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特に熱心に観るでもなく電源を入れられたテレビは今日も賑やかに独り言を喋っている。将未と龍俊が夕食を共にし始めた頃、どうしても漂う無言の時間を埋める為にテレビの電源を入れるようになったものの、互いに観たいと思うような番組はこれといって無く、将未や、将未との会話の流れを龍俊が把握し始めた最近ではテレビ番組は専ら部屋のBGMとしての役割として機能していた。 今夜もまた適当に合わせられたチャンネルは可愛らしい動物を取り上げる番組だった。龍俊自身は動物に興味は無いが、物珍しさと、動物の愛らしさに惹かれたらしい将未は箸を持つ手を止めて画面の中でぼうっと温泉に入るカピバラに見入っている。 「ーー将未さ、」 ぼんやりと虚空を見つめて湯に浸かるカビバラを見つめる将未は何処と無くあの動物に似ていなくもない。くすりと笑いつつ、龍俊はそっと声を開く。はっと我に返った将未が何かを聴き逃しただろうかと慌てた様子で画面から龍俊へと視線を移す。 「いや、そんな大事な話じゃないよ。将未は鶏肉好きだよね、って」 龍俊が笑みを深め、ふふ、と歌うように言いながら将未の手元にある折り詰めを指さした。今日の夕食は龍俊がどこぞの料亭がデパ地下に出店しているという和風の折り詰め弁当だった。 指を指された箇所には唐揚げが2個入っていたが、将未の弁当のスペースは既に空だ。目を瞬かせる将未の反応を確かめた後、はい、と龍俊が自分の唐揚げを1つ将未の弁当の空きスペースに埋め込んだ。 「あげる。この間も鶏の香草焼きかなんか美味しそうに食べてたし。好きなのかなって」 誰かと食卓を囲むということは、これまで知らなかった自分自身を発見することに繋がっているのかもしれない。 好きな物も、嫌いな物も、好きな食べ物も、嫌いな食べ物も考えたことは無かった。将未にとって食事とは、ただ雑多な空間で出されたものをこの先の時間、空腹を覚えずに済むように食べること、という観念が染み付いている。出された物は残してはいけない。というよりも、将未の中にはは食べ物を残すという概念が無い。選り好みしたり、食事を残すということは二の次だ。遠いーーもうずっと遠くにある飢餓感が将未の食への嗜好を無意識に削いでいる。 将未にとっての食事の中には娯楽が無い。贅沢をすることなど知らなかった。 ひと月ほど前から、龍俊と食事をするまでは。 「…好き…、だと、思う」 「玉子も好きでしょ。ここの玉子焼き美味しいね」 折り詰めに入った玉子焼きは品の良いだし巻き玉子だった。将未はそれも綺麗に平らげている。黄色い玉子焼きをつまみ上げ、口に運んだ龍俊が目を細めた。 唐揚げ、香草焼き、先日食べた中華弁当の中に入っていた唐揚げに何かのタレが掛けられたもの。たまにはジャンクな物が食べたくなると言って龍俊が買ってきたフライドチキン。 鶏肉は豚肉よりも脂分が少ないし、牛肉よりもクセが無い。弾力や味が肉の中では最も食べやすいと思っていた。 ーーそう言われれば、自分は鶏肉が好きなのかもしれない。 長考の末にこくりと頷く。遅い反応に慣れた龍俊が笑みを深める。 「今度唐揚げが美味しい所に行こうか」 「…唐揚げ…」 「せっかく2人で食べるんだからさ、外食も良いよね。テイクアウト出来ない店行こうよ。将未」 対して龍俊は食道楽なのか、様々な種類の店を知っている。一人暮らしが長いからだよと苦笑してはいたが、以前、キッチンカウンターに捨て置かれていた折り詰めのレシートを目にして将未は驚いた。高価だったのは恐らくその折り詰めだけではないだろう。龍俊が選ぶ店はどれもヒデや、雄誠会の組員がおいそれとは手を出せないような店ばかりだ。大食するわけではないのか、いつも男2人が食べるにはちょうど良い量の料理が食卓に並ぶが、量と食費が比例するとは限らないような気がする。 