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マフラーに鼻先まで埋め、将未はさくさくと雪を踏む。スナックの向かいにある食堂は通常の営業をしているものの、昨日辺りから年末年始に向けての支度をしなければならないとかで女将も主人も忙しそうにしていた。
忙しい中に邪魔をすることは気が引け、とはいえ何が手伝えることも浮かばなかった。普段と同じ時間に起きた将未は普段と同じように身支度をして店から少し離れたコンビニへと足を運ぶことにした。
駅前通りに並ぶ個人の小さな店のドアにはしめ飾りがぶら下がり、寒風にさらされている。早くも年内の営業を終えた店もあるらしく、裏寂しい街は殊更寂しさを増しているようにも見えた。
年末年始と言われても将未には何一つピンとこない。
幼い頃───気が付いた時にはそこにいることとなっていた病院や、施設では多少はそれらしい行事があったと思う。
ススキノの店にいた時には、客や、眺める街の風景によって師走の空気を感じていた。
振り返ると、雄誠会が最もきちんと年末年始に向けた支度をしていたように思う。ああいった組織は行事の類を大切にする風習でもあるのかもしれない。事務所のドアには大きなしめ飾りが飾られていたし、中には大きな鏡餅の上に更に昆布やスルメ、そしてその上に何か大きな柑橘類が載せられていたものがあり、それをまじまじと眺めたものだった。
年が暮れても明けても、きっと自分は今までと同じようにこの街で過ごしていく。
淡々と、それでも確実に目の前を過ぎていく四季を眺めながら、この海のある田舎町で暮らしてく。
そう、思っていた筈だった。
ここで暮らす自分は幸せだと思ってた。
人に恵まれ、衣食住は何も不自由することはない。穏やかな時間がここにはある。
それなのに、この街に龍俊がいると判ってからもうずっと消えることのないこの胸の昂りはなんなのか。
たった一瞬だけ見た龍俊の顔が鮮明に浮かぶ。
あれ以来龍俊には会えていない。それでも、彼がこの街にいるかもしれないと思うだけで鼓動が速くなり、意味もなく走り出したくなる衝動に駆られる。
いつになったら彼を忘れられるのだろうと思っていた。
だが、忘れることなど無理なのだ。
鼻先をマフラーから出し、小雪がちらつき始めた景色に向かって息を吐く。道と同様に白い息が目の前にふわりと浮かぶ。寒さに身を縮め、暖かい場所を求めてやや歩調を早めた頃だった。
「……?」
不意に、歩道の縁を舐めるように一台の車が徐行してきた。暮れの買い物に出る以外にはあまり人は街に出ないのか、夕暮れ近くを走る車もまた、いつもに増して数が減っていた。目立つ大型車は滄が乗る四駆に似ていて、一瞬滄だろうかと思い掛けるも、色が違う。黒い四駆は足を止めない将未を追うようにして停車しようとしたものの、慣れないのか、やや先を行った場所で止まった。
「んだよ。神原じゃねえじゃねえか」
男が数人車から降りてきた。3人の男達は将未の顔を舐めるように観察したかと思うとひそひそと何かを話しているが将未には届かない。道を塞ぐ形で横並びに歩く男達との距離が自ずと縮まった。
「うるせえな。こんなクソ田舎でこんなコート着てるやつ他にいるかと思うだろうよ。…つうか、」
男の一人が再び将未の顔を眺める様子がわかった。明らかに人相と風体の悪い男達は知り合いではない。行く先を阻まれて戸惑う将未に眉間を皺を寄せて睨み付けた男がああ、と声を漏らした。
「こいつあれだ。ほら、前に神原に襲った振りしろって写真見せられた」
「あ?ああ、えれぇ前だな。なんでこいつも留萌にいるんだよ」
「知らねえよ。神原と一緒にくっついて来たのか?」
男たちの会話は聞こえる距離にはあったが、将未には意味はわからない。ただ、男達の口の端に乗る神原、という名前だけを、神経が拾った。
「神原、」
男達は、男の一人が言った通りに以前神原龍俊に使われ、将未が住むあの大通りのマンションの近くで暴漢の振りをして将未を襲った男だった。
あの時は一介のチンピラ風情だったが、どこをどう伝ったのか豪能組の人間がこの神原の顔を確実に覚えている男たちを見つけ出し、金で釣って留萌へと送り込んできた。
