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「ーーで、携帯持つのか。お前、」 ぽかぽかと日差しが射す事務所の前、縁石に座ったヒデが缶コーヒーを手に将未を見やる。暇だし日向ぼっこでもするかと将未を連れ出し外に出てきたヒデを見張りの人間は苦笑して見下ろしているが、確かに今日も雄誠会は平和だ。数メートル離れた自販機で購入したヒデの物よりも甘い缶コーヒーを手のひらで包み込みながら、同じように縁石に腰掛ける将未が小さく頷いた。 「今日、買ってきてくれます」 「ふうん、」 ヒデはブラックの缶コーヒーを1口飲んで空を見上げる。秋晴れの空は高く澄み、冬までの束の間の温もりを地上に注いでいる。こうして外でのんびりと座っていられるのもあと数ヶ月だろう。少しの油断を縫うように、冬は容赦なくこの街にやってくる。 「なんかさあ、そいつ、カンバラさん、だっけ?カミサマみてえだな」 「ーーカミサマ…?」 それは酷く耳慣れない響きだった。思わずヒデを見遣り、呟く将未に対してヒデはビルに囲まれた空を仰いだまま、片手の指を1本ずつ折る。 「部屋貸してくれて、飯食わせてくれて、次は携帯だろ?もしお前がなんか欲しいってねだったら全部揃えてくれるんじゃねえか?」 これまで将未から龍俊にーー他の誰かにも、何かを要求したことは無い。龍俊の方も夕食以外の面ではあれこれと無闇に将未に対して金を使うことはない。だが、龍俊が何かを断ったり、渋ったりする様は不自然な程に思い浮かばない。ヒデの声音は軽口のままだが、将未は真剣にヒデの話を聞いている。 「まあ、お前がなんか強請るってとこが想像出来ねえけどな。話聞いてたら部屋もすげえ部屋みてえだし。相当稼いでんだろうな」 将未は、心配をかけまいとする意識の下で今の暮らしをヒデにだけは簡単に伝えていた。事実上、部屋住み用の部屋を追い出してしまう形を取った矢立もまた暗に自分を心配しているという旨をヒデから聞いている。世話になっている人間達に不必要に気を揉ませたくはない。 ヒデが作業着のようなズボンの足を道路に放り出して伸びあがった。昼間のススキノの路地裏は、夜のそれとは別世界のように人も車も通らない。空を見上げていたヒデの視線が将未へと折り、愉快そうに笑った。 「その辺全部ひっくるめて、そいつお前のカミサマみてえだなって」 まあ、カミサマなんて居るのか居ねえのかわかんねえけど。 付け足した声は幾分かトーンが下がりはしたものの、あくまで明るいままだった。 将未は神など信じたことは無い。最後にいた施設で、仏の存在を説かれた記憶があるが、今になって振り返ると、あの住職は仏の居る場所には行けないような気がする。 もし神がいたのなら、将未のような曖昧なーーほんの少し躓いただけであっさりと路頭に迷うような存在自体がこの世からいなくなるのではないだろうかと思う。そうでないのなら、神が居たとしてもそれは万能ではないだろう。 「…神様…、」 空っぽの自分に少しずつ水を注いでくれる何かをカミサマだというのなら、それはおそらく自分を拾ってくれた矢立であり、面倒を見てくれるヒデであり、なんでも与えてくれて、叶えてくれる龍俊のことだ。 ふとあのマンションの玄関ドアの脇に貼り付けられた表札を思い出す。「神原」の「神」は「神様」の「神」だったのかーー。 神など信じたことは無い。だが、神など信じなくても、信じるべきはすぐ傍に有るような気がした。 〇〇〇 今日の夕食はデリバリーのピザだった。 