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息を潜めてしまうと、滄の噛み殺す嗚咽が室内に響いてしまうような気がした。それでも将未はじっと瞼を落として滄の体を抱き締めている。 寂しくはないのか、と問うた理由は将未の中にある。 戻らない人間を、一人この店で待つ滄の姿に、何故かかつての——もう遠い昔の自分が重なった。幼い頃、自分も同じように人を待っていた。狭くて暗い部屋の中、言い付けられた通りに泣くことを堪え、寒さと空腹に耐えながら、ひたすら母親と呼ぶべき存在の帰りを待ち続けていた。 あの頃の記憶は薄い。だが、果てない時間の中、将未の中に在り続けた心細さと悲しさは覚えている。あれは——寂しい、という感情だろう。 あの時の自分はこうして誰かの腕に抱き締められることを知らなかった。滄はいつかどこかでこうして体温を寄り添わせる行為を経験してきただろうか。いずれにしても、今の滄は1人なのだと思うと、将未は酷く切なくなった。 滄の独白によって、滄が昼間に何処かに出掛けている理由は判明した。だが、先日祭りの夜に涙した理由までは確たるものは得られない。——明白だろうと思うも、将未は、滄自身が口にしないことを憶測だけで断定できるような男ではない。 自分の所為だと呟く姿が酷く悲しかった。これも、将未の口からはそうでは無いと言うことは出来ない。全ては将未が雄誠会に入る前の話だ。 ——矢立はきっと、お前の所為ではないと言ったのかもしれない。あの男の繊細さが、今ここに滄を立たせているのだとするならば、それもまた残酷な話なのではないだろうか。 滄を甲野から、自分を神原から引き離すことは簡単だ。矢立のあの優しさは、傷が膿んだまま閉じない痛みを知らない残酷で無垢な優しさだったのかもしれない。 滄の傷は塞がらない。 後悔を抱えながら、滄は恐らく明日も明後日も甲野の元へ向かい、夜には自分とこの店で働く。 自分を引き取り、保護したことは甲野という男への贖罪なのかもしれない。難しい事は考えられない将未の中に漠然と広がる思いに、思わず細い溜め息が零れた。 腕の中で、滄が鼻を啜る気配がした。波は落ち着いただろうか。バツが悪いのか、顔を上げようとしない男の頭部に慰めるように頬を擦り寄せた。 「——…広瀬、」 小さく名を呼ばれる。顔を上げた将未と滄の視線が絡み合う。ごく自然に、唇が触れ合った。 「……、」 滄の瞳に微かに怯えのような色が射す。拒絶してくれ、と訴えているようなその気配にまた将未の胸が苦しくなる。 甲野という男は、この滄を慰めることも救うことも出来ない。目を伏せ、腰を上げる。滄の視線を感じつつ、古く、座面が擦れたソファーの上に腰を下ろす滄の上に乗り上げる。冷たい床に着く足はどちらも靴を履いたままで、落とした照明の中、暗がりに慣れた目が互いを映し出している。将未の動作の意図を組んだ滄の指が将未の髪を掻き、唇が寄せられる。安堵したような瞳が薄く開かれたままの口付けを受け、啄まれる唇を淡く開く。招かれるように滄の舌が将未の口内、上顎を撫でた。小さく息を詰めては将未から舌を差し出し、息を吐く。煙草の香りに包まれつつ、空調の電源は落としてしまった店内に微かな水音を響かせながら舌や唇を食み、貪った。 将未が自ら開けたシャツの中に露になっている胸板に滄の手が触れる。ひく、と震える薄い胸板の感触を確かめるように指を滑らせ、濡れた唇を押し当てた。 「っ、」 甘い、口付けだった。後ろに周り、腰を抱く手付きや、胸板に幾度も触れる唇の柔らかさに粗雑さが感じられない。将未の中に一瞬、龍俊の愛撫が浮かび上がったがそれとも違うと瞼を閉ざす。滄の髪を吐息で揺らし、胸を反らす。音を立てて吸い付いた唇が、肋骨の上に淡く痕を残す。確かめるようで、労るようで、丁寧な——ようやく手に入れた大切なものを、両手で包み込むような行為だと思った。 滄は1度も、甲野に惚れているとは口にしなかった。 滄自身が「それ」を認めているのか、自覚があるのかはわからない。だが将未には、甲野に対する滄の感情はただの同期であることや、甲野が年下であることに由来する保護欲だけでは無いと感じている。 滄は恐らく真摯に、甲野を好きでいたのだろう。 それならば、今将未が受けている行為は——。 小刻みな口付けを受けながら、将未が滄の下肢に手を伸ばす。逃れる事のない大腿を撫で、スラックスのジッパーに指を掛けた。手を差し込み、布地の上から触れる雄はまだ熱を持たないが、将未の指が直に触れることで滄の腰が僅かに震える。応じるように、滄の唇が首筋に触れ、更にそれを合図としたように将未の下肢に広い掌が触れた。ぶる、と身を揺らし、吐息を漏らす唇が再び塞がれる。次第に上昇する体温と、乱れる呼気を伝えるように唇を合わせ、舌を啜っては唾液を絡める。 触れられただけで衣服を押し上げる欲に恥じ入るように目を伏せる将未を見上げた滄の眼差しが熱を帯びる。指先が将未の衣服の中に潜り込み、緩く頭を持ち上げた欲に伸びた。互いに指先で熱を包み込み、欲情を呼び起こすように緩い動きで上下させていく。