を与えてくれた男に迷惑を掛けたいと思う人間などいるだろうか。呼気を詰めると、その気配を察した潮見は、弱点を言い当てたことによるものなのか、雄に触れられることへの興奮なのか、嬉しげに声のトーンを上げた。
「そうすりゃお前はここに居られなくなるだろうな。困るだろ、」
住んでいる場所から追い出されることは慣れている。ここを追い出され、路頭に迷った所できっと自分は困るという感情には陥らないだろう。また流れるままに、何処かで静かに目を閉ざす。その姿は驚くほど自然に思い浮かべることが出来る。だが、矢立に迷惑を掛けたくはない。きっとあのヒデも怒るだろう。それとも、自分に世話を焼いたことを悔やむだろうか。
ーー誰かを慮って行為に及ぶなどということは、初めての経験だった。
体勢を変え、ベッドの上に伏せられた将未の前で潮見が膝を付いている。顎を高く上げる苦しい体勢のまま、将未は男の屹立を深く咥えては、音を立てて啜り上げる。唸るような声を押し殺した男は将未の髪を掴み、更にと深く喉を突き上げた。
「…っ、」
深い位置に男根を押し込まれ、顔を歪める。衣服を剥かれた下肢では、坊主頭の男が興味本位といった手付きで将未の後孔に指を突き立て、内壁を乱雑にまさぐっていた。
「慣れてんな。そこらの女より上手いんじゃねえか?」
半ば感心したように呟く潮見の声を聞きつつ口の中に満ちる苦味を飲み下しては鈴口をつつき、亀頭に舌を絡ませる。僅かに露出した陰茎の根元を指の輪で擦ると、口内で熱が脈打つた。
「出すぞ…っ、」
ずる、と潮見の熱が口内から引き抜かれたかと思うと、顔面に向けて白濁が散らされる。乱れて垂れた前髪や頬で体液を受け止めた将未を満足げに見下ろす男の目が制服欲に染まっていた。苦しげな息を吐き出し上下する将未の背の脇を抜けると、後孔に指を押し込んでいた男と立ち位置を変える。腰を掴む手の気配に、反射的に逃れようとするも許されるはずはなく、無遠慮な手付きで双丘を割られる。呼吸を噛み殺した刹那、無理に解された窄まりに熱が押し当てられ、そのまま静止をする間もなく身体を貫かれた。
「ーーッ…!」
将未の細い背が反り、同時に体内は潮見の熱を強く締め付ける。一度楔を引き抜いては、潤滑を求めるように浅い箇所で腰を動かした潮見の乾いた笑い声が降ってきた。
「はは、…っ、狭いもんだな、」
「っあ、や、ああ、」
興奮に上擦った声で呟いては、肌と肌がぶつかり合う音を立てて抜き差しする。じわじわとせり上がるような快楽に零れ始めた喘ぎを耳にした坊主頭が将未の前で自分のボトムのジッパーを下ろす。
「下に声聞こえんだろ、」
頬に押し付けられる欲を将未はぼんやりとした眼差しで見やっては、すぐに唇を寄せて咥え込む。複数の男に身体を弄ばれたことはないが、やるべき事は全て同じことだ。頭の隅で思い、音を立てて亀頭にしゃぶり着いた。
「いいな。お前。…これからも…、遊んでやるよ…っ、」
「んッ、ンンっ…ッ…!」
粘着質な音を立てて身体を揺さぶられる。触れられもしない将未の熱は腹に付きそうな程に立ち上がり、やがて将未の寝床へと精を飛ばす。吐精の余韻を全身で伝えると、潮見が低く唸り、将未の体内奥深くへと男根を捩じ込んでからそのまま濃い体液を注ぎ込んだ。
「っ…、」
身体の奥深くを濡らされる不快感に気付きもせず、将未の口の中でも苦味が弾ける。引き抜かれた熱を舌で追い、白濁で汚れた亀頭を浄めるように舌を這わせると若い男が堪らずに喉を上下させる。
「なあ、俺にも入れさせろよ」
「仕方ねえな、……ほら、こっちも綺麗にしとけよ」
潮見もまた喉を鳴らして笑い、また二人が入れ替わる。
散々解され、腹圧によって白濁が溢れる後孔を眺め、舌舐めずりした男が自分の若い猛りを将未へと宛てがう。荒い呼吸を整える間も与えられることも無く、たった今自分を犯していた猛りが将未の薄い唇に寄せられた。
〇●〇
事務所の2階、部屋住み用の一間の更に奥、廊下の突き当たりに設置されたシャワールームは自由に使って良いと言われいた。人1人が立つのが精一杯のそこは夜番の人間が時折使うくらいだったらしく、将未が組に来る以前はあまり使用されていない様だった。
誰かに見られてはいけないと早足で廊下を行き、浴室の照明を点すとまず壁の水垢が目に付いた。明日はここを掃除しよう。ぼんやりと思いつつ、蛇口を捻る。まだ温い湯であるにも関わらず、将未は頭からシャワーを浴びる。久々の性行為の余韻は体のあちこちを軋ませた。口を開いたままだっま為なのか顎がだるい。すっかり緩くなった後孔からはどろどろと白濁が溢れてくる。三人の男達は精が尽きるまで、というよりも征服欲や好奇心を満たし切るまで将未を蹂躙し、行為を終えた後は細い身体をベッドに打ち捨てるようにして部屋を出ていった。
シャワーを浴びつつ、ぐらりと頭を前傾させる。こん、と音を立てて、その頭が壁にぶつかった。
ーー結局、どこにいても同じなのだろうか。
霞む思考の中で思う。雄誠会で与えられた仕事は、男と寝ることではなかった。その事に将未はどこかで安堵し、何処かで不自然さを覚える程に男と寝るという事柄は自分の中に染み付いてしまっている。環境が変わるくらいでは容易に変えることが出来ない自分の歪んだ心身を見ないよう、気付かない振りをしながら部屋住みとしての暮らしを重ねていた。
誰かに触れられることで、全てを忘れられる。
何を与えられても、何を食わせて貰っても、衣食住が満たされても、自分の中の渇望は消えない。
その飢えるよう感覚が、三人の男たちに蹂躙されている最中には微かに消えていることに気が付いた時、内心では慄然とした。
矢立を盾に脅されていなくとも、自分はあの男達との行為に応じた可能性すらある。胸の底が満たされることと同時に、欠けた部分を埋めようとするかに自分の身体が淫らであることを自覚させられた。本来ーー将未の辿ってきた道を振り返れば、男に貪られることなど忌み嫌うべきなのかもしれない。しかし自分の心身は、それを与えられることを悦んでいるというのだろうか。
欠けた場所が埋まらない。
きっと自分は、何を与えられても、何を施されても、この渇望や欠落感からは逃れられない。
誰かに触れていてほしい。誰かに触れていたい。誰かにーー、
「……俺は、…駄目だな、」
いくら可愛がられても、いくら面倒を見てもらっても。
直に触れてくれる誰かがいなければ自分は欠落したままだ。顔を上げると目に入る小さな鏡の中の自分がどうしようもなく未完成な人間に思えてくる。誰かの性処理の道具となることで自分は満たされる。こんな形は、きっも間違っているのだろう。だが、他に埋められる術を知らない。
体中にまとわりつく自分や他人の体液が流されていく。温かい湯に安堵の息を吐きつつも、次にあの男たちが部屋に訪れるのは何時なのだろうと思う自分の中に、ほんの小さな期待が生まれている。その事に気が付き、初めて将未はぞっとした。
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