4 / 15
幸せな一日#4
そして、ベッドの中で一人悶える。
気持ち悪い。このムカムカが永遠に終わらないのかもしれないと、絶望的な気持ちになった。
片付けのとき煩わせるし、吐いたものを見せるのも悪いから、トイレで吐こうと決める。ふらふらとベッドとトイレを往復して。
それでも間に合わなくて、洗面器に少し戻してしまう。
そのあとから少し気分がよくなり、タオルケットに埋もれて、ぐでっとした。
了介さん、早く帰ってこないかな。了介さんに頭を撫でてもらいたい。そんなことを思いながら、いつの間にかうとうとしていた。
扉にノックの音。浅い眠りから目が覚める。
「ただいま、征治。気分はどうだ?」
「おかえりなさい。吐いたまま寝ちゃったから、口が気持ち悪いです」
「マウスウォッシュ、使うか? 洗面器も片づけるからな」
了介さんが吐いたものを片付けてくれているあいだに、うがいをしてからリビングダイニングに移動する。ソファに座って、ぼーっとした。気がつけば冷房が入っている。まだ蒸し暑いから、扇風機をつけた。
ぼんやりしていると、了介さんが戻ってきた。
「征治、お腹は空いてる? もう八時半だけど」
そういえば。外が暗いと思っていた。慌てて言う。
「了介さん、お腹空いた? おれに気にせず食べてくださいね」
「うん。そのことなんだけど。征治が食欲ないかもしれないと思って、栄養の摂れるジュースとかゼリーとか、買ってきた」
袋を見せてくれる了介さん。小さいパックの飲み物やゼリー。一つ食べると三百キロカロリーほど摂取できるみたいだ。
了介さん……おれのために……?
うれしくて、涙が出る。了介さんはおれの隣に座って、頭を撫でてくれる。
「好きな味があるといいんだけど。レモンとか、林檎とか、カルピス味とか。甘い味ばかりで嫌かな?」
心配そうな了介さんの体を抱きしめて、「うれしい」と微笑む。
「ありがとう。どれも美味しそう。おれのこと、そんなに気にかけてくれて、うれしい」
「おれの大事な征治だからな」
笑って頭を撫でてくれる了介さん。おれのナイト……!
「一生添い遂げたい!」
大胆告白をすると、「おれも」と了介さん。
「一生添い遂げる所存です」
「しょ、所存でた……!」
妊娠の告白で空気が変わるかなと心配していたけど。そんなことなくて、いちゃいちゃできて、とってもうれしい。お腹を撫でて、レモン味のゼリーを手に取る。
「これ、食べてみます。了介さんは、ご飯どうしますか?」
「おれは昨日の残りのカレーがあるからあっためて食べる。ご飯にしような」
柔らかく微笑む了介さんに、「はい!」と元気よく答えた。
でも、カレーの匂いを嗅いでいると気分が悪くなって。おれは寝室に避難した。
食事が終わった了介さんに誘われて、またリビングダイニングに移動。
「とりあえず消臭スプレーした」
との了介さんの言葉の通り、食べ物の匂いは消えている。よかった。ずっと一人で寝室だったら寂しかった。
そう言うと、「おれが寝室、行くから」と了介さんは笑っている。
おれも笑った。
テレビでバラエティ番組を観ながら、今後のことを夢中で話し合う。
いつ入籍する?
つわりがあるままで、仕事行けるかな?
結婚式、どうしようか。
休みが来たらベビーグッズ見に行こう!
不安も、希望も。いっぱい話をする。
そんな中で、どうしてこんな話になったのだろう。おれはぽつりと言っていた。
「あの、了介さん……。おれ、元カレとその友達にレイプされたことがあるって、言いましたよね?」
了介さんの顔が引き締まる。ああ、と言って、そっとおれの手を握ってくれた。
おれは微笑んで、言った。
「実は、言ってなかったけど……あのあと、妊娠して。堕ろしたんです」
「……そうだったのか」
苦しそうな了介さん。その顔だけで、おれは報われます。
「誰の子かわからなかったし、そのとき、鬱になってて。父さんと母さんが堕ろすことを決めたんです。好きな人とのあいだに子どもを授かるのが夢だったけど、違う形になって。すごく苦しくて、怖くて。だからおれ、今、了介さんの子どもを授かって、すごく幸せ。大好きな人との子どもだから。幸せな妊娠だから」
了介さんの腕がおれを抱きしめる。苦しくなるくらい強く。
「そうか。そうだったのか。つらかったな。おれも幸せだよ。征治との子ども。天使だ」
ん、とつぶやいて、大きな背中に腕を回す。いつの間にか、おれの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。ずるずると鼻水をすすり、ぎゅっと抱きつく。了介さんの手が、おれの背中をゆっくり撫でてくれる。少し腕の力が緩まった。
「おれは、征治のつらい思いは変えられないけど。救いにはなれないけど。でも、だからこそ、変わらないものの中にいっしょに沈んでいたいよ」
ありがとう、了介さん。
「ありがとう。おれ、救われます。その言葉だけで」
抱きしめあって、そのままじっとしていた。テレビの中の笑い声が聞こえる。そのぶん、おれたちの周りはしんとして、でも、互いの鼓動の音まで聞こえそうだった。呼吸の音がよく聞こえて、おれは怖くなかった。
ちょっと、気分が悪くなった。身じろぎして、「ムカムカします」と言ったら、了介さんはおれの頭を撫でてくれた。灰色の目の縁に、薄く涙が溜まっている。
「もう寝ようか。ベッド、行く?」
「行く。ちょっとだけ、そばにいてくれる?」
「ああ、いるよ。征治が眠るまで。そばにいる。な、征子ちゃん」
おれは笑った。手を繋いで、ソファから立ちあがる。
寝室に向かいながら、今日一日で劇的に変わった自分の人生を思った。
これから、おれは話していこうと思う。
了介さんとの出会いや、そしておれたちの赤ちゃんのことを。
ともだちにシェアしよう!