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第10話

 やっとの思いで封を切る決意をした日。  鋏を探していると、不意に滅多に鳴ることのない、家の電話が鳴った。 「0101……」  ナンバーディスプレイの番号にハッとした。  慌てて受話器を取る。国際電話だった。  悪戯かもしれないが、もし、そうでなかったら。  そう思ったら上ずって、うまく喋れないまま、無言で受話器を耳に当てた。 『きみか?』  静かに優しく言葉を紡ぐ癖が、過ぎ去った時間を一瞬にして巻き戻す。  その瞬間、全てを吹き飛ばすような震えが全身を襲った。 「──どうして……」  声を出してから、いけない、と思った。なぜ家にいるのか、言い訳をしなければと思っていると、もう一度「きみか……?」と問われ、頷かずにいられなくなった。  懐かしい声。夢にまで見た。俺を呼んで、包んでくれる、奴の声だった。  震える手で受話器を落とさないよう掴む。心臓が緊張で張り裂けそうに打ち付けている。奴のいない家で、奴がいたらどう声をかけるべきか、何度も想像し、試みたのに、いざ本人を前にしたら、何を言うべきか、全く見当がつかない。  奴は静かに、なぜ掛けてきたか、言った。 『私に未練があるなら、きっと出てくれるだろうと思った』 「……」  なぜ、という言葉が喉奥で詰まる。  数ヶ月前に自分が行った仕打ちを、忘れるわけがないのに。 『まだ、きみが好きなんだ』 「……嘘だ」 『どうして?』 「だって……嘘だ」  視界が滲んで、電話機の横に立てかけてある卓上カレンダーがよく見えない。九月のまま、ある日を境に予定を書き込まなくなった。掃除も洗濯も炊事もちゃんとやっているのに、細かい不備があるなんて、ハウスキーパー失格だ。  でも、奴がいなくなってからの日数を数えることが、どうしても俺にはできなかった。 『きみを謀るためにこんな手の込んだ悪戯はしない。それより、元気か?』  頷くともなく、頷く。 「今、クリスマスじゃないよな……?」 『クリスマス?』 「そっちだけ、早く祝うとか、そういうのあるのか? だから……」  だから電話を掛けてきたのだろうか。  尋ねると、奴は『いや』と笑った。 『何度か電話したが、留守だった。諦めきれなくて、きみの周りを洗ってくれていた人間に、帰宅時間を教えてもらって、そこを狙った』 「何だ、それ、そんな……」  色々突っ込みたいところはあったが、「俺の周りを洗っていた」という物騒な単語を平気で吐く、奴の執着心の強さが嬉しかった。俺を探って何をしていたのか知らないが、きっとろくでもないことだと思うと、心の中があたたかくなる。度を越した行動を取るきらいのある奴が、俺と話すためにそこまでしてくれたことが、心の底から嬉しかった。 『私にとっては、大事なことなんだ』  少し鼻にかかる英語訛りで言い訳する話し方に、歳月の過ぎる速さを感じる。  鼻の奥がつんと縒れて、涙が出てくるのを啜り上げた。 『荷物を開けてくれたか?』  少し含羞を孕んだ声に、俺は首を横に振り、「これ、何?」と尋ねる。  子どものように泣いてしまいたかった。  電話の向こう側の奴が、笑うぐらいに。 『開ければわかる。開けたらこちらに電話してくれ。番号は──』

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