配達の品は将未が帰宅する時間の少し前に届いていたらしい。2箱のピザと、同じく注文したポテト等のサイドメニューはダイニングではなくテレビの前のローテーブルの上にセットされ、リビングには既にイタリアンの料理店のような香りが満ちていた。こういうのはこっちで食べた方が美味しいんだよ、といつも通りの笑顔を浮かべる龍俊に誘われるままにソファーに腰を下ろすと、目の前で平たい箱が開けられた。テレビのリモコンを手にした龍俊が今日は衛星中継で流れている洋画にチャンネルを合わせる。何事にもスマートな龍俊は雰囲気を作ることにも長けているようだった。 「食べよう食べよう。俺、ここのピザが1番好きなんだよね。こっちがマルゲリータでね、こっちがシーフード」 「…いただきます」 テーブルの上で湯気を立てている食べ物は、以前組で組員達が注文していた巨大で分厚いだけのピザとは違う気がする。上品な大きさのピザの上には真っ赤なトマトソースがたっぷりとかけられ、上には青々とした何かの葉と、白いチーズが惜しみなく載せられている。先には手を付けない将未を見越した龍俊が取り皿の上に乗せてくれたマルゲリータを1口齧り、口内に広がるトマトの甘さに僅かに目元を緩めた。 「美味しい?」 「美味しい。初めて…食べる味がする」 青い葉は口にしたことの無い香りがするものの、薄い生地はもちもちとしていて食べやすい。三角形を手に頷く将未に、龍俊が満足げに笑った。 しばらく互いにテレビを眺めながらピザと飲み物を味わった。龍俊は缶ビールを手にし、将未はジンジャーエールの缶を脇に置いている。チャンネルを合わせたものの、やはり眺めるだけの洋画が流れるテレビの画面がCMに切り替わった。そのタイミングで、龍俊がふと思い出したように立ち上がった。ピザを手にしていた左手の指先を紙ナプキンで拭いてから将未に背を向ける。 「忘れるところだった。契約してきたよ。携帯」 ダイニングテーブルの上に置かれていた小箱を取った龍俊が戻ってくる。はい、と将未の取り皿の横に置かれた白い箱には中に入っていると思われる携帯電話の写真がプリントされ、何かのマークなのか、林檎が齧られたようなイラストが付いていた。 「名義は俺だけど将未の物だからね。ネットでも動画でも自由に使ってみてね。わからない所があったら夜ご飯の時にでも聞いてくれたら教えるよ」 「……ありがとう、」 食べかけのシーフードのピザを皿に預け、龍俊と同じように手を拭いてから指を伸ばそうとするも、将未は不意に躊躇する。 ーーカミサマみてえだな。 唐突に、昼間ヒデが言った言葉が頭を過ぎった。 昨晩口にしていたばかりの案を翌日にすぐに実行に移す。この部屋を借りることになるきっかけとなったランチの時も、この夕食を共にすることも、龍俊は全て将未が望むにも望まないにも関わらず提案を差し出し、そして将未が拒否しないことを確かめてから動き出し、形として目の前に差し出してくれる。 自分の神様のような龍俊。 だが、その神様がどうして自分に親切にしてくれるのか。 昼間からーー否、この部屋に住み始めた時から、それ以前、龍俊に出会った時からずっと考えている。龍俊はどうして自分に親切にしてくれるのだろう。身に余る、余り過ぎる程の環境を整え、何不自由無く生活をさせてくれている。将未の知らない色を、形を、味を、上等なもの全てを次々に見せて、教えてくれる。 将未は龍俊がそうしてくれる理由がわからない。 自分には何も無い。将未の中のその意識は根深く残る。 ともすれば存在自体が曖昧なものに思えるような自分に親切にするメリットなど幾ら考えても見当たらない。