舌が贅沢になってしまう、と言うほどまでには将未の舌は肥えるとは程遠い。見たことの無い料理でもとりあえず一通り口に入れ、知らない味も苦手だとは言わず綺麗に平らげる将未の様が、龍俊は気に入っているようだった。 「…行く、」 再び、今度は深く将未が頷く。滅多に見られない積極性を目の当たりにした龍俊が1度軽く目を見開いた後、また嬉しげに笑って筍の炊き込みご飯を1口頬張った。 〇〇〇 晩夏の頃に忍び寄っていた秋の気配は、一足飛びにこの街にやって来て腰を据える。ビルの谷間から射す夕焼けに背を押され、吹き始めた秋風に肩を竦めつつ事務所に戻った将未はヒデから教えられた茶屋で買ってきた茶葉を手に給湯室へ向かう。 夏の間はペットボトルの茶ばかりが役に立っていたが、その分将未の茶の汲み方は成長していない。茶を淹れる人間の腕とは関係無しに、雄誠会に置く茶を買う店は決まっているらしく、将未は冬にヒデに指定された店で茶葉を購入している。支部のボスである矢立は飲食物に頓着しないと聞いているが、その父親である雄誠会の会長は茶の種類1つにもこだわりがある男だという。 空になりかけた茶筒に茶葉を詰め、ストックとして購入したきたパックを戸棚にしまう。身を屈めて作業を行っていた将未が、とんとんと拳で腰を叩いて立ち上がった。 廊下や事務所からは退勤が近づいている組員達のざわめきが聞こえる。ヤクザといえど待遇が悪いければ人は組には居着かない。世間の風当たりも強く、ススキノですら昔ほどは大きな顔をして歩けないヤクザの稼業を理解している矢立は組員達の環境にも細かに気を配っているらしい。タイムカードを置くような真似こそしていないが、雄誠会の勤務体型は優良で、規則正しい。 将未もまた帰り支度を始めようかと給湯室を見渡す。この部屋を綺麗に片付けることを日課の最後に置いた部屋住みは足元の屑籠を手に取った。今日も1日無事に終えたと、ふ、と息を抜き、顔を上げると脳裏には自ずと龍俊の顔が浮かぶ。 誰かが家で待っているというのは、存外擽ったいものなのだということを将未はこのひと月の間に初めて知った。 帰るべき〈家〉があり、誰かが待っている部屋のドアを開き、清潔な環境の中で温度のある食卓を共にするという経験は、幼少期や少年期の頃の施設にいた時以来のことだ。将未が転々とした施設の中ではそれすらろくに存在しないような劣悪な環境の場所もあった。 現在は家に帰ると、灯りの点いた部屋に龍俊がいて、テーブルの上には綺麗な料理が並んでいる。短い時間の中であっても、内容自体は当たり障りのない世間話の類であっても、龍俊と会話を交わしながら食事を取る。ーーそれは全て、将未にとっては降って湧いたような体験だった。 今日の夕食はなんだろう。思いを巡らせると頬が微かに緩んでしまう。龍俊が選ぶ夕食はどれも高価で、美味い。だが将未は恐らく、その夕食が例え質素で粗末なものであってもそれが不満だとは思わない。将未が無意識に甘受しているものは龍俊と過ごす時間だ。あの温かく、穏やかな時間が何よりも嬉しい。 共に夕食を取ることは部屋を貸すことと引き換えなのだと龍俊は言っていたが、将未が喜ぶような事態であっては交換条件にはならないのではないだろうかという懸念すら過ぎる。何か別の提案をした方が良いのではないだろうか。優しい龍俊のことであるから、自分から何か別の条件を提案した方が良いのだろうか。 軽く眉間に皺を寄せつつ、屑籠を抱えて給湯室を出ると、ひょいと事務所から出てきたヒデに鉢合わせた。手に大きなビニール袋を提げている。 「お。丁度いいな。お前今日夜番だろ。これみんなで分けて食えよ」 「ーーえ、」 ヒデが持っているビニール袋を開く動作に釣られて中を覗き込むと、そこには山ほどの菓子パンが入っている。