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妹がやってきた#3

 食事を終えた了介さんが、寝室におれを呼びにきてくれた。でも、おれはふて寝の真っ最中。タオルケットをかぶり、背中を向けて、目を閉じる。 「ちょっとしんどくて。しばらく休んでいます」  暗い声でつぶやいたおれを、了介さんは心配してくれたのだろう。ベッドが軋み、そこに膝をついた了介さんが、おれのことを覗きこんでいるのがわかった。  大きくて優しい手が、おれの頭を撫でる。 「そうか。征治はご飯いっぱい作って、頑張ってくれたもんな。休みなくお母さんしてるしな。ありがとう。ゆっくり休んでな」  了介さん。いけないと思いつつ、涙が滲む。そっぽを向いたまま、「了介さん?」と呼びかけた。 「ん?」  また、手が頭を撫でる。気持ちいい。体が軽くなって、ふわーっと浮きそうだ。 「ごめんね」  ぽそっと漏らしたら、「どうして?」と穏やかな低い声が聞こえてきた。  この声だけで、弱っているときのおれは泣いてしまう。おれはタオルケットに顔を押しつけたまま、しばらく黙っていた。 「……やきもち焼いちゃった。二人が楽しそうで」 「そうか。寂しかったか?」 「ん。寂しかった」 「ごめんな」  手が、そっと頭を撫でる。おれはまだ顔を背けていた。 「一澄、綺麗でしょ?」  尋ねたら、「ああ」と了介さんの真剣な声。 「綺麗な人だな。征治の妹さんだからな」 「白雪姫に似てるでしょ?」 「そうかな?」  本当に、「そうかな?」って思ってる声。 「征治のほうが似てると思うけど」  おれは思い切って振り向いた。涙が滲んだ目で、了介さんはびっくりしたと思うけど。でも、その顔は柔らかくて、優しくて……包んでくれるようで。微笑んで、「どうした?」って訊いてくれた。おれの頭を撫でながら。  太い腰に抱きつく。ラグビー選手がタックルするときみたいなフォームで。 「……なんでもないです」 「そうか? なんでも言ってくれよ」  頭を撫でてもらって、気持ちが落ち着いた。おれ、つまんないことで拗ねて、やさぐれてたな。了介さんのおっきな腕に包んでもらって、いじけた気持ちが溶けてゆく。 「なんでもなーい」  抱きついたまま笑うと、「そうかー?」って了介さんも笑っていた。  了介さんがお風呂に入っているあいだに、先にお風呂に入った一澄と話をした。 「天馬さんって、いい人ね」 「うん。いい人でしょ」 「『どうでもいい人』のいい人じゃなくて、本当にいい人。優しくて、でも芯がある人と見たわ。よかった。お兄ちゃんがそんな人と出会って、結婚して。赤ちゃんも授かって。ほんとによかった」  一澄が、おれの頭をなでなでしてくれる。 「いい人に出会えてよかったね、お兄ちゃん」  微笑む一澄に抱きつく。一澄はびっくりしていた。 「どうしたの? 急に」 「ありがとう、一澄。一澄も幸せになってね」  そのことなんだけどね、と一澄はおれの背中に腕を回しながら、言った。 「わたし、晴臣とケンカしてて。一か月、口きいてなかったの」 「え……!?」 「でもお兄ちゃんたちの姿を見て、晴臣に会いたくなったわ。後で電話するわね」  にこっと笑う一澄に、なんだか涙が込みあげる。どうしたの、と一澄がびっくりした顔でおれの背中をさすった。 「おれ……おれ、自分だけ幸せになるのは罪悪感だよ。一澄もいっしょに幸せになろう。ね?」 「なんだ、そんなこと気にしてたの。いいじゃない。お兄ちゃんはお兄ちゃんの道を行けば」 「でも、悪いよ」  幸せなろうとするとき、おれが堕ろした赤ちゃんのことを思いだすように。 「みんながそれぞれ、それぞれの仕方で幸せになるから、お兄ちゃんは気にしちゃだめ。天馬さんだって、天馬さんの方法で幸せを目指してるの。それはお兄ちゃんのやり方とは違うかもしれないわよ」 「え……?」 「人それぞれ、生きているもの」  でもいいじゃない、それでもいっしょにいられるんだもの、と一澄は笑った。  おれはそこまで強くないかもしれない。ふと、気づいた。これまで、彼氏たちに依存されるなと思ってたけど、おれも依存していたかもしれない。強くならない、弱いままであることによって。共依存、ってやつなのか。  急に怖くなった。おれは依存体質だけど、了介さんはどう? 自立してる人が好き、自分の世界を持ってる人が好きだって、前に言ってた。  おれは、自分の世界なんかない。いつも相手の世界が自分の中に流れ込んできて、その人の見る景色でいっぱいになってしまう。  嫌われる? 急に酷く怖くなった。突然黙ったおれを、一澄は驚いた顔で見ている。慌てて言った。 「な、なんでもないよ。晴臣さんと仲直りできるといいね」 「ありがとう。わたしが謝って、あっちがなんて言うか、お楽しみね」  いたずらっぽくウィンクした一澄に、強いなあと思う。  了介さんがお風呂から出てきた。タオルで髪を拭きながら、「兄妹、仲良しだな」って笑う。  了介さん。その穏やかな優しい顔を見て、「いいママになる」のともう一つ、別の目標ができた。  強くなること。  おれ、頑張ります。了介さん。  了介さんが不思議そうな顔をしている。 「どうした征治?」  でもどうしたらいいのかわからなくて、今夜も了介さんに頭を撫でてもらうことを待つおれだった。

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