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EXTRA4 野良、チンピラに絡まれる。─7の少し後くらいの話─

夕暮れ時のススキノ、メインストリートから1本裏に入った通りを将未がてくてくと歩いている。手にはお使いの買い物の品を入れたビニール袋を抱え、コンビニから事務所に帰る道中である。将未本人は今日は夜番ではない上に、「部屋住み」ではあるものの事務所の部屋住み用の部屋からは出て久しいが下っ端は下っ端だ。今日の夜番の為の夕食──弁当や握り飯、ペットボトルの飲料が詰められた大きなコンビニ袋を出来るだけ揺らしてしまわないように務めながら、足早に歩く将未と3名の男達がすれ違った。 「…ん?今のよお、この間の神原さんの連れじゃねえか?」 男の1人が将未を振り返る。各々ガラの悪い、ヤクザとまでは行かなくともチンピラ風情の集団である。1人の声に同じように首を後ろに向けた男達が将未の細い背中を見やった。 「そうだったか?お前よく覚えてんな」 「神原さんに顔覚えろって言われてたからな」 この男をこの場所で適当に襲え。 ススキノで幅を利かせている豪能組の名をチラつかせる神原龍俊に雇われる形で夜に紛れて1人の男を襲ったのはつい先日の話だ。襲う素振りで構わない、と付け足された時点で茶番やヤラセの類だとはわかっていた。案の定神原は襲われる将未の前に颯爽と現れたから、自分達は気圧されて退散する──形を取った。 神原とあの青年との関係など自分たちとってはどうでもいい事だ。それにしたって、ずいぶんとぼんやりした男だとは思っていた。無防備だと言っても良いだろう。顔立ちは整っているだけにこんなススキノのような有象無象が闊歩するような場所などでは要らぬトラブルも起こりはしないだろうかと眺めているうちに、悪戯心が沸いた。 「声掛けてこようぜ」 「やめとけよ。ヤクザ絡んでたらめんどくせぇよ」 始めに足を止めた男が来た道を戻る。他の男も渋る言葉とは裏腹にニヤニヤと軽薄な笑みを浮かべて将未へと距離を詰め始めた。 「よう。おニイちゃん」 「……、…あの、」 背に声を掛けるも将未は振り返らない。大股で追い越し、前に回り込んで道を塞いだ。突如現れた男たちの姿に将未はきょとりとしてようやく足を止める。男達の容貌を眺め、緩く首を傾けた。 「俺らのこと覚えてるか?」 「……すみません、」 「いいよいいよ。なんだ?パシリか」 覚えていなくても無理はないだろうとばかりに男は鷹揚に手をひらつかせる。傍らから将未の手の中にあるビニール袋を覗き込んだ別の男が楽しげに笑う。何が楽しいのかわからない将未は素直に顎を引いた。 「大変だな。そんなもん放っておいて俺らと遊ぼうぜ」 「あの、でも…」 「飯でも食おうぜ。ニイちゃん、神原さんの連れだろ?」 神原、という名を口にした瞬間、将未の顔が少し明るくなった。龍俊の知り合いであるのならおかしな人達ではないのだろうという予測に傾きつつある将未が改めて男たちの身形を確かめる。どことなく雄誠会にいる人間達にも似ている気がする事に気が付くと根拠の無い怯えも消えていく。 その気配を探るまでもなく、手に取るようにわかる反応に男はますます笑みを深める。何も危害を加えようと思ったわけではない。暇つぶしに何処かに連れ込んでからかってやろうという魂胆である。行こうぜ、と手招きしながら歩き出す男たちに向かって将未が歩みだそうとした刹那だった。 「コラァ!!お前ら何やってんだ!」 明らかに普通では無い──カタギの出すような声では無い怒号が飛んできた。その声量と圧にその場にいる全員が一斉に肩を跳ね上げると共に、声のする方に向けた目をぎょっと見開いた。