相変わらず面倒見の良いヒデがパチンコで勝った、と嬉しそうにビニール袋を寄越してくるが、文字通りに降って湧いたような言葉に将未は足を止めた姿勢のまま立ち尽くした。 「…今日、夜番…、」 「あ。お前夜番忘れてたのかよ。弛んでんじゃねえぞ」 呆けたような将未の呟きを拾ったヒデが珍しいなと片眉を上げる。相変わらずぼんやりしているものの、普段はごく勤勉な将未の失念に楽しげに笑うヒデは空になった手でぽんと将未の尻を叩いて去っていった。 ーー忘れていた。 部屋は出たものの、部屋住み、という身分は変わらない将未には先々週辺りから夜番が割り当てられるようになった。夜を徹しての事務所の見張りといってもこれと言った有事は起こらない。だが、幾ら平和であってもヤクザの事務所を空にする訳にはいかないという理由で毎回4名ほどの組員が事務所の中で夜を明かしている。有事が起こらない故に、喧嘩の腕に覚えも無い将未がシフトに組み込まれることになったのだが、将未はその旨を龍俊に伝えている。 数週間前、一緒に夕飯を食べられない日が出来た、と言いにくそうに伝えた将未は、龍俊に仕事の内容を詳細に言うべきか否かを迷っていた。だが龍俊の方から夜勤がある仕事なのだろうと察して了解してくれた為、夜番が入っている日の前日にその旨を伝え、将未が夜番の日には龍俊はマンションに訪れないという段取りがその場で成立した。 だが、今日の将未は夜番自体を失念していた。当然龍俊にも伝えていない。立ち尽くし、ヒデの背を見やる。1度家に帰らせて貰えないだろうか、などという戯言が通用しないことくらいはわかっている。普通であれば、龍俊に連絡1本入れる事で解決することなのだろうが、将未は龍俊の連絡先を知らない。 「…どうしよう、」 屑籠と、ヒデに持たされたビニール袋を抱えて途方に暮れたまま退勤時間が訪れ、打つ手が見当たらないままやがて夜番の時間がやって来た。 夜番の組員たちが今日も平和な夜を明かす事務所の中、将未は終始しょんぼりと眉を垂れて過ごしている。 「広瀬ぇ。辛気くせえ顔してんじゃねえよ。ほらパン食え」 理由を問うことはしないが湿っぽい空気を嫌う親分肌の組員が眉を寄せながらも将未に菓子パンを放り投げる。受け止めたパンは巨大なジャムパンだった。 「それ食ったらトランプな。負けたら買い出しだぞ」 役を覚え切れない将未はいつまで経っても麻雀の相手にならない。麻雀の代わりとして行うのはようやくルールを覚えた大富豪で、運良く最下位を回避したところで下っ端の自分は最下位の人間の買い出しに付き合わされることを知っている。鼻から息を抜き、パンのビニール袋を開けて中身を小さく齧るとベタベタとした甘さが口の中に広がる。甘ったるい夕食をもそもそと口にする将未の脳裏に自宅のテーブルの風景が過ぎった。 龍俊が家で待っているというのに。 きっと今日も2人分の夕食を用意して待っている筈だ。 龍俊は1人、あの部屋で食事をしているのだろうか。 将未自身は未だに持て余している広い部屋で龍俊が1人座っている様を想像しては胸が痛む。 連絡の1つも寄越さずにすっぽかしたも同然だ。 龍俊は怒っているかもしれない。 悲しんでいるかもしれない。 謝らなければ。 なんと言って謝ろう。 こういう時には、なんと言って謝れば良いのだろう。 龍俊が怒っていて、部屋を追い出されたのなら。 もう、一緒に食事を取らないと言ったのなら。 食事とは違う、別の条件を提案されたのなら。 自分はーーとても、寂しく思う気がする。 「…帰りたい…、」 「俺だって帰りてえよ。ほらさっさと食って札配れ」 パンを飲み込み思わず漏れ出た言葉を耳聡く拾った組員にどつかれ、将未はますます眉根を下げる。充満する煙草の煙の中、鬱々とした思いを抱えながら喉に詰まりそうなパンを咀嚼しては飲み下す。 