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誕生日の話 第1話

9月6日は樹の誕生日。  そこはある喫茶店の奥まった一席、眼鏡を掛けた俯きがちな青年と向かい合わせにはやはり眼鏡を掛けた女性が座っていた。  あまり流行っていないのか、時間帯のせいなのか店内にはこの二人以外は新聞を広げたサラリーマンが一人座っているだけだ。 店内は絞った音でジャズが流れていたが、二人の耳には届いていなかった。 「……美月ちゃん、どう思う……?」  前髪が眼鏡に掛かる黒髪の青年、江戸川優志はぼそりと呟いた。 抑えた声音と思いつめたような表情の優志とは逆に、正面に座る守川美月は至って平素な様子だ。 「んー……優志君が良いと思うもので……なんでもいいんじゃないのかなぁ」 「……それが……困るっていうか、迷うっていうか……」 「えー、なんでもいいんじゃない、お兄ちゃんにあげるものなんて」 呑気に言いながらカフェオレの入ったグラスをストローで美味しそうに啜る。 「なんでもって……!なんでもじゃ困るから……!」  いつも思うが美月は兄に対してクール過ぎないだろうか……樹が美月に対してデレ過ぎるとも言えるけれど……。  一週間後に控えた樹の誕生日にあげるプレゼントを優志は悩んでいた。 去年までは誕生日は知ってはいたが、自分がプレゼントなんてあげてもいいのかな?お祝いはきっと他の誰かとしているのだろうと思って優志は何もした事がなかった。  だけど今年は違う。念願の恋人になれて初めての誕生日なのだ。それに樹からは素敵なプレゼントを受け取ってしまっている。  自分も樹に何かをしてあげたい、喜んで貰いたい。そう思い何をあげようかと悩んでいた。  それとなく樹に何か欲しい物はないかと聞いても「特にない」なんて言われてしまった。他にも考えたが良い案は思いつかない。  こんな事を相談出来るのは樹の実妹の美月以外いないので、こうして人気のなさそうな喫茶店に誘い出したのだ。 「そうだ、自分にリボン巻いてプレゼントはオレです!って言ってみれば?」 「無理無理!!」 「そうかなー」 「そうだよ、いくら樹さんでもそれは引くよ!」 「……そうかな、お兄ちゃん喜ぶと思うよ?」 「……」  一瞬そうかな、喜ぶかな、などと考えてしまった優志だったが、喜ばれてもそれはそれで恥ずかしいと思い直し話題を変える事にした。 「ねぇ、美月ちゃんは樹さんに何かあげるの?」 「んー……そうだなぁ……今までは忙しくって電話とかしか出来なかったけど、今年は久しぶりにケーキでも焼いてみようかなーって思ってる」 「ケーキ?」 「そう、デビューする前まではお母さんと一緒に作ってたんだ」 「……そっか……」  美月が手作りケーキをあげるのなら、それ以上のプレゼントを考えるのは難しくないだろうか。  しょんぼりと項垂れてしまった優志を励ますように、美月は明るい声を出した。 「きっと優志君があげた物ならなんだって喜ぶと思うよ!」 「……そうかなぁ……」 「そうだよ、まぁ、プレゼントって迷うけどね、でも大丈夫だよ」 「……うん……オレも何か作ったり出来ればいいけど……うーん……料理もそんなに得意じゃないしなぁ……」 「あ、それじゃあ、ケーキ一緒に作る?」 「え……?」 「そうしようよ!一緒にケーキ作ろう!きっとお兄ちゃん喜んでくれるよ!!!」  美月の言葉に後押しされるように、優志は笑顔で頷いた。 ***  9月6日。  当日は朝から美月の家に行きケーキを作る事になった。 そう、美月の家という事は樹の実家でもあるのだ。まさかこんな形で守川家に来るとは思わなかったので、初めての訪問に優志はとても緊張した。  手土産に何を持っていけばいいのか、幸い髪の毛は黒になっているけれど何を着ていけばいいのかなどとても悩んだ。  