なんの見返りもなく、なんの理由もなく、人に親切にしてくれる人間がいるのだろうか。そんな人間がこの世に居るのだとしても、将未は今まで会ったことがない。 矢立やヒデは自分を拾ってくれた男だ。彼らに関しても大したメリットは無いだろうが、将未を曲がりなりにも人手として雇うことで益を得ているのだろう。 だが龍俊は違う。暖かな龍俊の笑顔を目にする度に、その理由はわからなくなる。 この環境は、龍俊のような人間はーー自分には、勿体ない。 「将未?どうしたの?」 「ーー…、」 止めた指を丸め、大腿に着地させた将未に気が付いた龍俊が案ずるような眼差しで横顔を見やる。知らず考え込んでいた将未が目を上げて龍俊を見つめ返した。眉を下げ、軽く唇を噛む。 「…わからなく、て、」 ぽつりと落とした言葉の続きを龍俊が無言で促す。困ったように目を伏せ、将未は言葉を探しては口を開く。 「…龍俊さんが、どうして俺にこんなに親切にしてくれるのか、…わからなくて」 何かがわからない事は怖くはない。 だが、いつも不安が付き纏う。 これまで将未は、お前はここに必要だとされたから、例え一時でも居場所を与えられていた。 必要だと言われてもいないというのに、こんなに身に余る場所に居られる理由が見付けられない。 自分はまた、いつかこの部屋から追い出されるのだろうか。 誰かの意に沿わないことで、また不要だと言われ、今居る場所を失くしてしまう可用性はいつの時も捨てきれない。 同時に、どれだけ上等な環境が整ったところで、胸の奥の空虚は埋まらない。 それは例え、この上等な部屋で、柔らかな龍俊と過ごしていても同じことだ。 これまで味わうことのなかった温もりを享受しても、寒々とした風は胸の奥底に吹き続けている。 それらが目に見えない焦燥感となって、常に将未に付き纏っている。 自分には何も無い。 物理的に満たしてもらい、それでも空虚を感じている自分が嫌になる。 何も持たない自分に龍俊はどうして親切にしてくれるのか。 言葉には言い表すことの出来ない不安が、将未の顔をますます俯かせた。 龍俊が僅かに距離を詰めるも、顔を上げることが出来ない。気が付くと、互いのシャツが触れ合う近さに距離が縮まっていた。 「…あのね、…言わないでおこうと思ってたんだけど。……将未が、俺のタイプだから」 「ーー…、」 囁くような声が鼓膜を擽った。龍俊が口にした言葉の意味を探る為に、将未が目を瞬かせる。顔を上げると、龍俊の真摯な眼差しに瞳を覗き込まれた。龍俊の指が逡巡するように腹の辺りで泳ぎ、大腿の上に置かれ、握り締められた将未の拳にそっと触れた。 「将未がね、タイプだから。…初めて会った時から思ってたよ。あのコンビニの前で、ああ、この人タイプだなって。…一目惚れ、だと思う」 「…それ、は、」 やはり意味は上手く飲み込めない。泳ぐ視線を逃がすまいとするように、将未の手が龍俊の手に包み込まれた。 「また会いたいと思ってた。だから、偶然不動産屋の前で会った時、すごく嬉しかったんだ」 龍俊の相貌が将未に近付く。呆けたように佇む将未の唇が、龍俊の薄い唇にほんの微かに押し付けられた。 「…っ、龍俊、さん、」 「…あの時…、将未は困ってるみたいだったから。…つけ込んだんだ」 淡い唇の感触に将未はいよいよ瞠目する。だが、一方で龍俊の目が陰る。悲しげな、自嘲するような表情を浮かべる龍俊が目を伏せた。龍俊のそんな表情を見るのは、初めてのことだった。 「困ってる将未に親切にしたら、この人が俺の傍に来ると思って、つけ込んだ。