三人のうち一人を除いて神原とも将未とも面識がある男だ。無論、将未は覚えてはいない。いくら記憶力が良い将未であっても、暗がりで自分を襲った人間たちの顔を覚えていろという方が無理な話だろう。
ぽつ、と呟いた将未に男が目を向ける。少しの間何かを考えた後、にまにまと嫌らしい笑顔を作って将未へと歩み寄った。
「兄ちゃんよ、神原の連れだろ」
「…つれ、」
将未は相変わらずワンテンポ遅い。慣れない言葉の意味を飲み込むことに人より少しだけ時間が掛かる。男は寒さもあり、早くも苛立ったように顔を顰めた。
「カレシだよカレシ。札幌にいただろ。神原と一緒に着いてきたのか?」
思考が追い付き、どうして知っているのだろう、この男達は誰だろうと思い始める頃には男達との距離は縮まる。ようやく小さく首を振った将未に、声を掛けた男が片眉を上げた。
「なんだ。着いてきたんじゃねえのか。神原、今どこにいるんだ」
「……わからない、」
焦れるように向けられた声音に思わず急いで返すも、口に出すと急激に胸が締め付けられた。自分は龍俊の居場所はわからない。まだこの街に居るのかも、もうこの街を出たのかもわからない。そもそもどうして龍俊がこの街にいたのかもわからないのだ。
わからない事ばかりだ。
込みあげようとする熱いものを懸命に飲み下した。さっきまで、歩いている時にはさほど感じていなかった風の冷たさが体を包み、冷やしていく。俯き、身震いをした。
「ふうん。仕方ねえな。地道に探すしかねえか」
ぱち、と将未の頭の中手間小さな火花が散ったような感覚があり、顔を上げる。───探す。
「…龍俊さんを、探してる…?」
先程よりも明確に発せられた声に男が一度向けようとした背を止めて将未を見やった。
どうして思い浮かばなかったのだろう。
龍俊がこの街にいるのなら、まだこの街に龍俊がいるのなら、自分から探しに行っても良いのではないだろうか。
会いたいのなら、会いに行けば良いのではないだろうか。
どうして思い浮かばなかったのか。
きっと自分は、今まで自発的に動いたことなどただの一度も無いのかもしれない。
今すぐにでも探しに行きたい。滄の店が開店するにはまだ早い。準備の時間にまでこの辺りに戻って来れば間に合うだろう。滄にも心配をかけずに済む。
探しに行こう。
「ああ。ちょいと用があってな。……兄ちゃんも、神原探してんのか?」
男の口角が上がった。周囲の男達が不信げな眼差しを向けているが、構うことなく男は踵を返して将未へと歩を寄せる。尋ねられ、頷く将未に男が目を細めた。
「それならよ、俺らと一緒に探そうぜ」
「……え…?」
「乗れよ。コイツで街一周すりゃあどっかで見付かるだろ」
愛想良く笑う男が自分達が乗ってきた車を指差す。待ちぼうけを食らっている他の男達は肩を竦めつつ車へ向かおうとしていた。将未が1歩を歩み出す様子を見た男が軽く喉を鳴らして今度こそ背を向ける。
この男達が龍俊を探しているのにも何か理由があるのだろう。
自分も龍俊を探さなければいけない。
協力して探すことが出来たのなら、滄の店の開店の準備にも間に合うかもしれない。
一度振り返り、自宅と滄の店がある道を眺める。
滄は、自分から龍俊を遠ざけた。その理由は曖昧なままだ。だが、滄が自分を龍俊に会わせたくないのであれば───自分は、自分の思いを滄に伝えなければならない。
再び雪を踏んで歩く。路肩に停めた車に将未が近付く間、後部座席のドアを開く男に、助手席に乗ろうとしていた男が耳打ちした。
「おい。どうすんだよ。このぼーっとしたの連れて。神原のイロっつても今いる場所もわかんねえんじゃ意味ねえだろ」
「なんかに使えるかもしれねえだろうが。使えなかったら、」
風が強く吹き、雪が舞った。慣れない寒さに男はぶるりと体を震わせるも、将未は動じていないらしい。どこか期待すら浮く瞳に鼻で笑い、呟いた。
「使えなかったら、晦日の海で泳がすだけだ」
やがて車の中に4人の男が収まった。四駆は、雪の道を音を立てて走り出した。
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