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短編8
キーボードを叩く音に被るように、スマートフォンの着信音が書斎に響く。ダーツの新曲、直ぐに誰からの電話かを知り樹はスマホを手に取り画面をタップした。
「もしもし?」
「いつきさん?いま、へいき?」
「……あぁ、どうした?大丈夫か?」
「ん~?うん、だいじょうぶ」
ちっとも大丈夫そうじゃなさそうな声にそっと溜息をつく。そういえば今日は友達と花見をしてくると言っていた、昼間から飲んでいたという事だろう。
どれだけ飲んだのか、少しだけ心配になりながら質問を返す。
「今、どこだ?一人か?」
時刻は21時を過ぎたところ。今日は泊りに来るかもしれないとは言っていた。だが、花見の後友達の家に泊まる事になるかもしれないとも言っていたので、てっきり今日は来ないものだと思っていたのだ。
「んとね、ひとり、公園だよ」
「……公園?まだ飲んでいるのか?」
「のんでないよぉ……」
「じゃあ、どこの公園にいるんだ?一人でなんて……」
「えっと……なんだっけ……」
少し考えた様子で黙り込んだ後に優志が口にしたのは、樹の部屋の近くにある大き目の公園の名前だった。
「は?なんでそこにいるんだ?」
「ん、樹さんと、お花見したくて……でも、散ってたら……やだったからたしかめにきたの……咲いてたよぉ」
「……わかった、そこにいろよ、迎えに行くから」
「ん……あ、あのね、ビール、買ってあるよ」
「……あぁ、じゃあ、オレが行くまで飲むなよ」
「はぁい」
「……じゃあ、直ぐに行くからな……」
「うん」
公園内での居場所を聞き、作業中のファイルを閉じパソコンの電源を落とす。多分今日はもう作業はしないだろう。
書斎を出てリビングのソファーに放置してあったハーフコートを手に取ると、樹は足早に部屋を出た。
「優志!」
ベンチに座って頭上に咲く桜を眺めていた優志は、声の方へ振り向いた。
上気した顔に笑顔を浮かべ、嬉しそうに樹の名を呼ぶ。優志は大分酒が回っているのか、緩い表情ととろんとした瞳をしていた。
「いつきさん」
「……はぁ……お前な……」
安心してどかりとベンチに腰を下ろす。樹が息切れした呼吸を整えている間、優志は大人しくその様子を見ていた。
優志の手元にあるビニール袋の中には、空いていない缶ビールが二本入っていた。
「……樹さん、おこってる?」
「……怒ってると思うのか?」
「……ん、だって……」
待っている間そんな事を考えていたのか、さっき笑った顔がもう泣きそうに歪んでいる。待っている時間で冷静さを取り戻していたという事かもしれない。
「怒ってないよ、綺麗だな、桜」
笑って言うと、先程の優志のように頭上の桜を見上げる。
歩道の方まで長く枝を張った桜の大木は、花々の大半を散らしかけていた。だが、時折風に揺れ、園内の照明に照らされる桜の花びらは幻想的で暫し二人はその光景に魅入っていた。
公園内の遊歩道に設置されているベンチには、優志達と同じように夜桜見物を見る者がちらほらいる。その見物客達も街灯に照らされた夜桜をうっとりと見つめていた。
「きれいだよね……」
掴もうというのか、優志は手を伸ばしひらひらと舞う淡く白い花びらを追いかける。
指先に触れたけれど、一片も掴むことは出来ない。本当に幻みたいだなと、ぼんやりとした頭で考える。
「ほら」
「え……」
いつの間に集めたのか、優志の手を取るとその手の平の中に数枚の花びらを落とす。
ひらひらと落ちて、手の平に乗った桜達。幻じゃなくてちゃんと掴める。
潰さないように握りしめ、樹の目の前でそれをぱっと広げれば、白い欠片達は地へとはらはらと落ちていった。
いつだって樹に色んなものを貰って、それは決して幻なんかじゃない。でも貰ってばかりで自分ときたら何一つ樹へと返す事が出来ない。貰った分、ちゃんと成長して、そして樹へそんな成長した自分を見せたいのに。
落ち込みそうになった優志の耳に柔らかい低温が届く。
「……やっぱり夜桜はいいな」
「うん……」
地面に落ちていった桜を見て、それから桜を見上げ、そして隣に座る樹を見つめる。そこには優しい笑顔が浮かんでいて、込み上げてきた感情のままに樹に抱き付いた。
「優志?!」
「……すき……やっぱり、オレ、すっごく樹さんの事、すきっ……!」
「……優志?!」
公園内には夜桜を見に来た人達がまだいる。樹は少し慌ててしまったが、酔客の戯れと思って貰えるだろうと勝手に納得することにした。
「ほら、もう帰るぞ、立てるか?ビールも持ってな、帰ってから飲もう」
「うん……」
介抱している振りで、優しく背中を摩る。酔っぱらいは困るよな、という表情を作っているつもりだが、どうしてもにやけてくるのを止められない。
素面であれば、こんな公共の場で優志が自分から抱き付いてくるなんて真似、絶対にしないから。念の為誰かに見られていないかと辺りを見回してみるが、歩いている人たちは頭上の桜に夢中だ。
「優志、帰ろう」
「……うん」
立ち上がらせ、ふらついている優志の背中に腕を回し支えてやりながら歩く。見れば同じように酔っぱらいを介抱しながら歩いているサラリーマン達の姿も見えるので、怪しくはないだろう。
「樹さん……」
「ん?」
「……見たかったんだ……昼間も楽しかったけど……でも……オレ、樹さんと……」
「ありがとな、オレもお前と見られて嬉しいよ」
「……よかった」
ふにゃりと笑う優志に思わずキスしたくなったが、流石に屋外でそれはまずいと思い直し、いつもより遠く感じる家路をなるべく急ぎ帰った。
完
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