将未の窮地を利用したんだよ。俺は」 「…龍俊、さん、」 そんな目をしないでほしい。いつも笑顔を絶やさない龍俊が悲しげな目で笑う様に急激に胸が苦しくなる。そんなことはない。伝えようと小さく首を振る将未に、龍俊が再び視線を重ねた。 「…親切なフリしてるだけなんだ。…こうやって将未に触りたくて、本当は悪い奴だけど、いい人のフリしてただけなんだ。それなのに将未は何も疑わないから。…何も言わなければ、ずっと、こうやって将未と居られると思ってた」 だから言わないつもりだったのに。声音を落としながらも、龍俊の声は淀みが無い。どこか懇願するような眼差しで将未を見つめては、それでもまた請うような動作で唇が重ねられる。 「こんな俺で…がっかりしたよね。嫌なら、」 呼吸が触れ合う距離で投げられた拒否権に、将未は軽く眉根を寄せ、もう一度横に首を振った。龍俊の言葉がゆっくりと胸に降り、染みてくる。将未の胸の奥の浅い水面が、揺れた。 「…嫌じゃ、ない、」 悪い人間だけは山ほど見てきた。 自分を虐げ、意のままに扱い、その事で己の欲を満たして生きているような人間達の中に将未はいた。 だが、自分を悪人だと言う龍俊はそういう人間とはまるで違う違う空気を纏っている。 龍俊のような人間には触れたことがない。だから良いも悪いもわからない。 だが、龍俊の寂しげな瞳に覗かれると苦しい程に胸が詰まる。柔らかい指先と、決して乱暴なものではない口付けを将未は知らない。 こんな風に誰かに求められたことは初めてだ。 じわりと胸が熱くなる。胸の奥底に、音を立てて水を注がれている。そんな感覚が、将未の指を動かし、龍俊のシャツを握り締める。1度そこに視線を落とした龍俊が眉根を寄せて将未を見つめる。瞳に含んだ一抹の雄の色と、それに勝るような強い熱が、将未の肌をぞくりと粟立たせた。 数え切れぬ程の男と寝ていても、どんな男に身体を暴かれても、将未はこんな風に自分を見つめる目を、知らない。 「嫌じゃ、ない。…龍俊さん、」 将未の応えに龍俊の目元が安堵に緩んだ。大腿同士が触れ合う程に距離を詰めては、龍俊が将未の唇に自分のそれを重ねさせる。瞼を落とす気配を見計らったように唇が啄まれてはまた離れていく。 角度を変え、淡く開いた上唇を食んでは、口唇を深く重ね合わせた。きゅ、と眉間に皺を寄せる将未を、龍俊は薄く開いた視界で確かめつつ、覗かせた舌で将未の唇の形をなぞり、歯列を辿っていく。シャツを握る将未の指に力が籠る。ソファーの背に上体を委ねる形となった将未にまた深く口付けては、口内の柔肉に触れてなぞり、音を立てて絡め合わせていく。 「…っ、ぁ、」 これまで味わった事の無い柔らかな口付けに将未の脳裏がたちまち霞んでいく。決して強制的ではなく、一方的な力は含まれない口付けに将未は自らもそっと舌を伸ばして龍俊のそれに擦り合わせた。鼓膜に届き始める水音までもが将未の脳を熱く霞ませていく。じわじわと熱くなる身体に戸惑うように身動ぎすると、龍俊の左手の指がシャツのボタンに掛かった。 「龍俊、さ、ん、」 離れていく唇の感触に目を開ける。止められてしまった口付けに名残惜しげな色を浮かべる瞳の色に気付いた龍俊が、1つずつボタンを外しながら軽く首を傾ける。 「将未は、キスが好き?」 「…っ、」 「じゃあ、キスしながらしようね」 正面から尋ねられたを将未の目元がほのかに紅潮する。その様を咎めるでもなく、揶揄するでもない龍俊の掌が直に胸板を滑ると同時に、再び唇が重ねられた。