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EXTRA3 野良、3時のおやつをもらう。 ─6辺りの話─
雄誠会には3時のおやつの時間がある。
発端は雄誠会の支部長であり、若頭であり、そして時期会長である矢立煇が酒や普段の食事よりも甘い物の方が好んで食べるということを知ったヒデが導入したものである。元々食への関心や興味が薄い矢立の食生活を案じてはいたヒデが、食べて貰えるのなら何でも良いだろうといつの頃からかコンビニスイーツを買ってきたことから始まり、今ではネット通販を駆使していわゆる「お取り寄せ」をして矢立への3時のおやつとして提供している。
矢立自身は自ら甘いものを買ったことはない。旧来然とした家庭環境や父親によって「大の男が甘いものを好むなど軟弱」という風潮が刷り込まれていた上に、自分の厳しい容貌が、可愛らしいスイーツとはあまりに釣り合わない──というよりも、不相応であるような気がして手を出すことが出来なかった。最近では理解のある恋人の影響もあって甘いものを口にする機会は増えたが、以前の矢立はせいぜい外食のコース料理の最後に出てくるデザートの類に密かに喜び、噛み締めるように堪能することが関の山であった。
「ボス。おやつっす」
ともあれ、今日もおやつの時間はやって来る。自室にこもっている、というよりも相変わらず細かな事務作業に追われてデスクの前から動くことの出来ない矢立の部屋がノックされた。短い返答を経てドアが開き、ヒデが嬉しげに入ってくる。きちんとトレイに載せられた「今日のおやつ」が矢立の目の前のパソコンの隣に置かれた。
「今日はデパートの地下でプリン買ってきました。えつと、こっちが普通ので、こっちがなんか限定の濃い玉子だか牛乳だか使ってるらしいっす」
どっちも美味そうだったんで、と笑うヒデには悪意は無い。ガラスのカップに収まった美しい黄色を眺めた後、矢立は目を上げてヒデを見遣る。
「…皆の分は…」
「ちゃんと買ってきました。普通の方」
自分だけが食べるということは矢立には出来ない。そうか、と目で頷き、カップを引き寄せる。
「ありがとう、」
備え付けのプラスチックのスプーンの存在を確認し、ヒデに礼を告げると、気のいい部下はやはり嬉しそうに部屋を辞していった。残された矢立は再び2つのプリンを見遣る。
確かに矢立は甘い物が好きだ。ヒデの心遣いは有難い。
だが、甘いものがどうのよりも前に、矢立は少食である。どう考えても大きめのサイズのプリンが2つは多過ぎる。
トレイの上に鎮座するプリンを見比べる。どちらを食べようか、という事よりも、残してしまった事に気が付いたヒデの悲しげな顔が目に浮かぶ。部下を悲しませたくはないし食べ物を残したくもない。だがこれは引き出しにしまっておいて後々こっそり取り出して食べられる類のものでもない。どうしたものかと鼻から息を抜く矢立の耳に、再びノックの音が届いた。
「…あの、お茶、を」
開いている、と先程ヒデに掛けた返事と同じ声を発すると待っていたようにドアが開く。やって来たのは丸い盆を抱えた広瀬将未だった。ヒデに言われてやってきたのか、それとも自分の仕事だと捉えているのか盆の上には来客用の湯呑みが乗り、淡い湯気が立っているのが見える。盆を傾けないよう、上の茶が揺れないよう、慎重な足取りで将未が歩みを進めてきた。
「どうぞ」
「ああ…。ありがとう、」
足を止め、やはりそっと盆をテーブルの端に置く。そこから音も立てずに湯呑みがプリンの脇へと置かれた。
ぺこりと頭を下げて部屋を出ていこうとする背を矢立がぼんやりと眺めている。細い背中だ、とふと目を伏せると、視界の中に持て余しかけた甘味が2つ並ぶ様が映りこんだ。
「…広瀬、」
小さく呼んだものの、他に音はない。盆を手にした将未が振り返る姿を見て矢立は指先で手招きをする。従順というよりも素直と表した方が良い部下はすぐにとことこと戻ってきた。
「…一つ食ってくれ」
「…え…、…でも、」
指先で、プリンのガラス容器をそつと押しやる。先程ヒデは「普通の」を皆にも用意してあると言っていた。別の物の方が良いだろうと「濃い味」と大きく書かれた蓋を見下ろし、将未は案の定戸惑うように首を横に振る。
「…2つも食えない。…ほら、」
蓋としてガラス容器を覆うビニールをぴりぴりと剥がす。続いて袋に収まったプラスチック製のスプーンも取り出してそのままプリンの表面をすくい上げた。
ん、と促すように差し出される黄金色に将未はやはり躊躇しつつ目を泳がせるも、断る術を持たない。軽く身を屈めて口を開けると、すぐにするりと咥内に甘い味が滑り込んできた。
「──…、美味しい、」
ぽろりと溢れ出た素朴な感想に矢立は密かに安堵の息を逃す。丸くなった目はこんなに美味しい物は初めて食べたと物語っている。手にしていたスプーンを器の中に立て掛け、更にとカップごと将未の前へと押していく。
「プリン、…初めて食べたか」
「…食べたことは、ありますけど、…俺が知ってるのとは違う」
将未が食べた事のあるプリンは施設や学校の給食で出る物で、デパートの地下で売られているような物とは性質が違う。こくこくと頷く将未を見上げ、矢立が浅く顎を引いた。
「全部食ってくれ」
「本当に…良いんですか」
「…ここで食って行った方がいいから、」
プリン片手に若頭の部屋から出てきたところなど他の組員に見られてしまうとまた贔屓だなんだと要らない感情の元になりかねない。そこに座っていくといい。指先で勧めると、将未はやっとカップを手にする。それでもまだ遠慮がちに応接セットのソファーに腰を下ろし、将未はその場でスプーンを摘んで大切そうにプリンの続きを食べ始めた。1口食べては堪らない、と言った風に目を細める姿を見て、なるほどこれはヒデが連れ回してあれこれと食べさせたがる──もとい、経験させたがる訳だと合点がいった。
広瀬将未のルーツはわからない。だがきっと、この男には様々な経験が欠けている。多少特異なものであっても、この雄誠会に所属していることは将未にとって足りていない経験や情動を増やすものになるだろうか。
将未が軽く目を上げる。カップの中はまだ半分残っているのが見えた。
「…ボスは、優しいです」
「……、」
伺う矢立の瞳にぽつりと告げ、将未はそっとはにかんだ。
優しくて、甘いものが好きな若頭。
それは──間違いなく、矢立のコンプレックスである。
きっと自分はヤクザには向いていない。
そして、そんな事を意識していなくとも、邪気なく口にする広瀬将未もまた、ここにいることは何かが違うのだろう──。
矢立は困ったように目を伏せる。将未は再びごく小さな音を鳴らしながら甘味を味わっていく。
下ろした視界の先にあった湯呑みを手に取り茶を啜る。湯呑みの表面を覗き込んだ見た目から付けた大方の想像通りに、茶を入れるのが下手くそな部屋住みが入れた今日の茶は甘ったるいプリンに相応しく、濃く、苦いものだった。
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