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記憶の朝#4

「でも、これも縁だな。女装姿で働く征治に出会ってから、こんな関係になれるとは思ってなかった」  大きな手を握り、「おれもです」と微笑む。了介さんは、ちょっとだけ照れた。 「第一印象は、とっても綺麗な人だと思ったよ。透明感があって、瞳が美しくて。大人しくてか弱そうで、優しそうで。白雪姫みたいな人だって思った」 「も、もーっ」  顔を覆って盛大に照れる。 「了介さんの天然タラシ!」 「だってほんとに思ったもんなー。こんな綺麗な人が男なのか、とか、いや心が女性なんだったら、やっぱり女性なんだろうな、とか」  了介さん。そこまで考えてくれて、うれしくて、心も体もあったかくなる。 「あのね、了介さん。おれ、男を好きだって気持ちを受け入れられるようになってからは、男として生きてもいいかなって思えるようになったんです。でも、女装するのは昔から好きだった。だから、産まれてくる子どもにも、男の子でも女の子でもいい名前を付けたいな。もし生まれもった体の性別に違和感があっても、少しでも、苦しくないように」 「ん、そうしよう!」  逞しい腕がぎゅっと抱きしめてくれる。 「おれの考えすぎかもしれないけど」  ぽつりと言うと、了介さんは真剣な顔で首を振った。 「そういうこと、ちゃんと考えてくれて、赤ちゃんはうれしいと思うよ。例え、性別に違和感のない子であったとしても。その気持ちを知ったら、きっとうれしいはずだよ」  おれは顔を上げて、へへって笑った。 「ありがと、了介さん。了介さんの言葉に勇気づけられる。おれもママになれるかもって思う!」 「征治は可愛くてしっかりしてて、優しいママだよ。おれもパパになれるよう、頑張る。いっしょに頑張ろうな」  にこって笑ってくれる了介さんの優しい顔に、この人の子どもを授かってよかったな、と思った。  だって、あのときも妊娠したけど、そんな思いは抱けるはずがなかった。  集団でレイプされたときの記憶が甦った。  嗤う男たち。悲鳴も出ないおれ。それなのに、口に布を詰められて――。  代わる代わる入れ替わる顔。嗤い声。「いいんだろ、征治」と彼氏が笑って――。  おれは床にしゃがみこんで空えずきを繰り返した。了介さんがすかさず背中をさすってくれる。 「気分悪いのか? ここで吐いていいぞ」  おれはふるふると首を振る。涙が滲む。了介さんの手にすがって、込みあげてくる胃液をなんとか飲みこみながら、「大丈夫」とつぶやく。  でも、全然大丈夫じゃない。 「い、嫌なこと、思いだして」  おれの言う「嫌なこと」はたいていレイプされたときのこと。察した了介さんが、眉間に皺を寄せておれの体を抱きしめてくれた。 「あいつら、絶対に許せないよ。征治をこんなに傷つけて。苦しめて。同じ質の苦しみを味わわせたい」  怖い顔で、低い声でつぶやく了介さんの手を握って、涙が溢れる。そして、うれしかった。そこまで思ってくれることが。 「大丈夫です」  ぽそぽそとつぶやくと、了介さんはおれをぎゅっと抱きしめた。 「了介さんは、おれに酷いこと、しない。だからおれ、安心していられる」 「最低限やっちゃだめだろ、そういうことは。傷つけようと思ってなくても、傷つけてしまうこともあるけど。でも、征治を自分の思い通りにできると考えるのは大きな間違いだ。きみにも意思があるんだから。意思と尊厳を踏みにじるのは、してはならないことだ。征治をばかにしてる」  了介さんの体にしがみつく。了介さんは今、私立探偵で、昔は東京で刑事をしていた。だから、正義感が強い。常識があって、人の痛みに敏感で、「まとも」な了介さんが、おれは好きだ。 「大丈夫。今は、了介さんがいてくれるから。おれ、怒るの苦手だから。いつも怒るより悲しくなっちゃうんです。でも、了介さんが代わりに怒ってくれるから。だから、おれは報われます」  顔を上げて笑う。 「もう大丈夫。ご飯、食べましょう」 「……むりはするなよ。あんなやつらを捨て置いて、幸せになろうな」  澄んだ灰色の瞳は鋭くて真剣で、怖いくらいだ。だからうれしかった。 「うん。幸せになりましょう。三人で」  そして、幸せになろうと笑いあうとき、おれは堕ろした赤ちゃんのことを考える。  了介さんに立ちあがらせてもらって、テーブルに着く。少しぬるくなったコーヒーを飲みながら、朝食を再開した。  八時前には、了介さんは仕事に向かった。おれはエプロンを付けて食器を洗いながら、立ちくらみがして、シンクにしがみついていた。  妊娠してから貧血みたいだ。あとで薬を飲もう。  また体がしゃんとしたので、食器洗いの続きをする。女装は上手くいった。うれしい。了介さんに綺麗だって、いっぱい言ってもらった。顔がにやつく。もう見せる人はいないけど、しばらくメイクも落とさず服も着替えず、このままでいようかな。  食器洗いを終えてリビングダイニングのソファに戻ると、木のローテーブルに置いたスマホにLINEの通知があった。  妹、一澄からだ。LINEのトーク画面を開く。一澄のアイコンは、おれが去年あげた、ジンベエザメのぬいぐるみだ。 「お兄ちゃん、元気にしてる? そっちに遊びに行きたいんだけど、いい?」  あ。おれ、一澄にも、家族にも、妊娠したこととか婚約のこと、話してない。  急にどきどきして、画面を見つめた。

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