再び触れ合う唇に、離れまいとするかに懸命な動作で将未が首を伸ばすと、龍俊が応じて緩急を付けて唇を覆う。胸を辿る指先が、左の突起を捉えた。 「ッ…、」 「ここ、好き?」 少年の頃から、あの住職や風俗店にやってくる客に拓かれ、淫らに性を教え込まれた将未の身体は、将未の意に関係無く敏感な反応を見せる。龍俊の指の腹の下で充血し、硬さを帯びる突起を転がされる将未の相貌がいよいよ赤く染まっていく。 眉根を寄せて喉元を晒す将未の身体をなぞるように上下する手、指先が時折焦らすように突起に触れる度に細い身体が震えた。指の腹で捉えた粒を潰しては撫でられると、日に焼けていない白い肌にじわりと汗が滲み始める。止めようもなく、下肢に熱が集まりつつある感覚に将未はもぞりと大腿を擦り合わせた。 「こっちも、触っていい?」 伺う龍俊の唇が、将未の引き結んだ唇に触れる、漏れる吐息を返答と捉え、左手でそっと下肢を撫でた。手馴れた手つきが将未のスラックスのベルトを外し、衣服を緩めていく。龍俊の動作に応えるように、ほとんど無意識にだらしなく開いていく両足の間で下着を僅かに押し上げる雄は緩く熱を帯びていて、その状態を伝えるかに龍俊の指が形をなぞった。 「ぁ…っ、」 跳ねるように零れる喘ぎを咄嗟に噛み殺す。篭った吐息が龍俊の唇に触れては消えていく。将未の指にまた力が籠る。龍俊の指が下着の中に入り込み、将未の自身を外気へと晒した。 「胸とキスだけなのに…、ちょっと勃ってる、」 「ッ…、」 視線を下へと落とした龍俊の柔らかい声が忍び寄るように羞恥を煽る。額までもを赤く染めた将未の相貌に幾つもの口付けを降らせつつ、龍俊の指が将未の熱の先端をなぞり、竿の形を辿る。たったそれだけで浮いてしまいそうな腰を耐える将未の様子に目を細めつつ、完全に熱を呼び起こしてしまおうと指の輪が数回熱を上下した。 こうして誰かに身体に触れられるのは、あの部屋住みの時、潮見達にいたぶられた時以来だ。人様に借りた部屋で行うことは幅かられ、自慰すら意識的に遠ざけていた将未の身体は、久しく与えられる快楽に素直な反応を見せ、それと同時に思考はたちまち溶かされていく。流されるままに触れられる将未の下肢の中心は固く勃ち上がり、先端にはすぐに雫が浮き上がり、気が付いた時には龍俊の手を濡らす湿り気を帯びていた。 浮いた先走りを亀頭に塗り付け、掌が熱の形をなぞると、ぞわりと腰を揺らすような感覚に襲われた将未がきつく瞼を閉ざし、ゆるゆると頭を振った。 「ぁ、だめ、龍俊さ…っ、久しぶり、だから、」 「久し振りだから…?」 早い吐精感に焦りを覚え、逃れるように腰を捩るも龍俊の手は将未の身体を逃さない。右手で腰を抱かれ、含んだような声音の囁きが耳元に直接吹き入れられると、将未の肌が一際ぞくぞくと震える。首筋に転がる汗を舐め取りつつ、龍俊の指が手の中にある鈴口の端を甘く掻いた。 「っァ…!あ…!」 ぐずぐずと肩から落ち、半端に纏ったシャツの間から覗く将未の腹に白濁が飛ぶ。短い喘ぎを咄嗟に堪えることも叶わず、明確な嬌声を上げて果てた将未の唇がどこか褒めるような甘さで音を立てて啄まれた。 「っ…、龍俊、さん、…俺が、するから…っ、」 「ん…?」 薄く瞼を開き、視界の中に収める龍俊の相貌が興奮に上気している。シャツを掴んだ指を解き、身を起こそうとするも龍俊はその場から避けてはくれない。逃がさない、と伝えるかのようにまた甘い口付けが降る。 「龍俊さんの、…口で、」 一方的に愛でられるような行為は受けたことが無い。 将未にとってのセックスのほとんどは、まず相手の欲を口淫で満たすことから始まっていた。