51 / 73
EXTRA2 野良、夏祭りに行く。 ─14-3,5─
出発地点で握り締めた滄のシャツの裾を離さぬまま、将未はきょろきょろと視線を泳がせ続けている。
広場での夏祭りはいかにも田舎の祭りそのものといった風情で、別段目を引くようなものは無い。それは地元の人間にとっても、この街に移り住んでから数年しか経っていない滄にしても同じことで、親に連れられてきた子供や、仲間内ではしゃぐ為にやって来たような学生達を覗いてしまえば各々祭りの雰囲気を味わいに来たという様子で好き勝手に、のんびりと時間を過ごしている。
だが将未にとっては初めて見る祭りの風景であり喧騒である。チープな色と絵に彩られた庇が揺れる夜店をいちいち珍しそうな、何かに驚いたような目で眺め、その下に視線を落としてはそれがどういったものかを確認する。金魚すくいや綿菓子売りに感心したような淡い溜め息を密かに漏らしながら歩く将未を時折振り返りながら滄もまた特に目的を定めることなく屋台の間を練り歩いていた。
ふと将未の足が止まった。相変わらずシャツから指は離れていかないが、体を滄の方へと向けたまま首だけで見下ろす屋台に滄も目を向ける。将未がじっと見下ろしているのは、小さなビニールプールに浮かぶ色とりどりのヨーヨーだった。
「…広瀬、」
「…あ、」
行くぞ、と声を掛けるとごく浅く頷くものの、将未の足は動く様子を見せない。ビニールプールを囲むようにしゃがみ込む子供たちの隙間から、ふよふよと水に浮かんで揺れるヨーヨーがある。屋台の店主は顔見知りの男だった。
「……ヨーヨー釣りだろう。…やった事は、あるか、」
今にも周囲の喧騒にかき消されてしまいそうな問いかけに、将未は小さく首を横に振る。広瀬将未の圧倒的に少ない経験値を上げていくには何事も片っ端からやらせてみるしかないだろう、というのは将未を雇ってしばらく観察した後に滄が出した結論だ。経験するこに遅いも早いもない筈だ。経験してみなければ、それが楽しいのかそうでないのか、得意か不得意かその手のことは一切わからない。本人の記憶に残るかどうかもわからないのだ。
「…やるか、」
滄が呟き、パンツのポケットに手を突っ込む。適当に取り出した小銭を手のひらに乗せ、店主に代金を尋ねた。将未の返事を聞かないうちに、小銭と引き換えにヨーヨーを釣る為の道具が渡された。
「ほら、」
「…滄も、」
「……、」
子供の手に寄越すような滄の指先を見下ろした後、将未は滄の目をじっと見上げる。そこには曇りや妙な悪戯心のようなものはない。あくまで純粋にな瞳に俺はやらない、と口にするより先に、人懐っこそうな店主がせっかくだから、とばかりにもう一本釣りこよりを押し付けてきた。
道具と呼ぶにはあまりに頼りない細いこよりの先に小さな金属が結ばれたそれを手に滄は鼻から息を抜く。仕方なしに空いているスペースにしゃがみ込むと、その様子に倣った将未が隣に身を屈めたが大の男二人が肩を並べてヨーヨーのプールに向き合う風景は見るからに異質である。そんなことを意識するはずもない将未はこよりの先を握り締め、真剣に水の入ったゴム風船を見つめている。横顔を見やると、獲物を追う獣というよりも、揺れる色とりどりの物体を興味津々に見詰める動物に近いと思った。
将未の指先が摘むこよりがそっと水に入っていく。見よう見まねと言った動作で水の中でこよりを動かすものだから、滄は自ずとハラハラとした眼差しになる。こよりの先の金属が水に浮く輪ゴムの先、輪に引っかかった。
「あっ。…あ、」
捉えた、と少しの喜びが伝わるような声が漏れた。そのままひょいと無防備に釣り上げられたヨーヨーは、すぐにちぎれたこよりや金属と共にぱしゃんと音を立てて水面に落下した。
「……」
「……」
将未の眉がわかりやすくしょんぼりと下がる。挑戦は一度と決まっている。悲しげな目をする将未の隣で滄がようやくこよりを構えた。
慎重な手つきで滄の釣具が水面に入る。泳ぐゴムの輪を追い掛けることなく、すぐ近くに浮かんでいる輪を金属に引っ掛け、さっと手を持ち上げた。
くすんだオレンジ色の電球の下、真っ青な色をしたヨーヨーが釣り上げられて滄の左手に収まる。先程将未が狙いを定めたそれと同じ色は、躊躇することなく将未の手に渡った。
「…ほら、」
「…けどこれは滄が…」
滄は別にヨーヨーなど欲しくはない。それはもしかすると将未も同様で、見たこともなかった彩に目を奪われていただけなのかもしれない。
それでも、将未は戸惑いがちにヨーヨーを受け取った後、嬉しげにごく微かに頬を綻ばせた。
「行くか、」
将未の左手が大切そうにヨーヨーを包み込む。右手は、それが決まり事であるように滄のシャツの裾へと伸びる。
経験は必要だ。それと共に何を得るのかは本人次第だろう。滄はほんの少しだけ将未を振り返ってから祭りの夜の足を進める。将未の手の中にある青は、店の2階、殺風景な将未の部屋に儚い彩りと記憶を宿すことになるだろうか。人の波に流されながら綴るように思った事を、滄は口に出すことはない。
ともだちにシェアしよう!