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幸せな一日#2
「あの、征治」
了介さんの腕に抱かれたままぼんやりしていたおれは、名前を呼ぶ声で我に返った。
「籍、入れようか」
その言葉に、全身に電流が走る。またあたまの中が光でいっぱいになる。とてもとても、強い光だ。おれはがばっと起きあがって体を離し、了介さんの顔を見つめた。
「え……、ほ、ほんとに……?」
「ああ」
了介さんの顔が緊張している。おれの手を握り、ぎこちなく笑った。
「おれの奥さんになってくれるか?」
「な……なる」
目に涙が溢れて、了介さんの顔がよく見えない。抱きついて、「なる!」と叫ぶ。ざわざわ、とおれたちの周りがざわついているけど、そんなの気にしていられないほど舞い上がっている。
了介さんはおれを抱き寄せて、「おれの征治」と微笑んだ。
よかった。ほっとした。赤ちゃんを授かって、そのお父さんである人にプロポーズしてもらって……。今日は今まで生きてきた中で、いちばんいい日だ。
ぼろぼろと涙がこぼれる。
「りょ、すけさ……、あいしてる……」
「おれも愛してるよ」
背中を抱いて、了介さんが笑ってくれる。よかった。本当によかった。胸がいっぱいで、息が苦しい。了介さんの手が、おれのお腹を撫でる。
「二人で育てような、赤ちゃん」
そう言って微笑んでくれる顔は、やっぱり涙で見えない。
おれの名は村岡 征治。二十四歳だ。ふだん、神戸市立浮嶋 図書館で司書をしている。
一八一センチの上背と細身筋肉質の体は、十六歳のときに初めてつきあった彼氏には「モデル体型」と好評だった。以来、体型維持には気をつかっている。
黒髪の、眉上の短髪、鋭い目の三白眼と、よく怖く見られる。勤めている図書館でも、利用者さんに「警察官かスナイパーかと思ったわ~。ゴルゴ13ね!」って言われるし(あんなに眉毛は太くない)。強面だ。
でも性格は受け身で、気が弱くて、自己主張が苦手だ。自己肯定感も低い。
そんなおれは、あまり恋人には恵まれてこなかった。みんな最初は優しいのに、だんだんとおれをナメるようになって。支配されたり、暴力を受けたり。あげく、彼氏とその友達に集団でレイプされたり。
おれが断れなくて、気が弱くて、なんでも「はい、はい」って言うことを聞くからそんなことになったのだろう。自分が嫌でしかたなかった。
嫌な思い出ばかりが募っていた。おまけに、おれは「男体妊娠症候群」だ。
男性でも妊娠できる、特異体質の人間をそう言う。
昔に比べればだいぶ差別も減ったと聞くし、病院や支援してくれるNPO団体の啓発活動も盛んだ。ニュースでも、よくその取り組みが取り上げられる。
同性婚が認められるようになった六年前から、理解の流れは加速している。
でも、男で妊娠することを、今でもタブー視する人もいた。
でも、夢だったんだ。愛しい人との子どもを授かること。幸せな妊娠をすることが。
あのあと、診察を受けた「男性妊娠専門外来」に行き、主治医の桧田 先生に了介さんを紹介した。
桧田先生は男の先生で、五十代くらい。小柄で痩せてて、ぎょろぎょろした目と、折れたのをむりやり修復したみたいな歪な鼻の持ち主だ。しゃべり方がぶっきらぼうで、ちょっと怖い。
看護師さんに呼ばれて診察室に入ると、桧田先生はパソコンに呼びだしたおれのカルテを見ていた。おれが了介さんを紹介すると、先生は細い眉を持ち上げて、「ほう」と言った。
ほうってなに? おれがビビると、先生は「あなたにも差し上げますよ」と、おれももらった小冊子の「男性妊娠のしおり」を了介さんに手渡した。
「それ読んで、二人で勉強してください」
「ありがとうございます」
了介さんはぺこりと頭を下げる。桧田先生は深くうなずいた。
「妊娠、出産は一大事業だ。お父さんも進んで協力すること。自分の子どもだから、そのつもりはあるな?」
半ば脅すような桧田先生の言葉に、了介さんは神妙な顔をしている。小柄な先生が了介さんの倍くらいの大きさに見えた。
「おれと征治で、二人で赤ちゃんを迎えて、育てていこうと思います」
「……実はさっき、プロポーズしてもらって」
おれが照れながら言うと、桧田先生は目じりの力を緩めて、「よかったな」と言ってくれた。その一言が優しく響いて、おれの顔はゆるゆるになる。
「はい! 赤ちゃんも授かったし、今、とっても幸せです!」
声を昂ぶらせたおれに先生はうなずいて、了介さんを見た。
「村岡さんには話したが、男体妊娠はよく思われないことも多い。そこで必要なのは覚悟ではなく、手放す勇気だ。二人だけで抱え込まず、なんでも相談してくれ。些細なことでも、悩みでも、不安でも。うれしいことでも。話せば楽になることもあるだろう。待ってるぞ」
ありがとう、桧田先生。涙が流れた。了介さんがおれの肩を抱いてくれる。
「はい、先生。また、いろいろ話させてください」
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