12 / 15

事件の顛末#1

 泊まりに来た一澄に、ご飯とお風呂のあと、おれと了介さんの馴れ初めを聞かれた。  簡単に言えば、桑原さんの件で知り合ったあと、おれがストーカー被害に遭って、了介さんが助けてくれた、ってことなんだけど。  実際はもう少し長い話だ。 ○  桑原さんに、おれの本当の気持ちを話したあと。  桑原さんは顔色を変えず、「ふーん」と言った。そして笑って、「わかった」と。  ほっとして、おれも笑った。  その日は何事もなく過ぎた。天馬さんと桑原さんは、午前一時になる前には帰っていった。おれも水城さんにことの顛末を話し、そのまま帰路についた。  でもそのあとから、おれはストーカー被害に遭うことになった。  初めは、電話だった。スマホに見知らぬ番号から電話が掛かってくる。無言電話。三日続いて、気持ち悪くて着拒にした。  おれの暮らすぼろアパートに、手紙が来るようになった。 「いつも見てるよ」 「愛してるよ」  パソコンで打ったものを、白い便箋にプリントアウトした手紙だ。  手紙は次第にエスカレートし、おれを隠し撮りした写真も送られてくるようになった。女装しているときの写真から、ふだん、男の格好をしているときの写真まで。道を歩いている写真や、マクドでハンバーガーを食べている写真。書店で立ち読みしている写真とか。 「いつも見てるよ」  写真にはそんな一文が添えられていた。  あるとき、小包が送られてきた。中を開けると、鉄の大きなはさみと便箋が入っていた。手紙にはこう書かれていた。 「チンコ切って私と暮らそう」  怖かった。気持ち悪かった。  おれはすぐに水城さんに電話した。  水城さんは、ストーカー被害に詳しい探偵を紹介する、と言ってくれた。以前、お店のスタッフ(おれと同じように男の娘としてクラブで働いていた人)が被害に遭ったとき、相談に乗ってくれた探偵だそうだ。  細川新太(ほそかわあらた)さんという、少し恰幅のいい、背の高いおじさんだった。眼光が鋭くて、静かに話を聞き、元警察官だそうだ。  おれは細川さんと会ったあと、ほっとして、もう大丈夫かもしれないと思った。  でも、手紙は相変わらず送られてくる。消印は新長田や兵庫、遠くは西宮、大阪とさまざまだ。送り主の名前は、もちろん記入されていない。宅配便の差出人の住所はでたらめだった。  引っ越すことも考えたけど、細川さんが調査してくれているので、結局引っ越さなかった。  初夏に入ると、手紙が送られてくる回数も減り、少しほっとしていた。  そんなある日、店で勤務していると、見たことのある人影が見えた。  天馬さんだ。  フロア・マネージャーの水城さんと話している。水城さんはおれのほうを振り向くと、「征子」と呼んだ。 「天馬さんのお相手して差し上げてくれ」  ちょうど出勤したばかりで空いていたおれは、タイミングがいいなと思ったけど、後で聞いたら天馬さんが来店の予定を話していて、それに合わせて水城さんがおれの予定を調整していたみたいだ。  観葉植物の鉢の陰、ソファに座った天馬さんは、おれの手からおしぼりを受け取りながら笑った。 「久しぶり、征子さん。どうしてるか気になって」  思わず、微笑みが漏れる。 「いろいろあるけど、まあまあ元気です」と答える。  天馬さんはメニューのカードを見て、 「このワイン、ボトルで」とお高い赤ワインを指さした。 「ボトルキープさせてもらうよ」  そう言ってくれた。手を拭きながら、 「こういうとこ、あまり来なくてね」  とあたりを見回している。でもおれには、とても慣れているように見えた。  円形のソファの、天馬さんの隣に座って、ワインを注ぐ。 「ありがとう。征子さんは飲みますか?」 「おれはビール、いただきます」  酒は弱い。天馬さんと話をしながらビールを飲む。天馬さんが本題に入ったのは、酒を飲みはじめてすぐだった。 「細川さんに、ストーカー被害のことを相談しているそうだけど」  驚いた。 「どうして、そのことをご存知なんですか?」 「細川さんに聞いたんだ。おれと細川さんは仕事のよしみでつきあいがあってね。おれが桑原さんの件を担当していたという話から、教えてくれた。あの――」  天馬さんがおれの目を見つめ、声をひそめた。 「細川さんに、言ってもいいって言われているから話すけど、ストーカーしているのは桑原さんだ」  やっぱり。そうじゃないかと思っていた。  でも、絶対そうだとは言えなかったし、お客さんだから、遠慮していたという部分もある。あれから、桑原さんはお店には来ない。でも、水城さんは一度道ですれちがったらしく、そのとき桑原さんは奥さんと歩いていたそうだ。元気そうだったよ、と水城さんは言っていた。  天馬さんは、さらに続ける。 「細川さんと連携し、今度のストーカー被害の調査に当たることになった。といっても、心配しないで。料金は細川さんのところの分だけ払ってもらえればいいから」 「え? でも……」 「気にしないで。桑原さんとあなたとおれで、三人で話し合ったとき、もっといいやり方があったかもしれないと思っているんです。こんなふうになる流れを止められたかもしれない。そのことを思うと、申し訳なくて」 「そんな……そんなこと、ないです」  おれは心からそう思っている。 「征子さん、本名を訊いてもいいかな?」  真剣な顔の天馬さんに、こくりとうなずいた。 「村岡です。村岡征治」 「村岡さん。おれと細川さんで、警察の力を借りられるよう、証拠を集めている。そうなったとき、警察に桑原さんのことを訴えたいと思いますか?」  本当のことを言うと、悩んでいる。おれは正直に口に出した。 「お客様を訴えることには抵抗があります。最近は、手紙もそれほど送られてきませんし……」 「ストーカー事件は、中途半端にしておくのがいちばんよくないんですよ」  プロとしての実感だろう。おれは少し怯んだ。たしかに、嫌がらせをやめてくれないと、訴えることになるかもしれない。おれはおずおずと言った。 「水城さんとも相談していいですか? お店のことは、オーナーが水城さんに任せているんです」 「わかりました。ストーカー事件は、甘く見ていたら思わぬ事件に発展することもあります。気遣いや、体裁より、ご自分の安全をいちばんに考えてください。そこに遠慮は、ないほうがいい」  天馬さんはそう言って、帰っていった。  おれは天馬さんと交わした話を、水城さんに話した。水城さんは「訴えることを視野に入れよう」と言ってくれた。 「征治の身の安全が第一だからな。な、征治」  甘く、美しく微笑む水城さん。おれの付けたウィッグの、長い髪を撫でてくれる。  このころ、おれと水城さんは――達樹(たつき)は、付き合うようになっていた。

ともだちにシェアしよう!