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第6話

 アザミの説明を聞き終えたアオキは、絶句した。  まさか、紅鳶が……青藍や漆黒とキスをしたなんて……。  アオキは元男娼だ。  だから、同じく男娼である紅鳶が自分以外の人間と関係を持つことがある、というのはきちんと理解していたし、納得もしていた。  最近でこそ紅鳶は次期楼主としての仕事が増え、(くるわ)に出ることが減ってはいたが、紅鳶目当ての客も依然として多い。  そんな彼に対し、アオキは一度たりとも、お客様と寝たりしないでくださいなどという愚かな願い事を口にしたことがなかった。  アオキにだって元男娼としての矜持はある。曲がりなりにもしずい邸を率いていたあの時期を、恥ずべきものだとは思っていない。  だから、己の体を『仕事』で使っている紅鳶をねぎらいこそすれ、困らせるような振る舞いは、絶対にしないでおこうとアオキは常々思っているのだった。    けれど。  アザミの話が本当ならば……紅鳶は『仕事』以外で青藍や漆黒とキスをしていたことになる。    悪い冗談だと思いたい。  しかし、梓の悲愴な顔つきや、唇をヘの字に曲げて必死に涙をこらえているちふゆ(という名前らしい。キャンキャンとアザミに噛み付く彼の紹介は、梓がしてくれた)の様子から、アザミが適当な嘘をついたわけではないことが窺い知れた。 「ど、どういうことでしょうか。紅鳶さまが、彼らと、そ、その……」 「浮気だろ」  ぼそり、とちふゆが吐き捨てた。  アザミの目撃談では、青藍が一番ノリノリでキスをしてたようだから、彼の馴染みであるちふゆの受けたショックが、一番大きいのかもしれなかった。   「で、でもオレは昨日も紅鳶さまに、その……だ、抱いてもらいましたが、そんなおかしな様子は……」 「梓は?」 「ぼ、僕は、昨日はなんにも……」 「バッ、バカっ、ちげぇし! したとかしてないとかじゃなくてっ」  遊郭、なんて場所の常連のくせにちふゆが初心(うぶ)な反応を示し、頬を赤くして怒鳴った。 「なんか怪しい雰囲気なかったかって聞いてんの!」  ちふゆにつられたように梓も頬を染め、恥ずかしそうに俯いて、う~んと首を傾げた。 「特に……なにもなかったと思うけど……ちふゆくんは?」 「オレはおまらえと違っていつも一緒に居るわけじゃないし……そもそもケンカ中だったし……」  ちふゆがもごもごと口ごもる。  喧嘩? とアオキの脳裏に疑問符が浮かんだが、いまはそれを訊ける状況ではなかった。    アオキ、梓、ちふゆの三人は床に(じか)に座り、膝を突き合わせて互いのパートナーに浮気の兆候がなかったかを探り合った。その途中で、ちふゆが不意にぐすんと鼻を啜った。   「け、ケンカしたから、オレ、青藍に嫌われたのかなぁ……」     しょんぼりと肩を落としたちふゆの哀愁が伝播(でんぱ)して、アオキと梓も唇を震わせた。  湿りきった重い空気を振り払ったのは、ひとり澄まし顔で優雅に紅茶を飲んでいたアザミだった。 「おまえたち、マンネリだったんじゃないかい?」  とろりと甘い声を発したアザミへと、三人の視線が集まる。  しなやかな足を組んで悠々と椅子に座っているアザミが、手にしていたカップを卓上のソーサーへカチャリと戻した。  その音を合図にしたかのように、アオキと梓とちふゆが同時にアザミへと向き直り、床に膝を滑らせてずずいと距離を縮めた。   「アザミさんっ」 「アザミさんっ」 「性悪っ」  三人の声が揃った。  いや、ちふゆだけが明らかに違う。  それをアザミが聞き逃すはずもなく、 「誰が性悪だって?」  と、アザミのこぶしが金髪のちふゆの脳天に落ちた。 「いてっ」 「まったく…………で? アオキに梓。おまえたちは僕になにを聞きたいのかな」  ちふゆへとため息を吐き出した赤い唇が、アオキと梓を見下ろして嫣然(えんぜん)と微笑む。  面白がられている、とは感じたが、背に腹は代えられない。アオキは正座の姿勢を正して、アザミへと頭を下げた。 「アザミさん。助言(アドバイス)をください」 「ぼ、僕にもくださいっ」 「オレもっ」  アオキに倣って、年少組もガバっとお辞儀をした。    アザミが艶やかな髪を揺らして小首を傾げる。 「僕に実のある助言ができるとは思えないけどね」 「そんなことありません。しずい邸のアザミと言えば色ごとの手管《てくだ》は随一、とお客様にも評判でしたよね?」  アオキの話す横で、ちふゆが梓にこっそりと、 「色ごとってなんだ?」  と尋ねている。 「あ、アレのことだよ、ちふゆくん」 「アレ? アレってなんだよ」 「だから、アレはアレだってば」  ひそひそと言葉を交わす可愛いやりとりを後目(しりめ)に、アザミは指先で軽く顎に触れた。 「それを言うならおまえだってそうだろう、アオキ。僕がいまさらおまえに教える手管なんて、ありはしないよ」 「ですが……アザミさん」  なお食い下がろうとするアオキへと、ひらりと手を振って。  アザミはそのまま、ちふゆのやわらかな金髪と、梓の癖のない黒髪を撫でた。 「ふふ……僕からしたらおまえたちはそのままで充分可愛いけれど……浮気をされたと思うのなら、自分たちに足りないものはなにか、考えてみるのもいいんじゃないかい?」  アザミの言葉に、アオキがうつくしい杏仁形の瞳を見開いた。    自分に、足りないもの。  薄い唇がアザミのセリフを声もなく繰り返して……。  それからなにかに思い至ったかのように、ハッとアザミを仰ぎ見た。 「紅鳶さまは、漆黒さんを組み敷いていたと言いましたね」 「僕からは、そう見えた」 「青藍とも、対等に向き合っていたと」 「僕にはそう見えたけどね」 「漆黒さんと青藍にあって、オレにないもの……なるほど」    ひとり得心するアオキの両肩を、ちふゆがガバっと掴んで揺さぶった。 「な、なんだよっ、なんかわかったなら教えろよっ」 「わ、わかったというか……」  アオキはてのひらでちふゆを制し、彼と梓を順に見て、真剣な面持ちで薄い唇を開いた。 「彼らにあってオレにないもの……それは、男らしさじゃないでしょうか」    アオキの言葉を受けて、年少組の目がまん丸になった。  梓が自身のほっそりとした二の腕を確認し、「男らしさ……」と頼りない声音で呟く。  アオキも一度自分の体を見下ろしてから、こくりと首肯する。 「紅鳶さまが漆黒さんたちのような方が好みなのだとしたら……オレには、筋肉がなさすぎる……」    そう。  漆黒や青藍にあって自分にはないもの。  もしもそれが外見上の好みの問題であるならば、アオキは彼らに比べると細すぎた。    梓が子犬のような黒い瞳を潤ませ、 「……ぼ、僕もです……」  と切羽詰まった様子で同意してくる。  彼の手は膝の上でぎゅっとグーの形に握られており、それは動揺を表して小さく震えていた。  そして、ちふゆは。  ちふゆは、しばらくアオキの言葉の意味を咀嚼(そしゃく)するように、じっと中空を睨んでいたが、突然、予備動作もなく本当に突然立ち上がって、叫んだ。 「毛だ~っ!!!!!」   

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