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幸せな一日#4

 そして、ベッドの中で一人悶える。  気持ち悪い。このムカムカが永遠に終わらないのかもしれないと、絶望的な気持ちになった。  片付けのとき煩わせるし、吐いたものを見せるのも悪いから、トイレで吐こうと決める。ふらふらとベッドとトイレを往復して。  それでも間に合わなくて、洗面器に少し戻してしまう。  そのあとから少し気分がよくなり、タオルケットに埋もれて、ぐでっとした。  了介さん、早く帰ってこないかな。了介さんに頭を撫でてもらいたい。そんなことを思いながら、いつの間にかうとうとしていた。  扉にノックの音。浅い眠りから目が覚める。 「ただいま、征治。気分はどうだ?」 「おかえりなさい。吐いたまま寝ちゃったから、口が気持ち悪いです」 「マウスウォッシュ、使うか? 洗面器も片づけるからな」  了介さんが吐いたものを片付けてくれているあいだに、うがいをしてからリビングダイニングに移動する。ソファに座って、ぼーっとした。気がつけば冷房が入っている。まだ蒸し暑いから、扇風機をつけた。  ぼんやりしていると、了介さんが戻ってきた。 「征治、お腹は空いてる? もう八時半だけど」  そういえば。外が暗いと思っていた。慌てて言う。 「了介さん、お腹空いた? おれに気にせず食べてくださいね」 「うん。そのことなんだけど。征治が食欲ないかもしれないと思って、栄養の摂れるジュースとかゼリーとか、買ってきた」  袋を見せてくれる了介さん。小さいパックの飲み物やゼリー。一つ食べると三百キロカロリーほど摂取できるみたいだ。  了介さん……おれのために……?  うれしくて、涙が出る。了介さんはおれの隣に座って、頭を撫でてくれる。 「好きな味があるといいんだけど。レモンとか、林檎とか、カルピス味とか。甘い味ばかりで嫌かな?」  心配そうな了介さんの体を抱きしめて、「うれしい」と微笑む。 「ありがとう。どれも美味しそう。おれのこと、そんなに気にかけてくれて、うれしい」 「おれの大事な征治だからな」  笑って頭を撫でてくれる了介さん。おれのナイト……! 「一生添い遂げたい!」  大胆告白をすると、「おれも」と了介さん。 「一生添い遂げる所存です」 「しょ、所存でた……!」  妊娠の告白で空気が変わるかなと心配していたけど。そんなことなくて、いちゃいちゃできて、とってもうれしい。お腹を撫でて、レモン味のゼリーを手に取る。 「これ、食べてみます。了介さんは、ご飯どうしますか?」 「おれは昨日の残りのカレーがあるからあっためて食べる。ご飯にしような」  柔らかく微笑む了介さんに、「はい!」と元気よく答えた。  でも、カレーの匂いを嗅いでいると気分が悪くなって。おれは寝室に避難した。  食事が終わった了介さんに誘われて、またリビングダイニングに移動。 「とりあえず消臭スプレーした」  との了介さんの言葉の通り、食べ物の匂いは消えている。よかった。ずっと一人で寝室だったら寂しかった。  そう言うと、「おれが寝室、行くから」と了介さんは笑っている。  おれも笑った。  テレビでバラエティ番組を観ながら、今後のことを夢中で話し合う。  いつ入籍する?  つわりがあるままで、仕事行けるかな?  結婚式、どうしようか。  休みが来たらベビーグッズ見に行こう!  不安も、希望も。いっぱい話をする。  そんな中で、どうしてこんな話になったのだろう。おれはぽつりと言っていた。 「あの、了介さん……。おれ、元カレとその友達にレイプされたことがあるって、言いましたよね?」  了介さんの顔が引き締まる。ああ、と言って、そっとおれの手を握ってくれた。  おれは微笑んで、言った。 「実は、言ってなかったけど……あのあと、妊娠して。堕ろしたんです」 「……そうだったのか」  苦しそうな了介さん。その顔だけで、おれは報われます。 「誰の子かわからなかったし、そのとき、鬱になってて。父さんと母さんが堕ろすことを決めたんです。好きな人とのあいだに子どもを授かるのが夢だったけど、違う形になって。すごく苦しくて、怖くて。だからおれ、今、了介さんの子どもを授かって、すごく幸せ。大好きな人との子どもだから。幸せな妊娠だから」  了介さんの腕がおれを抱きしめる。苦しくなるくらい強く。 「そうか。そうだったのか。つらかったな。おれも幸せだよ。征治との子ども。天使だ」  ん、とつぶやいて、大きな背中に腕を回す。いつの間にか、おれの顔は涙でぐちゃぐちゃだ。ずるずると鼻水をすすり、ぎゅっと抱きつく。了介さんの手が、おれの背中をゆっくり撫でてくれる。少し腕の力が緩まった。 「おれは、征治のつらい思いは変えられないけど。救いにはなれないけど。でも、だからこそ、変わらないものの中にいっしょに沈んでいたいよ」  ありがとう、了介さん。 「ありがとう。おれ、救われます。その言葉だけで」  抱きしめあって、そのままじっとしていた。テレビの中の笑い声が聞こえる。そのぶん、おれたちの周りはしんとして、でも、互いの鼓動の音まで聞こえそうだった。呼吸の音がよく聞こえて、おれは怖くなかった。  ちょっと、気分が悪くなった。身じろぎして、「ムカムカします」と言ったら、了介さんはおれの頭を撫でてくれた。灰色の目の縁に、薄く涙が溜まっている。 「もう寝ようか。ベッド、行く?」 「行く。ちょっとだけ、そばにいてくれる?」 「ああ、いるよ。征治が眠るまで。そばにいる。な、征子ちゃん」  おれは笑った。手を繋いで、ソファから立ちあがる。  寝室に向かいながら、今日一日で劇的に変わった自分の人生を思った。  これから、おれは話していこうと思う。  了介さんとの出会いや、そしておれたちの赤ちゃんのことを。

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