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声だけじゃ足りない 第1話
「え……?取材旅行?」
「あぁ……来週からニ泊でな…優志は稽古あるんだよな?」
「うん……来週はずっと稽古ある……そっか……」
今回の稽古場が樹のマンションから近いという事もあり、最近の優志はこの部屋に入り浸っていた。半同棲といってもいいかもしれない。
申し訳ないと思いつつも毎日樹の側に居られるのが嬉しくて、中々帰る気になれないでいた。
樹の方もそれは同じで、この部屋から通えばいいと最初に言ったのは樹の方だったのだ。
「前々から予定は立ててあったんだけどな……すっかり忘れていた……」
手帳を開き溜息を吐く。締め切りや人に会う約束などは全て手帳に書き、更に壁掛けのカレンダーにも書き込まれている。だが、うっかりその取材旅行の予定を書きそびれてしまったらしい。
だからまだ先の事だと勘違いしていたそうだ。折角こうして毎日一緒に生活が出来ていたので、ニ泊三日の取材旅行が残念でならないようだ。
「何処まで行くの?」
「長野なんだけどな……松本の辺りに……」
「そうなんだ……オレ、行った事ないな」
「……まぁ優志と一緒に行けるとは思ってなかったけどな……でも……今度、優志の都合のいい時に一緒に旅行に行こうな」
「……いいの?」
「あぁ、優志は行きたくないか?」
「行きたい、樹さんと……!旅行行ってみたい」
キラキラとした瞳を向ける優志を眩しそうに見つめ、樹はその体を優しく抱き寄せた。
「絶対に行こうな」
「うん」
嬉しそうに二人は笑った。
10月に入ると先月までの蒸し暑い残暑もなくなり、毎日過ごしやすい気温になってきていた。
今年はアクターズに始まり、夏にも舞台に立ち、そして来月にも小さい劇団の客演としてだがまた舞台に立てる事になっていた。
その稽古に優志は毎日のように出かけていた。客演といえど、主演並に台詞量も多く出ずっぱりの役だった。台本を貰った時は全て覚え切れるのか不安だったが、一週間経ち何とかそれも頭に入った。
そして稽古2週目、本番まであと10日のある日。樹は取材旅行に旅立って行った。
前日から泊まりに来ていた優志は樹を見送る為、一緒に最寄駅まで着いて行く事にしていた。朝早いから見送りはいいと言っいわれたが、大丈夫だからと着いて行く事にした。少しでも側に居たいからとは恥ずかしくて言えなかったが。
「悪いな優志、2匹の世話まで頼んで……」
「ううん、大丈夫だよ、オレこそ泊まらせて貰いっぱなしでごめんね……」
「いいって、助かるよ」
リビングで最後の荷物チェックをしている樹の足元でソラがにゃあと短く鳴く。樹はその小さな頭をよしよしと撫でると、ソラを抱えソファーに座る優志の隣りで寝ているウミの側にぽてりと置いた。
小ぶりのボストンバックはそのままに、樹もソファーへ腰を下ろす。出発にはまだもう少し時間の余裕がある。
「優志……」
抱き寄せられると、直ぐに唇を塞がれた。稽古休みが今日だったら良かったのにと優志は夕べから思っていた。
稽古がある前日、樹は決して抱こうとはしない。それは優志の体を気遣っての事だ、それは分かっているし、その方が自分にとっていいはずなのに、それでも昨夜はしてほしかった。
たった3日離れるだけなのに、こんなにも寂しい。今までは離れている時間の方が長かったのに、今では側にいる事が当たり前になっている。
このままじゃダメだ、キスを受けながらそんな風に思った。
「じゃあ、留守番頼むな」
「うん……」
主の居ない間、ソラとウミの世話をするのは優志だ。樹が居ない間も変わらずこの部屋にいてもいいと言ってくれたので、優志は2匹の世話を買って出た。
日中は見ていられないが、最近は部屋の中を荒らす事も少なくなり、爪とぎなども決められた場所でしているので放置でも大丈夫なのだそうだ。
だから優志の役目はご飯と水を上げ、トイレを掃除する事だけ。そのトイレだって、猫砂は水洗トイレに流せるものなので簡単だ。
「そろそろ行くか……」
「うん……」
名残惜しそうな顔をしているのは優志だけでなく、樹もだ。夕べだって何度もキスをして、触るだけではあったけどお互いの熱を確かめ合った。
それなのに、まだ足りないと思っている。
「……帰ってきたら……」
「ん?」
「……帰ってきたら……いっぱい……して……」
「……あぁ」
最後にちゅっとキスを交わし、二人はソファーから立ち上がった。子猫達はまだ寝たままだ。
寄り添うようにマンションから出ると、早朝の街を並んで駅まで向かった。
***
稽古が終わり、へとへとの体で樹の部屋に帰りつく。玄関に入ると、その音に気付いた子猫達がダッシュでリビングから飛び出てきた。
「にゃーにゃー」
「わっ!」
リビングへ入ろうとする優志の足に2匹が絡み付いてくる、危うく踏みつけそうになってしまった。慌てて2匹を抱え、リビングへ入りソファーへと下ろしてやる。
「ご飯かな?」
それとも先にトイレを掃除した方がいいのかな?考えていると、スマートフォンが着信を告げた。樹の妹である美月のダーツ時代のソロ曲がワンフレーズ流れた所でスマホを耳に当てる、着信音で相手は分かっていた。
「はい、樹さん、おつかれさま」
「あぁ、お疲れ、優志もう帰って来たのか?」
「うん、今さっき帰ってきたところだよ」
「そうか、オレも今ホテルに帰ってきたところだ」
時刻はそろそろ22時になろうとしている。優志は稽古が終わると、劇団員達に誘われ夕飯を一緒に食べ帰ってきたのでこの時間になっていた。樹も同じような感じだろうか。
「樹さん、取材出来た?美味しいもの食べた?」
「美味しいものって……まぁ、そうだな、さっき呑んだ地酒は美味かったな」
「へぇ、いいなぁ……」
心底羨ましそうな優志の声に、樹は可笑しそうに笑う。
「じゃあ、今度は一緒に酒蔵見学に行くか?」
「え、行きたい、それ!」
「あぁ、色々調べとくよ」
「うん、わっ、こら、ウミ、ソラ、登ってきちゃだめだって」
「何だ、よじ登ってきたのか?」
「うん……あ、オレまだご飯あげてないんだ……お腹すいてるのかな……」
登ってきた2匹を引き剥がし、又ソファーの上に下ろすが2匹は直ぐに優志の足元へと転がり降りてくる。そしてにゃーにゃーと騒ぎ立てるところを見ると、腹が減っているようだ。
「ごめん、面倒掛けるな」
「ううん、そんな事ないよ……じゃあ、ご飯あげるから……明日夜、電話していい?」
「あぁ、待ってるよ」
「……おやすみなさい、樹さん」
「おやすみ、優志」
電話を切ると子猫の鳴き声が一際大きく耳に届く。ふぅっと息を吐き出し、優志は子猫達をもう一度抱え上げ今度はキッチンへと向かった。
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