樹に相談出来ないので美月に聞いてみるのだが、そんなに気にしなくても大丈夫だよと言うだけでアドバイスなどはなかった。  思わず初めて彼氏の家に遊びに行く、というワードで検索を掛けてしまった位に優志は悩んだ。  とりあえずケーキを作るんだからスーツなどで行ける訳がない。だけどあまりラフ過ぎるのもどうかと思う。優志は持っている服をひっぱり出し、あぁでもないこうでもないと言いながら鏡の前で服を選んだ。  結局、水色のストライプの七分のシャツに黒のベストとブラックジーンズにした。 あとエプロンもある方がいいと思い、買ってきた黒のエプロンも持つ。美月に貰ったフリルのエプロンもあったが、まさかそれを持ていく訳には行かないだろう、色々思い出してしまいそうだし。  前日百貨店にて和菓子の詰め合わせを買ってきたので、それを手土産として持っていく事にした。  美月達の実家近くの駅で待ち合わせをしたのだが、そこに現れたのは美月一人ではなかった。樹と同じ位かもう少し歳上の男性が美月の隣りに立っていたのだ。 「おはよう、優志君」 「おはようございます……今日はよろしくね…」 長袖のアイスブルーのシアーシャツを肘まで腕捲りし、白のキャミソールとシャツと同色のジーンズ、オフホワイトのスニーカーと美月は自宅だからかラフな格好だ。 午前中と言えど、まだ夏の陽射しと言ってもいい程暑い。半袖のTシャツでもよかったなと優志は少し後悔していた。 「うん、よろしく、材料は用意してあるから家に着いたら早速作ろうね」 「うん……」  この人は誰だろうと思っていると、美月が紹介してくれて優志は驚いた。 「未来の旦那さん」  そう紹介されたのは美月がダーツ時代だった時のマネージャーの佐々岡だった。紹介の仕方に照れたのか、美月に小言を言っているがその眼は優しそうなので、やはり照れているだけのようだ。  そんなやりとりを微笑ましく感じながら、佐々岡が運転してきた車に乗り込み守川家へ向かった。  駅前は商店街などもあり、賑やかそうだがそこを抜けると閑静な住宅街だった。駅周辺には新しそうなマンションと昔ながらの公営団地などがあり公園なども整備されている住みやすそうな街だった。  この街で樹は育ったのか、この公園でもしかしたら遊んだのかもしれない、そんな風に思いながら優志は流れる車窓を見つめた。美月の彼氏もいると分かってから、優志の緊張は幾分和らいでいた。 「ここ」と言って車が停まったのは、どこにでもあるような二階建ての住宅の前だった。 コインパーキングに停めてくると言った佐々岡と別れ、二人は車から降りた。 門扉を潜ると一階の屋根まで届きそうな常緑樹があり、その周りは芝だろうか緑が広がっている。 玄関までの数メートルは様々な大きさの石がランダムに敷き詰められ、続いている。その乱張りの石畳を美月の後に付いて歩けば直ぐに玄関だ。  家の中に入ると直ぐに母親が出てきて挨拶をしてくれた。緊張して上手く喋れなかったが、樹と美月の母は嬉しそうに菓子折りを受け取ってくれた。  どんな風に紹介されるのかと思っていたが、友達としか言われなかった。当然といえば当然だ、兄の恋人などと紹介される筈もない。  何となくそわそわしながら美月の後に着いてキッチンへと行く。  飴色の廊下を通り、明るい日差しの入ったリビングを抜けた奥にキッチンはあった。掃除の行き届いた清潔そうなキッチンには既に材料達がスタンバイしていた。 「じゃあ、さっそく作ろうか」 「うん」  三人は銘々のエプロンを取り出し、装着して手を洗うと笑顔で頷きあった。 「美味しいの作ろうね」 「うん!」

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