普段よりも長く、緩慢に過ぎていく今夜の大富豪は散々な結果で、重たい買い出しの荷物を抱えて深夜のススキノを歩くその間も将未の脳裏には龍俊の姿が留まったままだった。 〇〇〇 夜番明けの日だというのに、将未はろくに眠ることも出来ずに日中を過ごした。早朝、夜番を終えた将未が息を切らして帰宅した家に当然龍俊はいなかった。夕食を取った後は帰宅し、将未の私的な時間に干渉をしないという約束を龍俊は律儀な程に守っている。 ベッドには潜り込んだものの、うとうとと眠りに落ちかけては龍俊のことを考えて目を覚まし、覚めた頭で寝返りを打って頭を抱える。まとまった睡眠を取らないうちに、気が付いた時には寝室のカーテンはオレンジ色に塗り替えられていた。日毎に早くなる夕方の気配に将未はもそもそとベッドから起き出す。寝間着からシャツに着替え、洗顔した後にやはり所在なくリビングを彷徨う。大きな窓の向こうの秋の陽はたちまち暮れてしまい、眼下にはあの眩いネオンが広がっていた。 煌めくネオンを見下ろしながらいよいよ途方に暮れる将未の耳に電子音が届く。玄関のドアが解錠した音に顔を上げ、ばたばたと足音を立ててリビングを飛び出した。 「ただいまー。将未?いる?」 「…っ、いる、」 玄関を潜った龍俊に向かい、駆けていく。出迎える将未の切羽詰まった表情に驚いた龍俊が目を瞬かせるも、その様を見るより先に足を止めた将未が深く腰を折った。 「……ごめん、なさい…っ、」 「え?…ああ、昨日?」 唐突に謝意を示す将未に、龍俊が再びぱちりと目を瞬かせる。玄関先に立ったまま、なんの事だろうと首を傾けかけるも思い当たる節は1つしか無い。伺うように首を傾げたまま将未を見下ろすと、これ以上ない程に眉を下げた将未が顔を上げてこくりと顎を引く。龍俊がようやく笑って、同じように眉を下げた。 「別に気にしてないよ?忘れてただけだよね?そういう日だってあるよ」 「……」 龍俊の声音には含んだものは無い。気にするなと笑い、ひらひらと振る掌の気配を感じながらも将未は顔を上げることが出来ない。どう詫びるべきなのかを考えたものの、言葉でしかその意志を示すことが出来ないことが情けない。身を縮め、首を下げたまま小さく横に振った。龍俊がううん、と小さく唸る。 「…とりあえず、ご飯、食べよ?」 手にした大きな紙袋が、かさりと鳴った。 今日の夕食は中華料理のテイクアウトだった。以前将未が喜んだから、と並べられる中華のアラカルトの焼売や春巻き、それと以前も買ってきたタレのかかった唐揚げーー油淋鶏を見ても将未の眼差しは浮かない。まだ湯気の昇る料理が入ったプラスチックの器を2人で並べ、最後に氷の入ったグラスとペットボトルのミネラルウォーターをセットして互いに席に着いた。 「いただきます」 「いただきます…」 「ちょっと買いすぎちゃったからたくさん摘んでね。ここ焼売も美味しいからね」 見るからに落ち込んだままの将未が遠慮してしまわないようにか、指先で容器を押しやりつつ龍俊が勧める。箸を手に頷き、遠慮がちに摘んだ焼売はまだ十分に熱かった。 しばらく無言のまま食事が進んだ。テレビから流れる騒音を聞き流しつつ、メインの炒飯を半分ほど平らげた所で、龍俊が1度視線を上向かせてから将未を見やった。 「俺考えたんだけどね、」 手にしていたレンゲを置く龍俊が真剣な目をしている。何を言われるのだろうかと身構える将未の気配に龍俊が苦笑気味に頬を崩した。 「将未さ、携帯持ったらどうかなって」 「……、」 1度グラスの水で口の中を注ぎ、箸を手にしつつ再度将未と視線を合わせる。上品な所作の箸使いで持ち上げた春巻きを綺麗な歯で齧り、やっぱり美味しいね、と目を細め、話の続きを待つ将未の取り皿に春巻きを寄越した。 「将未、携帯持ってないでしょ?携帯持ってたら、昨日みたいな時に連絡取れるからさ。緊急時にはやっぱり必要かなって。