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事件の顛末#1
泊まりに来た一澄に、ご飯とお風呂のあと、おれと了介さんの馴れ初めを聞かれた。
簡単に言えば、桑原さんの件で知り合ったあと、おれがストーカー被害に遭って、了介さんが助けてくれた、ってことなんだけど。
実際はもう少し長い話だ。
○
桑原さんに、おれの本当の気持ちを話したあと。
桑原さんは顔色を変えず、「ふーん」と言った。そして笑って、「わかった」と。
ほっとして、おれも笑った。
その日は何事もなく過ぎた。天馬さんと桑原さんは、午前一時になる前には帰っていった。おれも水城さんにことの顛末を話し、そのまま帰路についた。
でもそのあとから、おれはストーカー被害に遭うことになった。
初めは、電話だった。スマホに見知らぬ番号から電話が掛かってくる。無言電話。三日続いて、気持ち悪くて着拒にした。
おれの暮らすぼろアパートに、手紙が来るようになった。
「いつも見てるよ」
「愛してるよ」
パソコンで打ったものを、白い便箋にプリントアウトした手紙だ。
手紙は次第にエスカレートし、おれを隠し撮りした写真も送られてくるようになった。女装しているときの写真から、ふだん、男の格好をしているときの写真まで。道を歩いている写真や、マクドでハンバーガーを食べている写真。書店で立ち読みしている写真とか。
「いつも見てるよ」
写真にはそんな一文が添えられていた。
あるとき、小包が送られてきた。中を開けると、鉄の大きなはさみと便箋が入っていた。手紙にはこう書かれていた。
「チンコ切って私と暮らそう」
怖かった。気持ち悪かった。
おれはすぐに水城さんに電話した。
水城さんは、ストーカー被害に詳しい探偵を紹介する、と言ってくれた。以前、お店のスタッフ(おれと同じように男の娘としてクラブで働いていた人)が被害に遭ったとき、相談に乗ってくれた探偵だそうだ。
細川新太 さんという、少し恰幅のいい、背の高いおじさんだった。眼光が鋭くて、静かに話を聞き、元警察官だそうだ。
おれは細川さんと会ったあと、ほっとして、もう大丈夫かもしれないと思った。
でも、手紙は相変わらず送られてくる。消印は新長田や兵庫、遠くは西宮、大阪とさまざまだ。送り主の名前は、もちろん記入されていない。宅配便の差出人の住所はでたらめだった。
引っ越すことも考えたけど、細川さんが調査してくれているので、結局引っ越さなかった。
初夏に入ると、手紙が送られてくる回数も減り、少しほっとしていた。
そんなある日、店で勤務していると、見たことのある人影が見えた。
天馬さんだ。
フロア・マネージャーの水城さんと話している。水城さんはおれのほうを振り向くと、「征子」と呼んだ。
「天馬さんのお相手して差し上げてくれ」
ちょうど出勤したばかりで空いていたおれは、タイミングがいいなと思ったけど、後で聞いたら天馬さんが来店の予定を話していて、それに合わせて水城さんがおれの予定を調整していたみたいだ。
観葉植物の鉢の陰、ソファに座った天馬さんは、おれの手からおしぼりを受け取りながら笑った。
「久しぶり、征子さん。どうしてるか気になって」
思わず、微笑みが漏れる。
「いろいろあるけど、まあまあ元気です」と答える。
天馬さんはメニューのカードを見て、
「このワイン、ボトルで」とお高い赤ワインを指さした。
「ボトルキープさせてもらうよ」
そう言ってくれた。手を拭きながら、
「こういうとこ、あまり来なくてね」
とあたりを見回している。でもおれには、とても慣れているように見えた。
円形のソファの、天馬さんの隣に座って、ワインを注ぐ。
「ありがとう。征子さんは飲みますか?」
「おれはビール、いただきます」
酒は弱い。天馬さんと話をしながらビールを飲む。天馬さんが本題に入ったのは、酒を飲みはじめてすぐだった。
「細川さんに、ストーカー被害のことを相談しているそうだけど」
驚いた。
「どうして、そのことをご存知なんですか?」
「細川さんに聞いたんだ。おれと細川さんは仕事のよしみでつきあいがあってね。おれが桑原さんの件を担当していたという話から、教えてくれた。あの――」
天馬さんがおれの目を見つめ、声をひそめた。
「細川さんに、言ってもいいって言われているから話すけど、ストーカーしているのは桑原さんだ」
やっぱり。そうじゃないかと思っていた。
でも、絶対そうだとは言えなかったし、お客さんだから、遠慮していたという部分もある。あれから、桑原さんはお店には来ない。でも、水城さんは一度道ですれちがったらしく、そのとき桑原さんは奥さんと歩いていたそうだ。元気そうだったよ、と水城さんは言っていた。
天馬さんは、さらに続ける。
「細川さんと連携し、今度のストーカー被害の調査に当たることになった。といっても、心配しないで。料金は細川さんのところの分だけ払ってもらえればいいから」
「え? でも……」
「気にしないで。桑原さんとあなたとおれで、三人で話し合ったとき、もっといいやり方があったかもしれないと思っているんです。こんなふうになる流れを止められたかもしれない。そのことを思うと、申し訳なくて」
「そんな……そんなこと、ないです」
おれは心からそう思っている。
「征子さん、本名を訊いてもいいかな?」
真剣な顔の天馬さんに、こくりとうなずいた。
「村岡です。村岡征治」
「村岡さん。おれと細川さんで、警察の力を借りられるよう、証拠を集めている。そうなったとき、警察に桑原さんのことを訴えたいと思いますか?」
本当のことを言うと、悩んでいる。おれは正直に口に出した。
「お客様を訴えることには抵抗があります。最近は、手紙もそれほど送られてきませんし……」
「ストーカー事件は、中途半端にしておくのがいちばんよくないんですよ」
プロとしての実感だろう。おれは少し怯んだ。たしかに、嫌がらせをやめてくれないと、訴えることになるかもしれない。おれはおずおずと言った。
「水城さんとも相談していいですか? お店のことは、オーナーが水城さんに任せているんです」
「わかりました。ストーカー事件は、甘く見ていたら思わぬ事件に発展することもあります。気遣いや、体裁より、ご自分の安全をいちばんに考えてください。そこに遠慮は、ないほうがいい」
天馬さんはそう言って、帰っていった。
おれは天馬さんと交わした話を、水城さんに話した。水城さんは「訴えることを視野に入れよう」と言ってくれた。
「征治の身の安全が第一だからな。な、征治」
甘く、美しく微笑む水城さん。おれの付けたウィッグの、長い髪を撫でてくれる。
このころ、おれと水城さんは――達樹 は、付き合うようになっていた。
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