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第7話
「け、毛、毛だよ、梓っ、毛っ、毛っ」
ちふゆがなにかの鳴き声のように「ケ」の音を繰り返すのを、アオキは唖然と見た。
「ち、ちふゆ、さん? ちょっと落ち着いて……」
「落ち着けねぇしっ! つかアンタっ、あ、アオキ? さん? そのベニトビさまってヤツ、毛、毛ぇボーボーなのかっ?」
ぐい、とちふゆの顔が眼前に迫ってきて、アオキはその迫力に押されて肩を引いた。
「な、なにを……」
「アソコの毛っ! ボーボーなのかっ?」
「ぼ、ボーボーというか……そ、それなりには……?」
「やっぱり毛だ~っ!!」
ヒヨコのような金髪を、ちふゆがぐしゃぐしゃに搔き乱して絶叫した。
「ち、ちふゆくん……大丈夫?」
「大丈夫なワケあるかっ! 漆黒サンもボーボーなんだろ? 見たらわかるしっ。あのヒト胸毛も生えてんじゃんおまえだってじょりじょりされて嬉しいとか思ってんだろ梓っどうせオレはツルツルだよチクショウっ!」
いったいどこで息継ぎをしたのかと思うほどひと息に早口に、ちふゆが吐き捨てて。
毛を逆立てたネコのようにアオキたちを睨みつけた後。
「い、いまに見てろよっ!」
と、怒鳴り声を残して、バタバタと足音も荒く部屋を飛び出して行った。
止める暇もなかった。
残されたアオキと梓はしばらくポカンと玄関の方を見つめることしかできなかった。
ちふゆがドアを勢いよく閉じたものだから、反動で半分開いてしまっている。
「……ちふゆくん、帰り道わかるかなぁ?」
半ば茫然としたまま、梓がぽつりと口にした。
アオキと紅鳶の住まいであるこの小屋は、ゆうずい邸の敷地の奥まった場所に位置しているが、しばらく歩けば蜂巣がなどがあるエリアに出るし、男衆たちも巡回しているからさすがに迷子になることはないだろう。
しかし、ちふゆのあの興奮しきった様子に一抹の不安を掻き立てられ、追いかけようか、と腰を上げかけたアオキは、そこでアザミが膝に顔を埋めるようにして上体を倒していることに気づき、ぎょっとした。
「アザミさんっ、具合でも悪いんですか?」
慌てて椅子に座る彼の傍らに立ち、黒い紬 の背を撫でる……と、てのひらに細かな振動が伝わってきた。震えているのだ。
悪寒でもしているのかと心配になったアオキだったが、体を起こしたアザミの顔を見て拍子抜けした。
アザミは、涙を滲ませて笑っていた。
「ふっ……あははははっ。あー、最高。ヒヨコちゃんはやっぱり可愛いね。まさか『毛』とはね」
ふ、ふふっ、と去りきらぬ笑いに肩を揺らして、アザミが立ち上がった。
目尻を濡らした雫を拭った指先が、そのまま流れるような動作で着物の裾を整えて。
アザミが妖艶な微笑を浮かべたまま、アオキたちにひらりと手を振る。
「さて、僕は充分楽しませてもらったから、仕事に戻るよ」
テーブルの端に置かれていた能面に、アザミの手が伸ばされた。
その手首を、アオキはガシっと掴んだ。
「アザミさん、まだ相談が終わってません」
「ふふ……男らしくなるんだろう? まぁ頑張るといいよ」
完全なる他人事 とばかりに、激励だけを残して去ろうとするアザミの、もう片方の手を梓が掴んだ。
「アザミさんっ、お願いしますっ」
「なにをだい? 僕に男らしさの手伝いができるわけないだろう?」
アザミは呆れ返って肩を竦めた。
男に抱かれる立場の男娼たちは、ホルモンバランスの関係か、総じて体つきが女のそれに近づく。
べつに胸が膨らんだりはしないが、腰やヒップのラインが丸みを帯びたりと、通常の男とはどことなく違う体つきになるのだった。
おまけにアザミは外で過ごした期間よりも、淫花廓で身をひさいでいた年数の方が長い。しずい邸の『商品』として磨き抜かれてきたアザミの肉体は、男らしさとはかけ離れていた。
それがわかっているだろうに、アオキも梓も手を離そうとはしない。