口角を歪めて笑う男の前に、あるいは足の間に顔を埋め、口元に無造作に突きつけられる男根に手や口を使って奉仕すること。それが当然のことだと思っていた。 こんな風に、甘いだけの口付けも、熱を帯びた眼差しも、思考を緩慢にさせる優しい手つきも、将未は知らない。戸惑いの中で流され、自分だけが射精することへの罪悪感すら芽生え始める。愛撫を受けるだけのセックスなど、将未は知らない。 目を見て呟いた将未に、龍俊が小さく目を瞬かせる。困惑したような将未の表情を癒すように額に唇を載せた。 「…そんなこと、しなくて良いんだよ」 「けど、」 「それよりも、…俺はこっちが良い、」 微かに悲しげな色を浮かべた龍俊は、宥めるような声音で呟く。ーー君を許す。そんな色すら帯びたような声に将未は一層戸惑いを覚えるも、その将未の筋肉の薄い腹の上から、今散った白濁を指の先ですくい上げては腰を上げるように促す。 おずおずと腰を上げ、着乱れ、尻の辺りで皺を作っているスラックスと下着を一度に降ろすと、顕になった小ぶりな双丘に龍俊の左手が伸びた。 「久し振り、なら…ちゃんと馴らさなきゃね」 双丘の奥、後孔に指が押し当てられる。それだけでひくりと喉元を揺らす将未の相貌をじっと見つめながら龍俊がゆっくりと指を押し進める。 「っ、ん…ッ、」 久方ぶりとはいえ、将未の奥は難なく龍俊の指を飲み込む。付け根まで入り込んでは内側の熱さや形を確かめるようになぞり、震える肉輪を広げるべく中指が埋め込まれる。一度吐精した将未の雄がまた腹の上で勃ち上がる様に、龍俊が舌先を覗かせて唇を舐め濡らした。 「将未のここ、熱くて柔らかいね。指、気持ちいい…?」 「やめ、ッ…、や…、」 この淫乱が。侮蔑混じりに、嘲るように将未にそう言ったのはどの男だったか。その言葉すら否定出来ない程に、自分の身体はいつの間にか淫らになってしまっていた。ぞくぞくと這い上がる快楽に引き寄せられる記憶が羞恥を呼び起こす。言わないでくれと首を振り、手の甲で口元を覆う将未の首筋に唇が触れる。ひく、と震える喉仏を舐め濡らしては、龍俊が荒い息を吐き出す。 2本の指が音を立てて将未の内側を掻き回し始めると、震える指が龍俊のシャツを求め、掴む。軽く背を起こし、縋るような仕草で龍俊の肩口に額を埋め、相貌を隠す将未の髪が龍俊の吐息で揺れている。帰宅時には緩く纏め上げていた黒髪にも汗が浮き、その髪を撫でる指先にすら将未の項が反応を示して震える。 一身に身体を押し付ける将未に呼応するように、龍俊の身体もまたシャツの中でじっとりと汗ばみ、吐き出す呼気が不規則に将未の外耳に触れた。 「将未。ね、…挿れたい、」 囁きと共に、それでもゆっくりと焦らすように指が抜けていく。中を掻かれ続けるも、奥までは届かなかったもどかしさに急かされた将未が顔を上げると、龍俊の下肢の辺りでベルトを外す金属音が小さく鳴った。熱を取り出した龍俊の手に膝の裏を抱えられた瞬間、目に入る光景に慌てて強く首を振った。 「ッ…、嫌、だ…っ、」 「将未?」 掴んでいたシャツで胸板を押し遣る。身体をソファーに崩す体勢となった将未がきつく眉間に皺を寄せて顔を逸らした。 「電気、とか…っ、明るい、から、…、恥ずかしい…、」 龍俊の頭上には明るいリビングのライトが煌々と光っている。こんな風に、明るい場所で全てをさらけ出すような体勢で交わったことは無い。腹に着きそうな屹立も、自分の淫らな相貌も、男を待ち侘びるように開く双丘の奥も、将未はどんなものかを認識している。