電話じゃなくてもメールでもなんでも良いから、」 「携帯…」 確かに龍俊の言う通り、将未は携帯電話を持ったことが無い。正しくは、ススキノの風俗店にいた時に持たされていた店の所有の携帯電話以外を持ったことがない。あれは畑山曰く格安で契約出来る機械で、通話とメールといった最低限の機能くらいにしか使えない前時代の代物だと聞いていた。現在も「お使い」の際には雄誠会所有の携帯電話を渡されることがあるが、その携帯電話も将未は通話以外の機能は使った事が無い。 叱られると身構えた将未は、予想もしていなかった提案に箸を止める。ぽつ、と復唱する将未の癖は相槌のようなものだと心得た龍俊が続きを始める。 「昨日さ、俺は別にそういうこともあるだろうなと思っただけだけど、将未の方が気にしてるんじゃないかなと思って」 昨夜の将未の胸中はしっかりと見抜かれていた。将未の性格として約束を反故にするようなことはしないだろう。なんらかの緊急事態が起こったとしたのなら、将未がなすすべも無くなんの連絡も入れられず困っているのではないだろうかという方が気に掛かっていたと龍俊は付け足す。 「将未が携帯持ちたくないとか、そういう主義なら無理強いはしないけど。ほら、この間言ってた外食とか行きたいなと思った時にもそれがあれば思い立った時にお互い職場から出てそのまま待ち合わせとか出来るでしょ?それに俺さ、」 相変わらず龍俊の弁には淀みがない。とうとうと利点を述べた後、最後に微かに憂いを含んだ目で将未をまっすぐに見つめた。 「将未にそんな風に謝ってほしい訳じゃないしさ。謝らないでよ。昨日のことよりも…、そんな顔される方が悲しいから、」 「ーー…」 悲しげな目に、昨晩とは違う痛みが将未の胸に過ぎる。 自分もーー龍俊にそんな目をさせたくはない。箸を手にしたまま頷きかけ、はたと動作を止めた。 「…けど俺は、…ああいうものの契約が出来ない…気がする、」 携帯電話というものに詳しくはないが、あれを持つにはただ店に買いに行けば良いというものではないだろう。実際、風俗店では風俗店が、雄誠会では雄誠会が携帯会社との契約の上に携帯電話を所有し、発生する代金を支払っていると思われる。それは将未の聞き齧りの知識の寄せ集めと想像でしかないが、そういった契約にはおそらくーー身分を証明するものが必要である気がする。 相変わらず戸籍すらどこにあるのかわからないような身元の不確かな人間には、使用代金という金銭が絡む物は使わせてはくれないのではないだろうか。せっかくの龍俊の提案を無下にしてしまうような一言を歯切れ悪く口にする。美味い筈の中華料理が味を失くしてしまうような感覚に将未が再び首を下げかけるも、龍俊はなんだ、と明るい声音で呟いた。 「平気だよ。俺の名義でもう1台契約すれば良いだけだから。俺が…ええと、3台持ちになるのかな」 契約出来ない、という意味をどういう意味で捉えたのかはわからないが、龍俊は将未の前に立つ壁を簡単に、柔らかい言葉で崩していく。既に私用のものと仕事用の物を2台持っている龍俊にとっては何ら問題は無いと笑う男に将未はゆるゆると瞼を上下させた。 「だから大丈夫。それに俺が持って欲しいと思ってるんだからさ。将未さえ良ければ、明日にでも契約して作ってくるよ。携帯」 「……」 龍俊は、いつもこうして将未の目の前の不安を笑って取り除いていく気がする。明るいダウンライトの下、にこにこと屈託なく笑う龍俊を眩しげに見つめた将未が、今度こそ深く頷いた。 「…お願い、…します、」 「はい。任せてください」 改まった将未の口調に龍俊がおどけたように頭を下げて答える。照れを隠すように口にした春巻きは、龍俊の言う通りとても美味い物だと思った。

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