いったいアザミになにをさせたいのか。
彼らの意図がわからずに眉を寄せたアザミへと、アオキのきれいな顔がぐいと迫ってきた。
「アザミさん、あなたの男衆を貸してください」
「……は?」
思わぬことを言われ、語尾が跳ねあがる。
胡乱な眼差しをアオキへ注ぐと、反対側から梓が身を乗り出して、
「僕もお願いしますっ」
とほとんど泣き落としの勢いで懇願された。
「アザミさんといつも一緒に居るあのひと、なにか訓練してるんですよね? 僕も習いたいですっ」
「ちょ……梓、おまえはなにを……」
「ぼ、僕もあのひとみたいに男らしくなりたいんですっ」
「オレもです。あなたの男衆に、トレーニング方法を習いたい」
左右からひたむきな目で見つめられ、予想外の展開にアザミはたじろいだ。
「おまえたち、ちょっと落ち着いて……」
「アザミさんっ」
「アザミさんっ、お願いしますっ」
「…………」
まさかこうくるとは思っていなかったアザミは、くらりと眩暈を覚えて天井を仰いだ。
完全なる対岸の火事が、思わぬ飛び火を見せている。
さて、どうやって断ろうか……と思考を巡らせたとき。
アザミの耳が、ノックの音を拾った。
室内に居た全員が、顔をそちらへ振り向ける。
ちふゆが出て行った後、半分開いたままの扉の向こうから、怪士 面が覗いていた。
「「あ~っ!!」」
あ、とアザミが漏らした声を上回るボリュームで、アオキと梓が叫んだ。
ふだんの優雅な所作はどこへやら、ドタバタと音を立ててアオキが走る。そのすぐ後ろに梓が続き、玄関に立つ巨躯の男の前に、二人が揃って正座をし、勢いよく頭を下げた。
「「怪士さんお願いします!」」
アオキと梓のセリフがぴったりと重なった。
怪士がぎょっとしたように後退 る。
「あ、アザミさま……これはいったい……?」
困惑しきりの男へと、アザミは嘆息を漏らして肩を竦めた。
「おまえ、よく僕がここに居るってわかったね?」
「あなたを探していたら、音羽 さまが迷っておられるのを見つけて」
能面越しの視線を、土下座しているアオキたちへと落ち着かなさそうに向けながらも、怪士がアザミの問いに答える。
ちふゆが道に迷っていたと聞いて、アザミはくすりと笑ってしまった。
あのヒヨコちゃんのやりそうなことだ。
怪士のことだから、ちふゆをゆうずい邸まで案内してから、こちらへ駆けつけたのだろう。
しずい邸 の敷地ならともかく、ゆうずい邸 をアザミがひとりでうろつくのを、この男はいまだに心配しているのだった。
「そ、それで、この状況は……?」
恐る恐る、というように怪士が身を屈め、膝をついた。
ふだん、頭を下げられるよりも下げることの多い男にとって、二人がかりの土下座は居心地が悪いことこの上ないのだろう。
「とりあえず、顔を上げてください」
低い声で吶吶 と言いながら、怪士の大きな手がアオキと梓の肩をそっと引き上げた。
その怪士の太い腕を、二人が左右からガシっと両手で掴む。
「これっ。この筋肉っ。どうすればオレもこんな腕になりますかっ」
「ぼっ、僕も怪士さんみたいにちからをつけたいですっ。トレーニングの方法を教えてくださいっ」
二人のあまりの勢いに、怪士が助けを求めるようにアザミを見上げてくる。
アオキたちで遊んでいた自覚のあるアザミには、もはやこう答えるしか道はなかった。
「…………この子たちの気が済むまで、教えてあげるんだね」
「な、なにを、でしょうか」
「だから、筋トレだよ、筋トレ。おまえみたいになりたいんだってさ」
「そ、それは……」
さすがに無理じゃないでしょうか、と怪士が飲み込んだ言葉が、アザミには聞こた気がした。
戸惑う怪士を余所に、やる気に満ち満ちたアオキと梓が、
「よろしくお願いしますっ」
と礼儀正しく一礼をしたのだった……。
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