外気に晒した欲の先端から零れ始めた先走りを塗り広げ、形をなぞって音を立てる。ぎし、と音を立ててソファーに膝を乗り上げ、強請るように唇を合わせた将未の腰が支えられ、呼応するように舌根を吸われた。 「っあ、あ、」 小さく漏れた声が唇で塞がれる。吐息や声ごと飲み下すように唾液を嚥下し、滄の指先が将未の欲の鈴口を引っ掻く。自瀆ではなく、他者から与えられる快楽に将未の身体が大きく震えた。 「ゃ、っあ…!」 呆気なく、滄の手の中で白濁が弾ける。互いの衣服が汚れることを厭う間も与えるまいとするかに、滄の唇が将未の唇を貪る。果てたばかりの身体に与えられる直接的な快楽にぞくぞくと背が震えた。 「…そのまま、」 呼気が整わぬまま、半端に腰に纏っているボトムをずり下げる。滄の濡れた手を取った将未が、持ち上げて露出させた双丘へと導く。物も言わずに唇を寄せる滄もまた息を乱している。どこか乞うような仕草で送られるキスに応じる将未もまた瞼を閉ざし、唇を啄む。後孔が濡らされる感触に将未の喉仏が揺れる。意識して身体の力を緩めてゆっくりと息を吐き出す将未の中、やはり労るような手付きで指が埋め込まれていく。そっと探るような緩やかさで肉輪が広げられる感覚に将未の膝から力が抜けていく。 「んッ…、ん、ァ、」 零れる呼気に甘さが混ざり始めるも、将未は不意に軽く眉を寄せる。きゅ、と唇を噛み、吐息を殺して滄の首に腕を回した。内側を掻き回す指が将未の敏感な箇所を擦る度に膝が跳ねる。下肢から漏れ出す粘着質な音が高くなる毎に、将未の中心が再び頭を擡げ始めた。 「…滄、」 どこか遠慮がちにも感じる滄の手付きがより将未の奥の疼きに火をつける。龍俊から離れてこの街に訪れて以降、ずっと沈み込んでいた欲がじわじわと浮上する気配を制すべくきつく眉間に皺を刻むも、焦れるような心地は抑えきれない。触れていた滄の屹立の形を辿るように指を滑らせて呟くと、滄が喉仏を上下させる気配がした。 今の滄は、きっと自分を見ていない。 この丁寧で慈しむような愛部も口付けも、全て滄が焦がれて止まない男が受けるべき行為だ。 そして自分は——滄の手や唇を、利用している。 将未が腰を浮かせる。下肢に絡まるボトムスから片足を抜く動作ももどかしい。滄の指がまた将未の髪を梳く。脱いだスラックスを爪先に引っ掛けたまま再び滄の身体に乗り上げては呼吸ごと奪うように唇を重ね、自ら押し当てられる将未の後孔の柔らかさに滄が息を呑む。ゆっくりと腰を下ろし、吐き出す呼吸とは対照的に滄の熱を飲み込んでいく。 「は…、っ、あ、…ッ、奥まで、」 「っ、」 膝と、滄の肩に添えた両手だけで自重を支える将未の身体が沈むに従い滄の怒張が肉壁に包まれる。久方振りに受け入れる雄を無意識に締め付ける将未の身体に深く息を抜いては滄もまた汗ばむ上体を震わせた。 空洞が埋まる感覚がある。 脳裏に浮かぶのは、ただただ優しかった龍俊の姿だ。 もう逢えない龍俊が穿った穴を、滄を使って埋めようとしている。 だから、極力名を呼ばない。 目を開かない。 ——だが、それは滄もきっと、同じだろう——。 切なげに眉を寄せる将未が軽く腰を上下させる。呼吸を噛み殺しては、その気配すら悟られぬように唇を重ね合わせる。畝るような将未の体内、奥の窄まりに亀頭が触れ、抉られる感覚に将未が堪らず喉を逸らした。 「ッ…!ぁあ、」 「っ…、」 呻くような声が、将未の肌に零れる汗の玉を震わせる。同時に、深く体内を穿っていた滄の猛りが脈打ち、将未の中に熱を散らした。 将未の下腹部では熱はまだ衰えていない。滄の雄も、まだ足りないとばかりに射精の余韻を含みながらも形を成している。肩で息をする将未がようやく瞼を開き、滄と視線を絡めた。 「——…、」 この目は果たして、自分を見ているのだろうか。 自分は——滄を見ていない。 これは、滄を慰める為の行為だ。 同時に、自分の中に空いた龍俊という穴を埋める為の行為だ。 体格も顔立ちも、掌の形も吐息も違う。 それでも、滄を慰める為だという名目を立ててもなお、将未は龍俊の影を追い続けている。 瞳を覗き、軽く目を瞬かせた。この男は龍俊ではない。自分もまた、甲野という男ではない。口付けようと寄せかけた動作を止め、そのまま滄の首筋に両腕を絡める。互いに、互いの顔が見えなくなった。 「……もっと、」 「……」 呟くように耳に吹き入れる。滄は無言で両腕を将未の身体に回し、一方の手を後頭部に添えたかと思うと、音がするかと思う程ににきつく抱き寄せた。——ずっと、こうしたかった。噴き出るような叫びが、早い鼓動となって伝わるような気がした。 「…ああ、」 短い返答に、一瞬だけ現実に引き戻される。この男は龍俊ではない。胸に過ぎった虚しさから目を逸らす。滄もきっと同じだろう。 互いに、今だけは現実を見なくても済むように。再び瞼を落とした将未は、きゅっと唇を結んでから自らソファーのスプリングを軋ませた。

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