さほど広くはない道路の向こう側からやはり明らかにカタギではない、いかにもヤクザ然とした男がこちらに向かって走ってくる。 「どこの組のモンだ!!うちのに何してんだ!!」 組、という単語に確信を得る。あの男こそどこの組の人間なのかは知らないが、ヤクザとのトラブルは禁物だ。避けるに越したことはない。車道の赤信号はどちらにとっての助け舟なのか、男は道路を横切る形で猛然と将未へと駆け寄ってくるものだから、男達は息も合わせずにほとんど同時に駆け出してあっという間に姿を消した。 「……鞍瀬さん…?」 呼吸も乱さずに自分の元へと到着した男に将未は目を丸くするも、夕陽に射されて赤みを増した短髪と、耳元で輝き反射する複数のピアスにすぐに正体を理解した。先日事務所の給湯室で茶の入れ方を教えてくれた人間だ。普段は本部にいるという鞍瀬との直接の関わりは薄い。だが、将未に茶の入れ方を教えてくれて、褒めてくれた人間──。 「何やってんだお前も!!チンピラに絡まれるヤクザがいるか!ぼんやり歩いてんじゃねえ!」 「……すみません」 鞍瀬の言う通り、ぼんやりと見上げる瞳に改めて怒声が飛んだ。将未にしてみるとただお使いの帰り道であるはずで、先程声をかけてきた男たちの正体もまだわからない。だが、鞍瀬が怒っているからには良くはなかったことなのだろう。 その理不尽さにも気付くことなくしゅんと眉を下げる将未に鞍瀬はますます苛立ちを募らるように髪をかく。このぼうっとした男を1人で歩かせるなど、人に騙されろと言っているようなものだ。盛大な、将未に聞かせるような舌打ちがあった。 「なんだ。パシリか。迷子じゃねえならとっとと帰れ」 「はい…」 将未の腕の中にあるビニール袋をちらりと見遣り、喫煙具を探りながら素っ気なく言う鞍瀬にしょんぼりと肩が落ちる。また叱られてしまった。溜め息を飲み込みながら歩き始める将未の隣に立つ鞍瀬が肩は並べず、半歩ほど先から歩み出した。 事務所まではあと数メートルである。それでも危なかしくて仕方がないと言うように足を進める鞍瀬が今度は淡い溜め息を吐き出した。 「ガキの頃教わらなかったかよ」 「……?」 「知らない人に着いて行っちゃいけませんて。親に言われなかったか?」 親に、と言われてしまうと将未にはどうにもならない。鞍瀬が言うことをゆっくりと咀嚼した後、思い当たる節がまるで無いことに困惑しつつ曖昧な動作でゆるゆると首を横に振る。その様子を見た鞍瀬が軽く眉を寄せてから煙草を挟む人差し指と中指を避ける形で親指で額の端を軽くかいた。 「言われたことねえなら今覚えろ。知らない奴にほいほい着いていくな。痛い目とか危ない目に遭っても誰かが助けてくれる訳じゃねえんだぞ」 「はい、」 知らなかったことはこれから知って覚えると良い。 流されることしか知らない将未にとって、それはいつか新たな処世術になりうるかもしれない。 内心では思うののの、全てを口にはしない鞍瀬の背を追う形で将未はとぼとぼと歩く。ちゃんと後を着いてきているのかと振り返る鞍瀬が不機嫌そうに眉根を寄せる。 「下向いて歩くな!だからろくでもねえ奴に絡まれんだろうが!」 「はい…っ、」 道の真ん中であるにも関わらず激を飛ばす鞍瀬の声に将未は弾かれたように顔を上げた。頭を持ち上げなければ見えないススキノのほの明るい夜空がある。視界の先に目指す事務所が見えてきた。その出入口の前、案ずるように佇んでいたヒデがこちらを向いたかと思うと、将未の前を大股で歩く鞍瀬の姿にぎょっと眼を剥くのがわかった。

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