その全てを無防備にさらけだし、龍俊の熱の篭った眼差しに注視されている。そう思うと、自分でも驚く程のどうしようも無い羞恥に襲われた。 「…後ろ…っ、後ろから、…後ろから、挿れて、欲しい…、」 肘掛けに手を伸ばし、龍俊の下に居るまま視線から逃れるように背を向けようとする。切れ切れに向けられる将未の言葉の意味を理解した龍俊が、おもむろに再び将未の両脚首を掴んだ。 「ッ…、」 「駄目だよ。将未。…見せてよ。全部、」 龍俊の上気し、掠れた声が降る。逃れられない体勢のまま、大きく開かれた脚の間で龍俊の雄が将未の双丘を割る。ひくりと震えて熱を待ち侘びる窄まりに押し当てられた塊が、ごく小さな水音を立てて将未の身体を穿ち始めた。 「ぁ…ッ、龍俊さ、あ、ぁ、」 久しく味わっていない質量が将未の中を侵していく。背を丸め、やり場の無くなった両腕を龍俊の首に絡み付ける将未の後頭部を龍俊の右手が抱えた。髪に触れる指先までもから感じる熱を享受し、吐息を噛み殺す将未の相貌を龍俊が見下ろす。 「将未、」 呼気を伴いつつ名を落とし、唇を奪う。全身で受け止める熱に、頭が浮かされたように熱くなる。正面から身体を重ねて交わる快楽に流されるまま、将未の両脚が龍俊の腰に絡む。一度腰を退いた男がまたゆっくりと熱塊を進め、内壁を擦り始めた。 「ぁ、あ、や…ッ、龍俊さん、あ、あぁ、」 「将未の中…っ、すごく締め付けてくる…、熱くて、っ…気持ちい、」 龍俊の唇から零れる喘ぎ混じりの言葉に、聴覚もを侵される錯覚に陥る。上昇する体温は将未の脳をくらくらと麻痺させるようで、将未は正気を保つかのように龍俊の背に爪を立て、目の前の唇を貪った。 「ンンっ…、っ、あ、あぁ…!」 上下共に粘着質な音を立てて絡み合い、交わり合う快楽が思考を鈍らせる。ゆっくりと、だが着実に将未の内側を擦り上げ、時折深い場所を叩く龍俊の熱に、容赦なく快楽を引きずり出される将未は、ぶるりと背を震わせた。 「だめ…っ、また、イ…、」 「っ…、可愛い。将未、」 龍俊の厚い腹筋が将未の熱の先端に触れた。ほとんど同時に、龍俊の動きに合わせて揺れる将未の熱から白濁が迸る。ぎゅうぎゅうと締め付ける将未の中から熱を引き抜いた龍俊が、そのまま将未の腹に向けて精を飛ばした。 「…っ、龍俊さん、」 射精の余韻に身を震わせる将未が辛うじてといった風に龍俊に目を向ける。荒い呼吸で胸板を上下させつつ、浮いた滴に覆われた瞳でまっすぐに龍俊を見上げては、強請るように顔を傾けて自ら唇を寄せた。 「ーーもっと、…龍俊さん、」 恥じらいを含んだ目をして唇を動かす将未の頭部が柔らかい手つきで龍俊の肩に引き寄せられる。ぎゅ、と音がしそうな程に両腕に力を込めた将未が、消え入りそうな声で、初めて自ら要求を口にする。 「…もっと、…キス、したい、」 「ーーベッド、行こうか」 将未。囁く名に、夢の中に引きずり込まれるような感覚に陥る。頷く将未は、低く囁く龍俊の表情を、見てはいない。 〇〇〇 目を覚ました時には、灯りの無い部屋の隅、広いベッドにいた。 本格的な秋になった頃、龍俊がこれを使うと良いよと引っ張り出してくれた布団は厚くて、だが重さは一切感じない。全身を包み込まれる温もりの中、知らぬ間に熟睡していたらしい起き抜けの頭では朝と夜とが判別出来ない。慌てて身を起こそうとするも、身体は何かに捕らわれている。数回目を瞬かせた将未は、自分の間近、ほとんど目の前にある人の胸板に気が付き、小さく呼気を詰めた。 「…ーーっ、」 暗がりの中、自分の額に胸板を押し当てるようして寝息を立てているのは龍俊だった。もう一度軽く身動ぎを試みるも、龍俊の左手に肩を抱かれた体勢からは逃れることが出来ない。慣れた煙草の香りが微かに鼻腔を擽り、改めて自分は龍俊の腕に抱かれているのだと認識する。穏やかな呼吸の音を聞きながら、将未は眠りに落ちる前の記憶を辿っていく。 リビングのソファーからベッドに移った後も、龍俊は幾度も将未の身体を求め、抱いた。将未もまた、龍俊の囁く言葉や手に操られるように身を委ね、熱に浮かされるままに何度も龍俊の名を呼び、口付けを交わし、抱かれた。 龍俊の手や、声、眼差し、身体や熱を思うとまたじわりと胸が熱くなる。瞼を閉ざし、浅く呼吸を逃した。 誰かに、熱の篭った想いを寄せられると共に性欲の発散以外の意味で身体を求められることは初めてだった。 将未は恋をしたことがない。誰かに恋慕の情を抱くような余裕のある環境に置かれたことは無かった。辛うじて通うことの出来た学校というものの中ではおろか、同じ屋根の下で過ごすような施設の少年たちもまた将未と似たような境遇を抱えている者達が多かったせいか、愛だの恋だのという甘やかな種類の感情は入る余地が無かった。 ススキノの店にいた時、いつか取った客の中には少年である将未にその手の情を向けてきたような客がいないわけではなかったが、将未が戸惑っているうちにその客もまた他の少年に移っていった。 あんな風に他人から情を向けられたことも、情と共に身体を重ねることも、身も心も正面から求められることも、全て知らない。 だからーーそれらが自分にどのような感情をもたらすのかも、将未は今まで知らなかった。 龍俊の眼差しや、声を記憶の中で再生する度に胸が詰まる。脳の中心や体が熱くなる。龍俊がいつも纏っている紳士的ですらある優しさの中、自分を見詰める眼差しに見え隠れする雄の部分にすら将未の中心が捕えられているような心地になる。 龍俊が口にした想いは真実なのか。その判断をするどころか、未だ熱に浮かされたような将未はその思考に至る所までも辿り着いていない。 龍俊の片腕が将未の肩を抱いている。無条件に与えられる温もりに戸惑い、再度身を退けようとすると、ううん、という小さな唸り声の後にまたぐい、と肩を引き寄せられた。 「ーー龍俊、さん、」 小さく名を呼び、恐る恐る胸板に額を擦り寄せる。互いの両脚が絡んでいると気付いては、おずおずと龍俊の体に片腕を載せ、抱き着いた。手の中にある形は、今まで知ることの無い形をしている。セックスの後に誰かとこんな風に体を寄せ合うことの幸せなど知る由もなかった。 自分は今、神様に触れられている。 どれだけ男と寝ることを重ねても埋まらなかった胸の奥の空洞に、数センチ程の水が注がれ、水面が揺れていることに気が付いた。 水を注いでくれた人間が目の前で寝息を立てている。名を呟くだけで、肌と肌を合わせるだけで鼓動が早くなる。 こんな感覚は知らない。 僅かながらでも満たされているという感覚にすら戸惑う将未は、そっと目を閉ざす。 次に目を覚ました時には、全ては夢で、この手の中の幸せと呼ぶべきものも霧散しているかもしれない。だが、それでも良いと思える程に将未の胸は穏やかに凪いでいる。 耐えず雪が降り積もっているような暗がりの中、空虚なままの心と体と共に歩き続けていた。その先に、仄かに灯る明かりに触れたような心地の中、やがて龍俊の体温に引き摺られる形で将未は再び眠りに落ちていった。

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